雪桜の舞う時に 第2回
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 雪桜さんに特製あんまんを奢って、久しぶりに一日一善を実行した俺は気持ち良く
 家の帰路に着こうとしていたが、
 家の前で鬼神のように待ち尽くしている少女の姿があった。
 当然、その姿には見覚えがある。4−5年前、隣に引っ越してきて、
 同じ高校、同じクラスの同級生。東大寺 瑠依(とうだいじ るい)である。
 肩まで伸ばした髪が揺れる。肌が白くて、可憐な容姿である。ただ、黙って佇んでいれば、
 男女ともその魅力に引き込まれてしまう雰囲気を漂わせている。
 だが、よく観察してみれば、その虚像が跡形もなく崩れてしまうだろう。
 特に毎朝顔を会わせて瑠依の本性を知っているような奴なら、尚更だ。

「ううっ。あんたねぇ、一体今までどこに行っていたのよっ!!」
「瑠依を怒らせるような真似なんかしたっけ?」
「今日、私のお母さんが仕事で夜勤するから、あんたのとこで晩飯を食べるように言ったわよねっ?」
「あぐぅっ!!」
 やべぇ。素で忘れていた。
 すでに時刻は夜の七時を過ぎている。家の前でずっと待っているってことは、
 瑠依はお腹を空かしたままってことか? 剛ピンチっ!!
「あのさ、瑠依が家に来るのはすっかりと忘れてたからさ。今日の夕食は
 何にも買ってきてないんだよ」
「なんだってっ!!」

 餓えた虎の腹を空かせたままだと、周囲に危害を与えられる可能性は100%。特に俺が。
「とりあえず、買い溜めしていたカップラーメンでも食べようぜ」
「ああ、こんなことだったら。外食でおいしいもん食べておけば良かったよ」
 鍵を取り出すと、俺は殺気に圧されながらもさっさと玄関を開けた。

 俺の家は親が長期の出張でこの2−3年間は遠い地で仕事を頑張っている。
 母も親父についていったので、基本的に俺は気軽の一人暮らしなわけだが。
 隣に住んでいる瑠依のおばさんが俺の母の友人であるため、何かとその世話を頼んでいるようだ。
 その監視役として、瑠依がしょちゅう家にあがってくる。こうやって、瑠依と晩飯を食べる事も
 実は珍しくはない。
 母子家庭であるせいか瑠依のおばさんは朝早く通勤して、夜遅くまで仕事をしている。
 そのためか、独りぼっちになっている瑠依を心配して、俺と一緒に晩飯を食べさせることが多い。

 俺は異論がないが、今日みたいに忘れてしまうことはたまにある。
 そんな時の瑠依は狂暴で暴力的な一面を見せるのであった。
 黙々と差し出されたカップラーメンを静かに瑠依は食べている。
 時々、潤んだ瞳が細く鈍い眼光へと変わっているが、俺は麺を啜って気にしないことにしていた。
 リビング全体が重い重圧と殺気に包まれている。
 その発生源は言うまでもなく、瑠依から出ているものである。

「今日はカップラーメンね。本当に剛が注いでくれたお湯はおいしいわ」

 棒読み口調で表情はおだやかだが、目は全く笑ってはいない。
 その笑みですら、俺の背中に悪寒が走る程、冷たく感じる。たった、5年程度の付き合いだが、
 女の子の事は理解できなくても、瑠依の事は少しだけ理解できたと思っていたわけだが。
 前言撤回。男の子から見れば、女の子は全て宇宙人です。
 とはいえ、本当に瑠依が今日の晩飯の事を忘れていただけで、こんなにも機嫌が悪くなるのだろうか。

「仕方ないだろ。今日は瑠依が晩飯を食べに来る日じゃないと思い込んでいたから
 何にも用意はしてなかったんだよ。
 そんなに餓えているなら、俺のカップラーメンのつゆでもやるよ」
「あほかぁぁぁぁっっっ!!」
 怒りにまかせた瑠依の蹴りが、俺の顔面にまともに直撃した。

「どこをどういう風に解釈したら、そういう話になるのよ。ホントにアンタって言う人は。
 女心というものを全くわかってないわ」
「いや、わかった。お前のために残していたえびやたまごの」
「えびもたまごもいらんわボケっ!! 剛君が他の女の子と下校しているところを見て、
 ちょっと気になったとかそういうんじゃないんだからねっ!」

 このアマ、今なんて言いましたか?

「ムッ。うるさいうるさいうるさいっ!! どうでもいいでしょう。そんなこと」
 乱暴にカップラーメンの上に置いてあった箸を投げ付けて、瑠依は顔を真っ赤にしていた。

「別に俺が女の子と下校してもいいじゃん。どうして、そんなに怒るんだ?」
「ムッ」
「ムッじゃないだろう」
「う、う、うみゅう」
 どこぞの知れない動物の泣き声が愛しく聞こえた。
 顔を伏せて、赤面したまま瑠依は固まっていた。瑠依は見た目は可愛いらしくて、
 男子から人気があるけれど、 交際関係は今までなかったと聞く。更に男の免疫がないのか、
 こういう男女のお話になると真っ先に知恵熱を出してしまう。
「と、と、と、とりあえず。私はお母さんとおばさんに剛君の事を頼まれているんだよ。
 変な女の子に誑かせられているなら、当然止めるのが私の役目じゃない。
 べつに、焼きもちを焼いているわけじゃないんだからねっ」
「ああ言えば、変な理屈をこねるし」

「うるさいうるさいうるさいっ!! もう、帰る。とりあえず、あの女の子と付き合ったらダメよ」
 そう忠告すると瑠依は首から上まで赤面しながら、慌ててこのリビングを去ろうとする。
 バタンと玄関のドアが閉まる音は強烈な勢いで閉まった。

「やはり、晩飯がカップラーメンだけってのがマズかったのかな」
 それに瑠依もおかしな事を言う。あの女の子と付き合ったらダメって言われても、
 雪桜さんは乱暴でがさつの瑠依よりも何百倍も清純で笑顔が似合う女性だ。
 苛められてさえいなければ、今頃は学園中の男子が憧れる程の美人である。
 だが、今はその魅力は沈んだ陰気な表情のおかげで失われてる。
 今は捨てられた子犬が誰かに助けて欲しいと訴えているのだ。誰かが助けてあげないと
 雪桜さんをずっと悲しみの世界に捕われることとなる。
 俺が雪桜さんを助けたいと思ったのは、俺自身から出た真摯な気持ちだ。
 たとえ、瑠依が関わりをやめろと言われても、絶対に俺は言うことを聞かないだろう。
 下校の際に俺と雪桜さんと軽い自己紹介をして、雑談を楽しんだ。彼女は人と接するには
 臆病だったが、ほんの少しづつだが、俺に心を開いている。
 明日も時間があるなら、雪桜さんと話し合う機会があればいいのに。
 カップラーメンのつゆを最後まで飲み干して、俺は密かに誓いを立てるだった。

 今日、剛君の家で晩ご飯を食べるって言ったのに。。
 剛君は見事に約束を忘れていた。いつもなら、私のためにその腕を存分に奮ってくれるのに、
 今日はそれがなかった。たった、一つのカップラーメンだけを差し出すって、
 どういう神経をしているのよ。
 ここまで存外に扱われたのは私がこの家に引っ越してからも記憶がない。一体、どうしたんだろうか。

 たしかに母子家庭である私がこの家の家事をしなくちゃいけないんだけど。
 私は料理だけは全くできない。
 剛君は男の子なのに器用に美味しい料理を作れるのだ。家に両親がいない事が多くて
 自然に覚えたと言うけれど、女の子が作る手料理も上手い。
 晩飯を食べに行く時にちゃんと私のために料理を作ってくれる。それも何も言わずにせっせと
 包丁で材料を刻む大きな背中に私の胸はときめかせる。
 料理ができる間に私は皿を用意するだけ。これだけで熱々の新婚生活みたく思えるのは
 私の自惚れでしょうか。

 これが私たちの日常。
 私と剛君のかけがえない日々だったはず。
 ところが……。
 私は目撃してしまう。あの女の事を。
 顔も知らない女の子と剛君が仲良く下校している光景を。
 男子にからかわれるからって、私が一緒に頼んでも帰ってくれなかったのに。
 どこぞの骨かわからないメス猫と帰っている。

 それだけで私は腹の中が煮えるような想いをしてしまう。激しい嫉妬に駆られる。
 当然、私は二人の後を追いかけましたよ。だって、他の女の子に剛君が取られるのは嫌だもん。
 でも、二人で楽しそうに会話をしていた。
 あちこち衣服がドロ水で汚れているメスの分際で剛君と関わらないでよ。
 不細工な女の子に私の剛君が寝取られるのは我慢できません。
 自分より劣っているモノが人様の物に手を出すってことは、それなりに覚悟しておかないと
 いけませんよ。メス猫さん。

 それから、剛君とメス猫はコンビニに寄ると何かを買ってきたのでしょうか。
 メス猫は喜んで、何かを口に啣えます。
 パン? アンパン? 肉まん? メロンパン?
 何か白くて柔らかいモノを食べると大袈裟にリアクションをとります。
 遠くから偵察しているので、声は聞こえなかったけど。これだけは間違いなく聞こえた。

「これ、おいしいにゃーーーーー!! にゃにゃーー!!」

 男の本能を擽るような甘い声で剛君を誘惑している。
 ムッムッムッ……。メス猫っめっ!!
 和やかな雰囲気を作って、二人の世界へ。

 本当に今日一日を振り返ってみると不幸だったと思う。
 この街に引っ越してから、ずっと片思いの人を見ず知らずのメス猫に奪われそうになるとは。
 こう見えても、私は恥ずかしがり屋さんだから、真っ向に剛君と向き合うことができない。

 積極的にアプローチをとろうとすると、妄想するだけで顔から火が出そうになる。
 恋する少女にとっては致命的だよこれ。
 でも、ここで躊躇していたら、今日みたいにメス猫と接近を許してしまう。
 剛君を狙っているメス猫は思っている以上にいる。クラスだけで二−三人ぐらい、
 剛君に告白したメス猫もいるし。
 いつも傍にいる私にラブレターを渡してくるメス猫もいた。そんなもの、速攻で焼却場に捨てたよ。
 だって、性欲を持て余している男の子の剛君が勘違いしちゃうよ。

 この年頃は本当に発情期のメス猫が発情しまくって、本当に困る。
 恋愛と性欲の違いを全く理解していない。私なら剛君の右足左足右腕左腕胴体頭目玉顔が
 なくても、ずっと愛してあげられる。
 たとえ、お婆ちゃんになっても。
 それが私の永遠の愛。

 さてと、明日からの事を少し考えておかないといけない。
 剛君に近付くメス猫を追い払うためには、まず二人を遠ざけることが大切だ。
 一緒にしなければ、距離が縮まることがなくなるし。すれ違いは二人の仲を
 険悪するモノへと変化してゆくだろう。
 策はすでに考えてある。
 うまくゆけば、わたしと剛君が一緒にいる時間が増えて、逆にメス猫と接する時間を
 極端に減らすことができる。
 完璧な計画。
 高らかに叫びたくなるものの、すでに夜なので、せめて心の中で叫ぼう。
 きゃははははっはあっはははは。

 剛君、今日も明日も明後日も
 わたしのことだけを見てね。


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