うじひめっ! Vol.3
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 この日をもって俺たちの現実は一部損壊した。
 ぎゅっとズボンの膝の生地を掴み、沈痛な面持ちで蛆化したフォイレを見遣る良治。
 ゆらゆらと、瞳の色が揺れている。
 もはや言葉もなかった。
「良治……」
 彼の内部で荒れ狂っているだろう感情は、きっと俺と同じ――
「まさしく……蛆っ娘萌え?」
 ――ものでは全然なかった。
「貴様……よりによって今更『萌え』とか言い腐りやがって……!」
 激昂した俺は意識せず立ち上がった。
(や、やめてください! 立ち上がらないで!)
「うっ……」
 悲痛な念がこめかみを突き刺し、あまりの不快感に呻いた。
(お、お願いです……こ……怖いんですの……!)
 ぷるぷると、縮こまって身を震わせる蛆虫。
 脳裏を「しゃがんでもらえますか?」という最前の声がよぎっていく。
 信じられないけれど、やっぱり彼女は昨日良治が踏み潰そうとして
 俺が咄嗟に助けてしまったアレで。
 だからそのことがトラウマになっていて、直立されると恐怖を覚えると。そういうことなのか?
「あ、ああ……ごめん……」
 ゆっくり、風を起こしたりしないようソフトな着地を心がけて腰を下ろした。
 ほっ、と息をつく念波が届き、こちらもなんだか最低限の余裕を取り戻すことができた。
(どうやら納得していただけたようですね)
「理解したくないが、理解せざるをえない複雑な心境だ……」
 溜息は止められなかった。先ほどまで電波と信じて疑わなかった彼女の言い分を、
 本当のこととして咀嚼せねばならないと痛感させられてしまった。
 ――んー、まー、あれだ。
 別に「この恨み晴らさでおくべきか」とか「くらわせてやらねばならん、然るべき報いを」とか、
そういう復讐に来たんじゃなくて、命を助けて恩返しに来てくれたんだから深く悩むこともないよな。
 昔話を参考としてケース・スタディを試みようではないか。
 最初に正体を明かしている時点で、これは「鶴の恩返し」というよりも「浦島太郎」の亀に近い。
 だとすれば、彼女はお礼として腐肉と蛆と蝿が舞い踊る「蛆宮城」に連れてってくれるわけだ。
 なるほど、そりゃあ、めでたいなあ。あっはっはっ。
(では早速、本題のお礼を、)

「謹んで辞退させていただきたく……!」

(即答でノー!? まだ詳しい説明もしてませんのに!?)
 おっと、先走ってしまった。何も本当に「浦島太郎」のパターンを踏襲すると
 決まったわけじゃないんだ。
 そもそもからして「蛆宮城」なんて存在するのかも不明だしな……是非今後も不明であってほしい。
「そ、そうだな。ま、その、なんだ。話だけでも聞いてやろうかな」
(内容次第で断る気満々ですのね……)
 はぁ、と溜息に似た波動が脳をくすぐった。

(その様子では私たちにとってのごちそうとかも召し上がってくれそうにありませんね?)
「絶対にノゥでございます」
(分かりました。では……あの……)
 もじもじくねくねと身を捩じらせる。蛆だから普通にキモいな。
「代替案があるなら言ってくれ」
(体で、とか……いかがです……?)
 肉体一括支払ときたか。
「ごめん、俺、蛆の餌だけじゃなくて蛆虫自体も食べる趣味がなくて……」
(そ、そういう意味で賞味していただきたいわけではありませんの!)
 全身全霊で上げる抗議の叫びがわんわんと頭蓋骨の内部に響き渡った。
 うわーテレパシーって結構うぜえ。
 もちろん、こんなこともあろうかと(ってのは嘘だが)日頃から
 エロマンガやエロ小説やエロゲーを嗜んでいる俺にしてみれば
 フォイレの真意は言わずもがな分かっている。
 「お礼に抱けッ」ってことだろう。エロマンガだったらだいたい4ページ目あたりだ。
 なんですか、俺も年頃の男子ですから、万が一そんな奇怪事に遭遇したらどうするかとか、
 それなりにイメージトレーニングは積んできてますよ。想定問答集だって百項はありますよ。

 脳内では完璧ですよ。

 けどさ。
 蛆化する前の、四肢と視力はないけど豊かな銀髪とふにふにした胴体、
 端整な顔立ちの頭部を有していた
 フォイレに直接言われていたら、まあ、少しはくらっとよろめいていたかもしれんよ。
 あくまであのときだったなら、な。
 今こうして本来の姿である蛆に戻った奴に誘われても、男子のロマンは疼かないというか。
 目の前で生ゴミ食われちゃってショックを受けたというか。端的に言って勃たないというか。
 いくら性的妄想で頭がパンパンの俺でも、蛆虫で筆下ろしをするのはどうかと
 真剣に迷ってしまうわけで。
 真剣に迷う時点でどうにもダメ極まりないんだが。
「遠慮させてもらいます」
 とりあえず、きっぱりと断っておいた。
(左様でございますか……)
 ほっとしたような、残念がっているような、
 ちょっと判別のつけがたい響きが届いて、すぐに散った。
(で、でしたら、何かお役に立てることを申しつけてください! きっとなにかのご助力に、)
「いやー、感謝の気持ちだけでもう充分にありがたいので、
 できたら早く帰ってほしいんですけど……」
 あっ、うっかり本音言っちまった。
 ショックを受けたのか、床を這っていたフォイレがぴきーんと固まる。
(そんな……! 蛆界の王女たるものが、命の恩人に何の返礼もせずに帰るだなんて!
 爺やに叱られますの!)
 イヤイヤをするように右に転がり左に転がる。だから普通にキモいって。
「もーいーじゃん、和彦。初めての相手が蛆虫でもさー」
 話題に加わる必要のない良治は暇を持て余して耳をほじりながらテキトーなことを抜かした。
 お前、黙れ。
(爺やが言ってました! 命を救われた王女が殿方とロマンスを繰り広げるのは
 人間界でもお約束です、って!)
 お約束だけどさー、蛆はねーだろ、蛆は。人間と蛆がくっついてどうするんだよ。
 緊張感がなくなってすっかりダレてきた、二人と一匹のダイニング。
「――姫様はここか」
 そこに一人の闖入者が割り込んできて。
 事態はますます混迷の度を深めるのであった。


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