うじひめっ! Vol.2
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「恩返しとな?」
「はい。先日、私が危ないところを助けていただいて……」
「んー?」
「ほら、和彦さんがしきりに『アホバカボケカス』と呼んでいらした方が
 私を踏み潰そうとしたときに」
 あ。もしかして、あれのことを言っているのか?
 といった次第で、ようやくこの時点で俺は前後の脈絡を把握した。
 良治が反射的に踏み潰そうとした蛆を、自分でもよく分からないままに守った昨日のこと――
 手を押さえて悶絶する俺を「大丈夫か!?」と助け起こしたあいつに、
「なんだってんなことを……」と不思議そうな顔をされても説明できなかった。
 俺自身、自分の気持ちがよく分かってなかったし、結果だけ取って「蛆虫を助けたかった」
 と言うのは、かなり恥ずかしい気がした。たとえあいつの内部で俺のM疑惑が高まるとしても、
 ただ「なんでもねえよ」とはぐらかして押し通すしかなかった。
 もう、自分でも忘れかけていたことだ。まさかあれが掘り返されるとは、予想だにしなかった。
 考える――俺以外で、あの場に居合わせていたのは良治だけだった。
 仮にあいつが「和彦が蛆虫を助けようとして俺に踏まれた」とかいう話を漏らしたとしても、
 範囲はたかが知れる。期間も一日しかないし、悪戯だとしてそれを実行に移すにはタイトすぎる。
 こんな子を見つけ出して、こんな服着せて、こんなダンボールに詰め込んで宅配便に出すなんて。
 下手するとお縄につく。
 だとすれば、この子は本当に……?
 鶴の恩返しを始めとして、助けたモノが人間になって恩を報いに来る話はひとつの類型ではある。
 が、それはあくまで伝承――フィクションとしてなら、だ。
 ここであっさり現実と信じてしまうのは、あまりにも、そう、
 業界用語で言えば「御都合主義」だろう?
 当然、俺もまだ信じてなくて、「誰がこんな手の込んだ悪戯を仕組むんだろう」
 と疑惑に駆られつつも早く問題を解決したくて「アー、ソレハドモアリガトネー」と
 超テキトーな返事を脊髄でかましていた。
「なんだまた片言になっているんですの?」
「気にしないでくれ。で、恩返しって具体的に何するわけ?」
 未だに状況が把握できないでいたが、とりあえず彼女の言う「恩返し」とやらが済んだら
 もう用事は終わりってことでさっさと帰ってくれるだろう。
 ぐだぐだ文句をつけるより満足させてしまった方が早い。
 しかし、この子、どうやって帰るつもりだ?
 まさか、またダンボールで郵送しろと?
 法律には詳しくないが、生きてる人間(本人曰く蛆だが)を宅配便に出すのは
 やっぱりまずくないか?
 そもそもどっからやってきたんだと――
「あの……」
 物思いに耽っていた俺に、フォイレが声を掛ける。
「あー、すまん、ボーッとしてた。で?」
 先を促すが、フォイレはもじもじと恥ずかしそうに蠢いている。
 やがて「決心しました」とばかりにぐっと顎を引いて、眉をきりりとさせる。

「すみません――おなかが空きました」

「……は?」
 くきゅるる〜、と短い胴体の真ん中あたりで音が鳴る。
 フォイレは耳まで真っ赤にした。
「何か食べさせてください……」
「………」
 消え入りそうな声で懇願する少女を、まさか放り出すわけにもいかなかった。

 冷蔵庫を開けてごそごそ「残り物でもいいかー?」と訊ねてみた。
「別に、なんでも構いませんよ」
 背後、クッションを敷いた椅子の上に安置したフォイレが答える。
「――腐っているならなんでも」
「ぶっ」
 自分は蛆虫だから――か? いくらなんでもそのジョークはきつくね?
 引きつる頬を持て余しながらめぼしい品はないかと漁っていたところ、提案が来た。
「良ければそこにあるものをいただけますか?」
 振り返り、彼女の顔が向いた先を確認する。シンクの脇の三角ポスト。
 まだコンポストに捨てに行く前で、そこそこに生ゴミが溜まっていて、軽く臭気を発していた。
「いや、さすがにこれは――」
「お願いします……!」
 押し問答は十分に及び、ひもじさのあまりふたたび泣き始めたフォイレを見て、
 俺も忍耐がブチ切れた。
 ええい、どうにでもなれよ、とヤケクソ気味に皿に生ゴミを盛り付けた。
 目の前に置いてやったら臭気のひどさに負けて演技もやめるだろうという俺の期待も裏腹に、
 フォイレは喜色満面。口を綻ばせ、「いただきますっ!」と叫ぶや否や、
 椅子の背もたれに体重を掛けてぎしっと軋ませ、反動でテーブルに向かう。
 ごんっ
 天板へ突き刺すように顎をぶつけ、衝撃で浮き上がった皿の淵を鮫の勢いでがっと咥える。
 そのまま身を捻り、慣性に乗って椅子からダイブ。
 体の前面を床にびたーんと叩きつけて着地した。
 咥えていた皿を離すと、犬食いというかなんというか、
 まあ手がないんだから当然口だけでわっしわっしと頬張りに行くわけで。ぶっちゃけおぞましい。
 破竹の速度でイーティングする彼女を止める暇もなく、俺は呆然とただ見ているしかなかった。
 く、食ってやがる……生ゴミを……演技なんかじゃなく、マジで美味そうに……!
 目の前で進行する生理的ホラーにひたすら震撼させられた。口元を押さえて吐き気を堪えた。
 そんな俺を尻目に食欲の鬼と化したフォイレは口と言わず鼻と言わず顔全体を汚しながら
 生ゴミを貪り食う。
 幼少期、気になっていた女の子のつくった泥団子を「うめえ、うめえよ!」と
 パーフェクトなつくり笑顔でがつがつ食ってみせて逆に嫌われた栄光なき片想いの旗手・良治が
 脳裏をよぎり、目頭が変に熱くなった。
「いよう、和彦! にーちゃんの友達から無修正のエロDVD借りてきたから見――」
 メチャクチャにタイミング良く、当の良治がチャイムも鳴らさずにうちへ上がり込み、
 ダイニングで繰り広げられている光景を目にするや絶句した。
 その手から女体の乱舞するトールケースがこぼれ落ちた。
 むべなるかな。このとき良治が遭遇した状況を整理してみよう。
 銀髪で外人っぽい顔つきの女の子が床に這いつくばって物凄い勢いで
 皿に盛られた生ゴミを貪っていて。
 どう見てもその子には手とか足とかいった器官がなくてダルマさんみたいな塩梅で。
 なぜかヒラヒラのドレスを着て頭には高価そうなティアレが乗っていて。
 それを、長年の腐れ縁である幼馴染みの男がぼんやりと見下ろしていて。
 うん、客観的に見て、どういう犯罪に該当するのか判断に困る状況だ。
「な、なんて言っていいのかわかんねーがとにかく鬼畜プレイー!?」
 良治の語彙も突破してしまった模様で。
 残念だな、奴の如き変態なら一言ですぱっと事態を言い表すような、
 俺の知らない別に知りたくもない世界の知識を解放して
 秩序回復の一助を担ってくれるものと期待してたのに。
 がっかり。

 非常にうろたえている人間を目撃すると、なぜか直前まで同じようにうろたえていた奴が
 冷静さを取り戻すのは人間心理の深みを実感させる。俺は良治を落ち着かせにかかった。
「待て、慌てるな。俺が今からたった一言で真実を説明するから耳をかっぽじってよく聞け」
「な、なんだ? 新手のドッキリとか、そういうオチか?」
 そうであってくれ、と祈るような顔で呻く良治。
 震える彼の肩に手を置き、優しく微笑んで言い聞かす。
「心配ない――彼女は蛆虫だから」
「説明になってねー!? つーか二言ー!?」
 なんだ細かい奴だな。彼女が自分で蛆虫っつってんだから、いいだろもう、議論とかは。
 そういう前提で進めてなるべく早く話を終わらせる方針で行こうや、な?
 俺の理性もいっぱいいっぱいで、もう限界なんだよ。
 化け物でも見るみたいに恐怖の視線を向けてくる良治は、
 そっと俺ん家の固定電話の受話器を上げながら呟く。
「い、いつかはやると思ってたんだ……和彦が好きな女子に告白して付き合うとか、
 そういうのは絶対ないだろうけど、いつかは道を歩いているちっちゃな子を拉致ってきて
 ニュース沙汰になるんじゃないかと……!」
 奇遇だな。似たような所感はお前に対しても抱いたことがあるぞ。
「け、けど、たった一日でここまでやるなんて……『このメス豚が!』
 みたいな罵りでSMプレイするのは想定のうちだったが、まさか四肢切断して
 『蛆虫』とか言い出す危険ゾーンに躊躇いなく踏み込むなんて!」
「勘違いだよ、良治クン。ふふふ……話し合おうじゃないか。ひとまずはその受話器を置きたまえ」
「く、口調も変だ! どうした、遂に狂ったか!?」
 と押し問答をやること数分、後ろでフォイレが食い終わって「ごちそうさまでした」を口にした。

 錯乱から回復した良治に話の一部始終を説明した。
 第一に、フォイレが略取されたのではなく自らの意志でもってうちに訪問してきたこと。
 第二に、フォイレの四肢欠落は生まれつきのものであって切断したわけではないこと。
 以上の二点に関しては了解が得られたが、第三として「フォイレは蛆虫であり、生ゴミ大好き」
 を付与すると異議が持ち上がり、「アホかお前ふざけるのもいい加減にしろ」と
 一蹴されるはめになった。
 そりゃ俺だって信じてないんだから仕方がない。
 でも、さ、ああやって目の前で生ゴミをたらふく食われちゃうと
 反論する気とかなくなっちゃわないか?
 もう真偽の別はともかくとして「フォイレ=蛆虫」の前提を受け入れて進めないと
 心が壊れちゃいそうですよ?
「ええい、虚ろな目をして遠くを見るんじゃねえ! 現実を直視しろよ和彦!」
 精神的な疲労困憊で敗北主義の諦念に至っている俺とは違って、
 まだまだ現実と戦えそうな良治は俺の肩を力強くがたがた揺さぶって思い直しを迫る。
 常識に満ち溢れた行動が、やけに眩しくて、俺は目を細めた。
 そこにくちばしを挟む声が一つ。
「あの、私は本当に蛆虫なんですけど……」
 口ぶりに困惑をたたえ、気弱げに自己主張するフォイレ。態度にどことなく怯えが覗くのは、
 昨日自分を踏み潰しそうになった良治がそばに佇んでいるからか。
 ……ダメだ、だんだん本気で彼女の話を受け入れてきている自分がいる。
「なあ良治、ここはガツンと一発殴ってくれないか? もしかしたらこの悪い夢が覚め――」
 喋っている最中に衝撃。鼻に鋭い痛みが炸裂した。
 温かいものが鼻腔の奥から噴き出し、人中を濡らす。痛い。痛すぎる。
 これは過つことなく現実だ。
「ってめえ、本気で殴りやがったな!」
「てめえが殴れっつったんだろーが!?」

 現実逃避的に掴み合いのボコスカウォーズを開幕させた俺ら。
「や、やめてください! どうか私のために争うのはやめてください……!」
 哀しげで切実な音色を伴った叫びをフォイレが放つ。
 他人が聞けばドロドロの三角関係と判断しそうなセリフだった。
 が、沸騰したらノンストップでトラブルと遊ぶ血気盛んなヤンチャボーイズは黙殺。
 聞いちゃいなかった。
「分かりました、分かりましたから! ちゃんと証拠をお見せしますの!
 だから喧嘩はやめてください!」
 ずるずると床を尺取虫の要領で這ってきてまで制止する少女の必死な姿に、
 さしもの俺たちも拳を潜める。
 ド素人ならではの見苦しいセメント格闘ごっこは中断となった。
「……証拠?」
「……って何?」
 荒い息を吐きつつ、訊く。
「あの、よろしければしゃがんでもらえますか?」
 縋るような目で懇願。戸惑ったが、断る理由もないので「あ、ああ」と従う。
 隣で良治も胡坐をかいた。
「立たれていますと、その、怖じる気持ちが強くなりますので……」
 言い訳らしきことを呟きながらもぞもぞとする。フリルが床に擦れ、微かな音が鳴った。
「一つ、お願いをします。これから起こることを、驚かずに受け止めてください」
 お互い状況を把握できてなかったが、良治と目を交わし、
 合意して「……分かった」と口を揃えてみる。
「では、よく見ていてくださいね? ほんの一瞬でございますから」
 注意してからすぅっと息を吸い込み、可愛らしい唇を躍らせて。

「まごっと まごっと う゛ぇるみす わ〜む♪ ステキな蛆虫に、な〜れ♪」

 全世界の魔女っ子を愚弄するような呪文が唱え終わった刹那。ドロンと煙が巻き上がった。
 大量の煙だ。視界の確保がまったく行えない。驚くなとは言われていたが、ぎょっとする。
 顔を背けた。噎せて咳を一つ二つ漏らす。目が痛み、涙が滲んだ。
 やがて噴き出した際の唐突さと同じく煙幕は急速に薄れ、視界が戻ってきた。
「いったい、なん――」
 半ば立ち上がりかけていた良治が半端な姿勢のまま息を呑んで固まった。
 彼の視線を追い、首を動かす。
「――え?」
 目を疑った。
 煙の晴れた向こう。さっきまでフォイレが腹這いになっていた場所に。
「う、じ?」
 ――そう。一匹の小さな蛆虫が転がっていた。
 蠕動し、非常に低速でよちよちと這っている。
(どうです、これで納得していただけましたか?)
 頭に直接響いてくる、いわゆるテレパシー系の声。それは紛れもなくフォイレのもので。
(ん……人間の方の前で変身するのは、ちょっと恥ずかしいですの……)
 羞恥を帯びた響きから、白い頬を紅潮させた彼女の顔が容易に浮かんでくる。
 呆然として呟いた。
「……煙幕を張って人体消失トリック?」
(……だったらこのテレパシーはどうやって説明をつけますの……?)


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