疾走 第12話
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「それにしても――こう、何というか……ありがとうね、エースケくんっ」
「――え、っ?」
 途切れた会話を再び繋いだのは、生方先輩のそんな一言だった。
「な、何が……ですか」
「いたりは、ねえっ……こう、なにを言われても嫌だとは言えない、そんな子だったわけよ」
 だったとは言っても、わたしは中学の頃からしか知らないんだけどね、と付け足して。
 生方先輩は、びしっと俺を指差す。
「君が言ってあげたんでしょっ? 嫌なことは、ちゃんと嫌って断わらないと駄目ですよって」
「……っ……あ、ああっ!」
 思わずぽんと手を叩きたくなった。思い出したぞ。
 いたり先輩と出会ったきっかけ。大量のプリントを運ぶのを手伝ったときの会話だ。
 どうしてもこの虚弱な先輩一人にこれだけのプリントを運ばせているのが納得できなくて、
 誰に頼まれたのかと聞いてみた。
 てっきり教師の名前が出てくるものだとばかり思っていた俺だったのだが、
 それは見事に裏切られる。

「クラスの女子に……っ?」
「は、はい。そのっ……何か大事な用事があるそうなんです」
 しょうがないですよねって、微笑する先輩だった。
 普通は男子に頼まないだろうかと、俺はどうにも疑うことをやめられない。
 そんなに持たなくていいですと遠慮する先輩から無理矢理奪い取った八割のプリントを
 両手に抱きながら。
「駄目ですよ。そんなの嘘に決まってます」
「ふえっ……!? う、嘘なんですかっ……?」
 そんなに驚かれるとは思わず、俺は多少冷や汗を垂らしながら。
「そうですね。はい。多分には」
「た、多分ですかっ。なんだか曖昧ですね」
 証拠が無い以上断定はできないが……こうでも言わないと、この先輩はずっと駄目だと思ったのだ。
「いいですかっ! お優しいのは真に結構ですっ」
「は、はあ」
「しかし……遺憾ですが、優しくない人間ってのは、どうしたっているんですっ」
 人差し指を振り回している俺はみっともないと思われる。
「無条件に優しくするのが間違っているとは言いませんけど……自分には辛いこと、
 出来ないかもしれない事にまで、いいよって頷くのは間違ってます」
 こんな大量のプリントを、自分だけで持ち運べるとでも思えたのだろうか、先輩は。
 転びそうに……ふらふらと、必死に。
「無理なことは無理っ! 嫌なら嫌ってはっきり拒絶するっ! わかりましたね、先輩っ!」
「は、ははははいっ」
 ピシッと、背筋を伸ばしてしきりに頷く先輩だった。
 しまったっ……! 生意気にも上級生に説教をっ。
「ま、まあ今のは、その、厳しさとやらを微塵も理解していない小僧の戯言とでも
 思って頂ければ……」
「そんなこと、ありません」
 ――ぱあっと、花が咲いたような笑顔で見上げられる。
「偉いですっ。……そうやって叱られたのは、すごく久しぶりで……っ」
「い、いや、それほどでもっ!」
 ぐはっ……俺は照れやすいので、褒めるのは勘弁してっ……。
「あ、ああっ! 一つ言い忘れてましたけど」
「はいっ?」
 照れ隠しのつもりで、最後に一つ、教えてあげる。

「どうしても断われなかったりしたら……その、誰でも頼っていいんですよ」

「まあ、そうですね、俺なんかでも十分でしたら、お気軽にどうぞ」

 いつかの廊下での会話が――よみがえる。
 赤面する。俺は……っ、何という、恥ずかしい言葉の羅列を……っ!
 両手で顔面を隠してしまいたい。
「う、生方先輩は……その話は、いたり先輩から、聞いたんですよね」
「あははっ! いたりが、嬉しそうに、もう君の言葉全部を」
 全部だって――っ!?
「随分と熱血さんだねえ、君は」
「い、いや、あれはそのっ……!」
 ぶんぶんと手を振ってみるが、言い訳がどうしても思いつかん。
「ぷ、ぷぷっ……べ、別に照れることはないじゃ――んっ! わたしは好きだけどね、
 そういうの、さ」
「そうですか……っ?」
 口元を手で隠されながらいわれたって、慰めにはなりませんけどね。くうっ……!
「本当ならそうやって言ってあげるのはわたしの役割だったんだけど……気弱だから、いたりは。
 ははっ、結局君に言われるまで言えなかったさ」
「で、でも……俺が言うのと生方先輩が言うのとは、また違うんだと思いますけどね」
 根本的に、積み重ねてきた彼女との時間が違うからな。
「結局言えなかったのなら、それも今更なんだよ」
「まあ、そうですけど……っ」
「とにかぁ――くっ! ほんと、君がいたりの彼氏になってくれて、わたしは安心しつつ
 嬉しいのさっ!」
 言いながら、背中を叩かれる。
 ――なんだか……途轍もない、罪悪感が、胸中で生まれた。
 生方先輩は、とても善い人だと思う。
 いたり先輩を思いやっていたから、こうやって、俺にありがとうと言うために、
 わざわざやってきたのだから。
 この笑顔を――それは違うんですよという俺の告白で、崩したくなんか、なかった。
「君は知ってたかなっ? いたりと君って、本人曰くすごく似てるらしいよ」
「似てる……っ? 俺と、いたり先輩が、ですか……?」
「いたりも片親だからね。なんか、他人みたいじゃない、らしいよ。
 ……ほとんど家では独りみたいだし」
 それは――知らなかった。そして、確かに俺と通じる部分がある。
「ああ、これは内緒だからねっ! それに比べて私は情けないなあって、いたりがぼやいてたから」
「は、はあ……っ」
 ははは……っ。普通は、言ってしまいそうなことだけどな。
 俺も昔は寂しかったから……酷く、理解できる。
「大事にしなよ――ぉ? まあ、なんかわかんないことがあったら、お姉さんに
 何でも聞けばいいのさっ」
 言って、一つのメモを渡される。
 綺麗な文字で、携帯のメールのアドレスが、そこには記載されていた。
「あ、はい……どうも、ありがとうございます」
「うむ。それじゃあわたしはそろそろ行こうかね……ああ、そうだ」
 ぽんと手を叩いて。
「屋上でお昼食べるの、やめたんだってね」
「――っ!」
 ぎくりと、胸が痛む。
「いたりも馬鹿だよねえ……っ。付き合いだした途端、誰かにばれるのが嫌だからって」
「え、ええ……っ。はい、まあ……」
「まあ、いちゃつくなら他でやれるもんね」
 ……俺は、最低の嘘吐きだ。
 生方先輩の、快活な笑顔を勝手に守りたいからって……っ。言わなければならないことを、
 結局先送りにしてしまっている。
 ――なんて……屑じゃないか、これ。先輩には偉そうに説教垂れて……
 自分がそういう局面に瀕したら、これだっ……!
「ほいじゃ、ちゃんとやるんだよっ。泣かしたらお姉さん許さないぜ――っ? ばきゅんっ」
 ばきゅんっ。
 それは拳銃を撃つジェスチャー。
 ……本当に撃たれて死ね。俺。
「はい……っ。わかって、ますよ」
「よぉ――しっ! 君を出来る子だと信じちゃいまぁ――すっ」
 こんな野郎は信じるべきじゃないと、叫びたかった。
 俺を引っ張ってきたときと同じ速度で――生方先輩は駆け、早々に去る。
 本当に……元気な、人だと思った。俺には、とても走る気力がなかったから。


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