甘獄と青 第3回
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 僕の目の前の女性は、確かに悪いことはしていない筈だ。しかし皆の為にしたことでも
 それが罪になることがある、その代表各が人類史上最悪の大罪人である彼女なのだろう。
 彼女が犯した罪は三つ。
・人類の数の固定。
・文明レベルの固定。
・彼女自身の不老不死化
 確かに人類の数の固定によって人工の増加や絶滅の可能性はなくなったし、文明レベルの固定では
 進化がない代わりに退化もなくなった。その部分では皆も納得しているところだが、
 利点にはそれに伴う裏の顔、弊害も必ず存在する。
 人口の部分では、素直に命の誕生を祝うことが出来なくなった。人が産まれるということは、
 それと同時に誰かが死んだという事実を認識させられる。逆に言えば、人が死んだときには
 命が産まれたことで、誰かが喜ぶことがあるかもしれないと思ってしまう。
 それを素直に受け入れることが出来なくなってしまったからだ。
 それに、偶発的に出産の予定も狂ってしまうのも悲しい現実だということになる。
 二つ目の文明レベルの固定では、もっと深刻だ。当時から不満に思われていた不備な点などが、
 永久に解消されないということになる。例えば当時の医療技術では治療出来なかったものが
 あるとして、後世の人間が治療方法を発見したかもしれない。その可能性までもが、
 失われてしまったのだ。
 どちらも償いきれない程の罪だが、しかし死刑にはされなかった。倫理的な問題ではなく、
 純粋に、単純に、物理的に、不可能だったから。

 それが、彼女の第三の罪。
 人類全てが恐れる由来。
「何で」
 僕は必死に声を絞り出す。喋ってもいないと、その存在に潰されそうになってしまうから。
 特に彼女は何をしている訳でもない、普通に椅子に座ってこちらを微笑んで見つめているだけだ。
 知力は普通の人間とは段違いな筈だが、体力も身体能力も並の人間と何一つ変わらない。
 それどころか攻撃の意思表示すら見られないのに、その存在だけで僕を震わせ、恐れさせる。
「何で、不老不死になったんですか?」
 自分でも、声がかすれているのが分かる。
 不老不死。
 本当にそうなのかは分からないけれど、他の二つの罪のレベルを考えると嘘とは言いきれない。
 しかし、そんな噂が存在し続ける時点で彼女は危険な存在だと分かる。まともな人間なら、
 そもそもこんな噂、伝説は人の間に流れたりはしない。
 僕が言えることでもないけれど。
「どうして、不老不死になることを選んだんですか?」
 少し考えているらしい彼女に向かって、再度尋ねてみる。
「そうね。確率のシステムを作ったのはわたしだから、かしら。皆が困ったときに、
 いつでも答えられるようにかな」
 答えは、あくまでも善意。
 だからこそ恐ろしい。
 行きすぎた善意は最早、薬を通り越して毒に変わっていく。その現象を誰よりも、
 他の何よりも表しているのが彼女という存在だ。不可抗力なのは否めないとしても、
 間接的に現在進行形で人を殺し苦しめ続けている彼女は、しかし悪びれた様子はない。

 しかし、他人は違う。
 だから、殺せはしない、まるで神のような彼女を恐れてこの都市に幽閉した。
「あなたは、そのシステムを作って後悔はしなかったんですか?」
「公開はしたけどね」
 まるで少女のように小さく笑う。
「度を越した罪なんて皆、そんなものよ。報われない、あなたもそうでしょ?」
「僕は報われたからこうなったんですけどね」
 あまり思い出したくないことを何百年かぶりに思い出して、気分が悪くなる。最後に見た
 その景色は夢の中でだが、今思い出しても鮮明に蘇ってくる。視界の中に入っているのは、
 華美な部屋の中で震えた少女と血まみれの男。床に転がる、赤く染まったナイフ。
 どれも、忌まわしいものだ。報われた筈なのに、辛すぎる。
 酷い頭痛を堪えるように、敢えて笑みを浮かべ、
「そうでしょうか?」
「あなたは違うの?」
 わざとらしく肩をすくめる。
「ところで、あなたは何をしでかしたのかしら。SSランクなら、かなりのものよね?
 リサちゃんは有名だけど、あなたには何故か制限がかかっていて調べられなかったの」
「人を一人殺しただけですよ」
「ならあたしの勝ちぃ、あたしは3000人だもん」
 今までの会話に入ってこられずに退屈していたらしい、やっと入れる話題が出来て
 嬉しそうにリサちゃんが割り込んできた。

 この無邪気な表情と声に反比例するような発言をされると、心が痛くなる。まだ幼い
 こんな少女がこれだけの罪を背負っているという現実は、遥か昔に存在していた地獄という言葉を
 連想させられる。
 僕は膝の上の少女の頭を撫でながら、
「それは言ったら駄目って、注意したでしょ?」
「ごめんなさい」
 途端にしょげた顔になる。
「あらあら、リサちゃんは凄いわねぇ」
「えへへぇ」
 嬉しそうに笑うリサちゃん。
「ところで、おねーさんは何人なの?」
「分からないわね、おねーさん馬鹿だから」
「ふーん」
 足をバタバタとさせながら愉快そうに笑う。
「ならあたしが一番だね」
「そうね」
 二人の間に流れる空気や表情は暖かいものだが、だからこそ違和感を感じる。
 美少女と美女の組み合わせは極上のものだが、交わされている会話は物騒なことこの上ない。
 この辺りが、やはり大罪人の精神なのだろう。
「もう一つ聞きたいんだけど」
 リサちゃんは愉快さを増した声でサラさんの手を取ると、
「本当におねーさんは死なないの?」
 愛おしそうに手の甲を撫で始めた。僅かに潤んだ瞳は独特の熱を持ち、呼吸も荒くなっていて、
 感情が乱れているのが一目で分かった。幼いが故に隠そうともしない、
 その突然乱れた空気のままサラさんと目を合わせ、
「そうなの? そうなの?」
「詳しいわね。偉い偉い」
 もう片方の手でリサちゃんの頭を撫でながら、
「試してみる?」
「うん!!」

 この異常な空間を決定的にしたのは、この一言だった。その言葉を合図にするようにリサちゃんは
 軽く身を乗り出し、いつの間に抜いていたのだろう、僕がいつも護身用にナナミに持たされている
 大型ナイフをサラさんの手の甲に突き立てた。どこでずれてしまったのか、
 それとも最初から噛み合ってなかったのか、先程以上に気分の悪さを感じながらも
 僕はその光景から目を離せなかった。
 しかし、ふと違和感に気が付いた。こんな光景で違和感という単語は正しいのか分からないが、
 どこかがおかしい。少し考えて、すぐに答えは出てきた。異常な出来事の中の異常が、
 目の前にあった。
「きゃははは…あれ?」
 リサちゃんもすぐに気が付いたらしい。不思議そうな表情をしてナイフを突き立てたまま
 横に引くと、
「血が出てない」
 それどころかサラさんの手には、傷一つ付いていない。まるで何事も無かったかのように
 微笑んだまま、その手でリサちゃんの頭を軽く撫でた。
 どういうことだ。
 システムを使ったのなら空間に痕跡が残る筈だが、それすらも存在しない。
「何で? 何で?」
 リサちゃんは不思議そうにその手を撫でたり眺めたりしているが。口には出さないけれど、
 僕も自然と態度に出ていたらしい。サラさんと目が合って、漸く僕は不躾に眺めていたことに
 気が付かされた。
 説明をしない代わりに、サラさんはリサちゃんの髪を撫でる。よほど気に入ったのだろう、
 さっきからサラさんはリサちゃんの頭や髪を撫でてばかりだ。その表情には後ろ向きな感情は
 欠片も見られず、純粋に可愛がっているように見える。
 その行為を数分続けたあと、不意に悲しそうな表情になり、
「あのね、おねーさんは死なないんじゃないの」
「そうなの?」
「死ねないのよ」
 呟くように言った。


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