雪桜の舞う時に 第1回
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 春の穏やかな陽気に包まれて、桜が散る通りを欠伸しながら歩いていた。
 学園に向かうために何度も桜を見続けているので、いい加減に飽きていた。
 綺麗な物は三日辺りで飽きるというが、その通りだった。

 散ってゆく桜に悪いが、毎日毎月毎年と同じ通学路を通っていたら、
 例えそれが日常とは違った光景だとしても人間は飽きてしまうのだ。常に変化を求めてしまう。
 新学期を迎え、進級して僅か二週間の月日が経っていた。
 新しい出会いと別れの季節なのに、俺こと桧山剛(ひやま つよし)は早くも飽きてしまっていた。

 クラスメイトは去年のクラスメイトが多いし、担任も昨年度から全く変わってはいない。
 新しくなった教科書もロッカーの中に置きっぱなしにして、家で見ようとは思わなかった。
 新しい季節がやってきても、俺の周囲はそう簡単に変わることなく、
 退屈な一日は今日も際限なく続いてゆく。
 友人とくだらない雑談。
 担当教科の長々と続く授業。
 昼休みは教室で自分の手作りのお弁当を餓えた猛者から死守したり。
 午後は眠たくなったら、そのままお休み。
 放課後になったら、友人とゲーセンで流行の格闘ゲームやカラオケに出掛けたり。
 俺の日常はそう簡単に変わることなく、退屈で価値がない物だと再認識すると
 暗澹な気分になってしまう。

 だから、だろうか。
 今日の放課後は友人の誘いを断り、何もない校舎を散歩しているといつもと違った光景が
 俺の目に移ってきた。
 人気のない校舎裏で多数の学園の生徒たちに囲まれている少女の姿があった。
 険悪な空気に俺は敏感に察知するとただその光景を眺めていた。リーダー格の女子生徒に、
 金魚のフンのようにまとわりついている男子生徒二人と女子生徒三人。
 計6人が女子生徒を囲んでいた。怯えている少女が怯えた視線でリーダー格の少女を向けるが、

 彼女たちはまるでゴミとして見るような見下した視線で少女が困った姿に嘲笑していた。
 さすがにこの現状が普段から鈍い俺でも頭が回る。
 これは虐めだ。

 彼女はこいつから苛められている。
 この学園にそんな悲惨な事があったのかは知らないが、
 退屈な日常を過ごしていた裏にはこうやって誰かが不幸な目に遭っている。
 世の中には弱い者に対して、牙を向ける強者が必ずとして存在する。
 弱者を踏み付けることで己れの中の優越感に酔う。
 それはクスリをやって快楽を得るよりもとても気持ち良くて、中毒に陥ってしまうこともしばしばだ。
 この少女を苛めているグループも同じ理由で世の中にある自分たちの思い通りにならない
 不満やストレスを彼女を苛める行為により発散しようとしている。

 全く、この世界は淀んでいる。

 憂欝な気分になりがらも、少女は助けることはまず出来ない。
 俺は喧嘩もできなければ、人に対して暴力を振るう行為はあんまり好きじゃないから、
 弱すぎて相手にならない。
 更にこの手の厄介事は何の考えなしに突っ込むと後で俺自身に返ってくる。
 次の苛めのターゲットにされることだってある。弱者を躊躇なく苛める病んだ人間が
 まともな神経を持ち合わせているはずもないので、必ず報復を行なってくるだろ。
 だったら、その場から離れて見ないことにしてしまえばいい。

 簡単な事だ。

 でも、足は言うことを聞いてくれない。正にこの光景を目に焼き付けるように硬直している。
 苛めグループの男子生徒が少女に対して暴力を振るう。
 問答無用に少女の背中を踏み付けるように強烈な蹴りが何度も何度も炸裂する。
 彼女の悲鳴の声が出ると同時にいじめグループの少女たちはゲラガラとバカ笑いを浮かべる。
 更に男子生徒達が同時に踏み付ける。少女の瞳には涙目にして、
 必死に泣くことを堪えようとしている。
 確かにここで泣いてしまえば、いじめグループの子たちの苛めが更に過激化する。

 そんな淀んだ光景に俺は我慢ならなかった。
 こんな大勢で女の子を苛められたら、助けたくなる衝動に駆られてしまう。
 テンションに流されない事は大切だが、このまま傍観してしまうと俺自身が
 最悪な人間野郎になってしまうような気がした。
 だから、奮えている体に鞭を打って、声を張り上げた。

「何をやっているんだ!!」
 声の主である俺に皆の視線が集まった。少女に対しての暴力は一時中断されて、
 睨むような高圧的な男子生徒たちの圧されても、俺は更に高らかにで叫んだ。
「女の子を苛めて楽しいかのかよ!!」
「きゃはははは。今時、正義の味方気取りなんか流行らないし。なにこいつキモい」
「わたしたち、このクズを苛めているから邪魔しないでくれる」

 女子生徒たちがバカにしたように笑っていた。まあ、俺も柄じゃないことをやっているのは
 恥かしながらもわかっている。
 小さな頃は正義の味方に憧れてたりするわけだが、今の場においては苛められている少女を
 助けたいと必死になっていた。

「そんなことはどうでもいい。お前ら、その子に危害を加えるのはやめろよっ!!」
「あん? てめえ調子に乗ってんじゃねえぞ。おい、こいつもやっちまうか?」
「異議なし」
「ボコボコにしてやるぜ」
 男子生徒たちは完全に俺を獲物として鋭い目で怯えさせようと睨みつける。
 見た目は不良ではないのだが、それでも体格のいい奴ら三人に囲まれたら、
 俺は手出しすることもできずにやられてしまうだろう。
 覚悟はすでに決めていた。

 俺は俺の信念を貫くことだけ。
 一度、決めたら最後までやり遂げようとすることだけが俺の唯一の取柄だった。
 我慢強いことに頑丈にできているから、ここでボコられても一週間ぐらいで怪我は完治しそうだ。
 歩み寄ってくる男子生徒たち。
 目を瞑って、歯を食い縛る。

「やめなさいっっ!!」

 リーダー格の少女は大声で叫んだ。男子生徒たちも驚いて、声を上げた主に振り返る。
「思い出したわ。こいつ、2ーB組の桧山。あの変人内山田のツレよ」
「なんだってっ!!」
「おいおい、内山田のツレなんかに手を出したら。本当に後が恐いぞ」
「いつ、偽りの退学届けが受理されるかわかんねえぞ」
「私たちなんか風俗に売り飛ばされるかもしれないわっ!!」
 内山田の名前が出た途端に傲慢な態度が見事に消え去り、いじめグループの人間の誰もが
 青白い顔をして震えだしている。
 俺の親友は学園で有名な変人として知られているが、こんないじめグループが
 畏怖する事を平然とやってしまっているのであながち怯える理由はわからなくはない。
「皆、もう行きましょう。ゴミクズのせいで私たちが東京湾に浮かぶかもしれないし」
「ええ」
 いじめグループたちは逃げるようにこの場を立ち去ってくれた。
 残されたのは俺と酷く落ち込んだ彼女。

「大丈夫か?」
「はい、平気です」
 汚れた衣服を手で振り払って、彼女は俺を警戒するような怪訝な瞳で見つめている。
 確かに俺はいじめグループを追い払ったわけだが、俺自身が彼女に危害を加えないという保障はない。
 ましてや、見ず知らない赤の他人が関わってはいけない問題でもあった。
「あ、あのありがとうございました」
 視線を合わせずに大きな黄色のリボンで纏めている長い髪を何度も揺らす。
 その潤んだ瞳は今にも泣きそうになっている。それなりに整っている可愛らしい顔立ちだが、
 今は泥で汚れているのでその魅力が半減してしまっている。

「こんな薄汚れた私を助けてくれて本当にありがとう。でも、これ以上私と関わるのは
 やめた方がいいです」
「どうして?」
「私に関わるとあなたも苛められるから」
 少女は寂しそうに言った。

 彼女は自分の立場をよく理解している。
 一回だけ追い払ってもあいつらの苛めがなくなるわけでもない。
 無為に反抗したせいでさらなる報復が待っていることであろう。
 このまま、彼女との距離を縮めてしまえば、今度は俺が様々な嫌がらせに遭う。

「私のせいで誰かが傷つくのはもう嫌なんです」
「でも、本当にそれでいいのか?」
「いいんです。いいから、私はもう放っておいてください」
 目蓋から大粒の涙の雫が零れだしていく。
 ただ、少女は声を殺して泣いていた。さっき、苛められている時には必死にその涙を堪えようと
 我慢していたが。
 だが、人に優しくしてもらったことで涙腺が緩んでしまったようだ。
 俺は珍しくズボンの中に入れておいたハンカチを彼女の頬に差し出す。彼女は受け取って、
 癇癪を起こしながら、溢れて止まらない涙を拭いていた。

 しばらくの時間が流れる。
 彼女はようやく落ち着いてくれた。
「あの、これ洗ってお返しますね」
 ぐしょぐしょに彼女の涙で濡れてしまったハンカチ。
 まあ、俺的には別に洗ってもらわなくていいわけだが、ここは彼女の心遣いに甘えてしまおう。

「で、あなたのお名前はなんていうんですか?」
「俺は2−B組の桧山剛。あんたは?」
「私は2−E組の雪桜志穂です。同学年の人だったんですね」
「そうみたいだな」
 正直、苛められている女の子が年上か年下だと思っていたが。まさか、同学年だったとは。
 これで苛めグループの人間が同学年の隣の隣の隣の生徒になるかもしれないが、
 今回の出来事があちこちに広まらないことを果てしなく祈る。
「じゃあ、一緒に帰ろうぜ。雪桜さん」
「えっ!? でも、私といると桧山君まで苛められちゃうよ」
「多分、大丈夫。俺が内山田のツレって知っていて、同学年なら絶対に手を出すってことはありえん。
 逆にあの苛めグループの家族が東京湾に浮かんでしまう可能性が高い。
 内山田のモットーは『悪人に人権はない』らしいな」
 信じられない話だが、内山田は常人を遥かに超えた能力を持っているらしく、
 彼自身の最大の武器はこの情報社会で最も大切な『情報』と何でも頼めば、
 どんな不正入学や不正雇用ができるあちこちに人脈を作りまくった『コネ』がある。
 それらを上手く使えば世の中に恐いものはないらしい。まあ、俺にはどうでもいいが。

「というわけで帰ろうぜ雪桜さん。どっかでおいしいモノでもおごってやるから」
「あ、あ、あのいいんですか?」
 叱られた子供のように怯えた表情を浮かべて、雪桜さんが上目遣いで尋ねた。

「いいに決まっているだろ。懐はちょっと寂しくなりそうだけど、今日は雪桜さんと
 出会えた記念日ということで」
「私、そんなにお金持ってないですよ」
「心配するな。割引券使うから」
「せこいですっっ!!」

 

 二人はその後もつまらない雑談をして桜通りを歩く。
 いつもとは違った光景。新しい出会いに胸を焦がしながら、隣に雪桜さんがいる日々を夢想する。
 去年とは違う、退屈な日々の終わりをここで告げよう。

 

 でも、俺は全くわかってはいなかったんだ。
 雪桜さんが人を避ける理由。
 雪桜さんが苛められていた理由も。
 そして、俺に恋する少女の存在すらも。

 これから始まろうとする波乱に満ちた日々の事も。


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