「さくちゃん」
呼び止められたのは、階段を降りて、廊下を歩き出そうとした瞬間だった。
その声の主の正体を、生方は即座に理解する。
なにせ自分の中学からの友達であり、さっきまで屋上では、
この少女の話題で彼と話し合っていたのだから。
「あ、あれれっ? いたり、あんたもトイレだったのかなっ?」
すぐに振り返ると、そこには予想していた彼女の姿が。
中学から、せめて髪型だけでも活発に、という理由でずっとポニーテールだった少女。
それも昨日までだった。ばらした髪の毛は生方が思ったよりもずっと膨大で、
腰の辺りまで広がっている。
普通のロング――だが、随分と雰囲気までもが変貌していた。
垂れた前髪で片目が若干隠れていたりなど、なんとなく、大人びた印象が強く前面に出ている。
「私は、さくちゃんを探してたんだよ……随分と、長かったから」
「あ、そ、そうなんだっ! ごめんねえ、ちょっとお腹の具合が……っ」
「その割には、走って教室出ていかなかったっけ」
「あぐぅっ……」
困ったように、生方は耳の裏を掻く。
彼女の行動力と快活さは美点であったが……いかんせん、根っこが純粋なのである。
演技などは得意から縁遠い分野だったし、もとより嘘吐きの才能がからっきしだった。
「ねえ、さくちゃん。トイレって、あれ嘘でしょ」
「ううんっ? そ、そうだねえ、嘘か真かと選択を問われればまあ、えっと……そのぉ。
あ、あははっ」
笑うことは生方が話題をそらす手段としては、一番優れている選択だった。
まさか黙って友達の彼氏と密会をしていたなどとは、口が空気くらい軽い彼女でも
吐き出せぬ理由である。
生方が誤魔化しの笑いを浮かべる、その前方。
瀬口至理は――まるで人形ではないかと想起してしまうほど、無機質な両目で、彼女を見据え。
「さくちゃん、あのね……一つだけ、忠告」
「――の……けくんに、……したら、……す、からね」
何かを、言った。
「うえっ? な、何って言った、いたり……? ごめん、聞こえなかったさ」
生方には、至理の口が動いていたことしかわからなかった。
至理は人形の眼球をやめると――ぱあっと、咲き誇る花が如く、微笑む。
「ううん。なんでもないよ。……それよりも、早くお昼食べよ」
「っ……そ、そうそうっ! ささ、急ぐよいたりっ」
至理がなにを己に言ったのかはさておき、この話が流れてくれるのなら、
生方にはどうだってよかった。
手を引っ張って、瑛丞を連れて来たときよりは遅めに、駆け出す。
生方に引っ張られながら……じっと、至理は生方の後頭部を睨む。
ここを鈍器か何かで殴ったら。
私のエースケくんに近寄るメスを、殺せるかな――。
それはきっと、爽快な行動だと思えるのです。
私には。