甘獄と青 第4回
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 青様からの通信を切り、私は軽く瞼を閉じました。視界を閉ざすのならば視覚素子を遮断する
 という方法もありますが、敢えてそうしないというのは何故でしょう。
 心だよ。
 この方法を教えて下さったとき、青様はこの一言を私に伝えました。
 それがとのような意味を持つのかは結局教えてくれませんでしたが、
 その表情はとても悲しいものでした。
 あの事件がどのような影響を与えたのか私には分かりませんが、それが原因だったのでしょう、
 それだけは理解が出来ました。
 いけません。
 私は思考を切り替えると、料理を再開しました。一人増えると言っていた人物は、
 どのような人なんでしょうか。その日に出来たご友人を招待するということは、
 今までに見られなかった行動なので、疑問がいくつも残ります。
 そもそもご友人を招くこと自体あまりなさらないので、特別扱い、ということなのでしょうか。
 最近招く方といえばリサ様ばかりでしたので、他の方も招くというのは
 喜ばしいことではあります。その分、心も快方に向かっているということですから。
 こころ。
 私には、よく分からない単語です。人格、と表現をするよりも、心、というものを
 機械に与えた知恵人形。普通の知恵人形ならばこの概念を理解できるのでしょうし、
 説明も可能なのでしょう。しかし、思考回路との接触が上手くいかない、
 言わば不良品である私には未知の領域です。

 だから、良いんだよ。
 心の説明を求めたとき、青様はそう言いました。お前は心が分からない、
 だから、ここに来るときにお前を連れてきたんだ、と。
 結局、最後までその意味も教えていただけませんでしたが。
 いけません。
 最近は思考のノイズから、よく飛び火することが多いです。そろそろ、修理時なのでしょうか。
 8世紀以上駆動しているのですから、バグが多くなるのも無理はないかもしれませんね。
 それでも私を使用していただけるのなら、名誉ではありますが。
 お肉をオーブンに入れ、再び目を閉じます。
 データ管理層にアクセス‐許可
 タイマーを現在時刻から一時間後に設定‐確認
 一区切りついたので、椅子に座り室内を見渡しました。装飾に不備はなく、
 自分でもなかなかの出来だと思いますが、喜んでいただけるでしょうか。
 喜ぶ。
 これも心が示すものの一つですが、私には理解の出来ない概念です。青様は、それでも良い、
 それだから良いといつも言われますが納得が出来るのはいつになるのでしょう。
 8世紀以上、約9世紀に渡って考えていても、結局答えが出てこないのは、
 やはり欠陥品だからでしょうか。
 思考レベル2に切り替え‐許可
 癖、というものでしょうか。ここ最近、と言っても50年程ですが、青様が居ないときに
 よくこうしてしまいます。考えることはいつも大体は決まっていて、
 青様と初めて会話したときに抱いた疑問である心についての疑問と、
 私を使っていただいている理由です。

 特に、故障が多くなり始めたここ30年間は後者が高い比率を占めています。
 只の欠陥品なのではなく、故障も多くなり始め、ここ数年は修理に出されることも
 少なくありません。普段から不備も多く、他の知恵人形に比べると態度もあまり良くないと
 自覚できる程で、もしも私が青様の立場なら使いたいとは思わないでしょう。
 それどころか直ちに廃棄しようと思いますし、現に何百年もそう言われている立場では
 ありますが、自分自身納得の出来る発言だと思います。しかし普段からそう明言されているのに、
 何故、私は廃棄をされないのでしょう。
 特殊データ管理層第七番へアクセス‐許可
 適合ケースの検索開始‐許可
 いつものように理由を探し始めましたが納得のいくものは存在せず、答えとしては
 廃棄のみが残りました。該当するものも逝くつか存在しましたが、
 恐らく青様には当てはまらないものばかりですので自動的に却下されます。
 何故。
 これも、心というものに起因するものなのでしたら、それは私には分からないものです。
 どんな感情が、どのように働いてそうせているのか、いつも最後はこの部分に行き着きます。
 一般に定義されている知恵人形の幸せはこの答えに当てはまるのでしょうが、
 未だに答えを証明した知恵人形はどこにも存在しないので理解自体が無理なのでしょう。
 思考レベル通常モードへの切り替え‐許可

 いつも通りに思考の泥沼へと入りかけたところで引き返し、立ち上がります。
 瞼をゆっくりと開き、視界に入り込んでくるのはいつもとは少し違う室内の風景。
 青様の誕生日を祝うための、装飾された部屋。
 これも、心。
 これだけではなく、古今東西のあらゆる祝事では会場を飾りたてますが、
 それも心が関係しているのでしょう。確かに飾りつけによって通常とは違う空間を
 作り出したりすることは、差異を持たせるには分かりやすい方法ですし納得が出来ます。
 しかし、何故それだけで皆様は笑みを浮かべるのでしょうか。
 私には分からないことだらけです。
 青様の癖が移ったからなのでしょうか、私は軽く頭を振るとキッチンへと向かいました。
 嗅覚素子は、お肉が丁度良い状態になっていることを示していますし、
 足音と共に頭部の中で響くアラームは、手早く仕事をすることを求め急かしています。
 熱量探知素子を遮断‐許可
 この方法をすることを青様はあまり好まれませんが、鬼の居ぬ間に何とやらです。
 熱が伝わる刺激でミスをするよりは大分良いと思うのですが、青様は熱いものを平気で持ち、
 人工皮膚が傷むのを見ると悲しそうな表情をなさります。
 これも、心が原因ですね。

 今日だけで、何度この単語を使ったのでしょうか。一人になると使い、
 考える回数が飛躍的に上がるこの単語は不思議な力を持っています。
 それこそ心の概念を理解出来ない私でも、これまで稼働してきた時間では
 何回使用したかを数えるのも不可能な程です。普通の知恵人形や人間では、
 その言葉に対する気持ちはその比ではないでしょう。
 異臭を感知‐嗅覚素子を遮断します
 熱量を感知‐熱量探知素子を駆動させます
 傷みを感知‐マニュアルに基づき障害から離れます
 鈍音。
 再び思考の泥沼へと入り込んでいたようです。思考をしながら鉄板を持ち上げた際に
 肉汁が手にかかっていたらしく、視線を向けると人工皮膚の表面が軽く溶けていました。
 その上、安全回路のせいで鉄板を落としてしまい床が酷いことになっています。
 お肉が床に落ちなかったのは幸いですが、それよりも思うのは自分の不備のことです。
 もう、潮時なのでしょうか。
 いけません。
 無駄な思考を放棄し、やるべきことへと目を向けます。
 データ管理層にアクセス‐現在時刻を確認
 青様が戻ってくるまではあと数分程ですが、問題はありません。
 手早くお皿へローストビーフを移し、会場のIHコンロのスイッチを入れ、掃除をして。
 それをこなすと、玄関へと向かいました。予定よりは少しばかり遅れましたが、
 十分許容範囲です。
 数分。
 ノックの音が響き、覗き窓から確認をすると青様が居ます。それは問題ないのですが、
 隣に立っている方は、今日出来たというご友人でしょうか。
 特別扱いの。
 視線をそちらの方へと向けると、
 黒い3つの首輪の、女性。
「今、開けます」
 その首輪の意味を理解すると、私は武器を手に取りました。


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