紅蓮華 後編
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 バラはその色によって様々な花言葉を持ちます。
 白、黄色、赤、ピンク。更にはバラの今の状態によっても伝わる想いは変わってしまいます。
 バラを送るときは、その花言葉を参考してみるのも良いかも知れません。

 ――さて、今夜あなたに送るバラは……何にしましょう?

「ん……ぇ……?」
「あ……目、覚めましたか?」
 先輩はパチパチと数回まばたきすると、朧気そうな意識のまま、ふわふわとした視線で
 自分を見下している存在を怪訝そうに見つめています。
 手をロープで後ろ手に組まされ、そのロープで足も椅子に固定され、私を見上げるその姿は、
 まるでこれからおろされようとしている小汚い豚みたいです。
「おはようございます……くすっ、もう真夜中ですがね」
「え……あ、え……?」
 状況を把握できず、辺りを愚かしくあたふたと見回す姿にはもう以前の凛としていて
 尊敬していた先輩の影すらありません。
「あなたのお家がそんなに珍しいですか?」
「あれ……桜木くんはぁ?」

 ――ピキ
 身分不相応にもおにいちゃんの名前を吐く雌豚に私は大きく右手の掌を掲げ、
「まだ寝ぼけてるみたいです……ねっ!」
 そのまま振り下ろし、小さな一室に軽音を響かせます。
「っっ!」

「寝ぼけ、とれました?」
 痛々しそうに頬が赤く熟れ、ようやく自分の置かれている状況に気付いた雌豚は
 信じられないといった表情で私を眺めます。
「か……れん……?」
 私は雌豚に対してただ冷たい目線を浴びせ続けながら、
「ウラギリモノ……」
 ぽそりと、静かに呟きます。
 それに面白いように反応した雌豚は、突然寒気が走ったのか、一度身体を大きく震わせました。
「かれ……っ!? ……桜木くん? 桜木くんはどこっ!?」
「ベッドに寝かせてあげたままですよ……」
 そう告げると、雌豚はほんの少し安堵の表情を見せました。
 なんのつもりですか? 雌豚がおにいちゃんを心配なんかして……。
 おにいちゃんを心に浮かべて良いのは私だけなのに。
「助けを呼ぼうとしても無駄ですよ? 少し強力な即効性の睡眠薬を飲ませてありますから、
 しばらくどんな騒音があっても起きてはこないでしょうね」
 苛立った私は無愛想に、助けを呼ぶ事ができない孤立した状況であることを説明しました。
 おにいちゃんに近付く雌豚のために用意した睡眠薬だったのに、おにいちゃんに使う事になるなんて、
 思いもよりませんでしたよ。
「まぁそれでなくても、おにいちゃんはお疲れだったみたいですし……ね?」
「ちが……っ! 違うの華恋!」
「何が、どこで、どう違うのですか?」
「それは……」

 未だ自分の立場に狼狽する雌豚に思わずくすりと笑みが零れてしまいました。

「あなたがおにいちゃんと……。私の大切な、大好きな、優しい優しいおにいちゃんと、
 セックスしたことが違うのですか? そんなこと、言いませんよね? おにいちゃんの大切なものを
 奪っておいて、なかったふりするなんて」
 もしそんなことをするつもりなら、今すぐ殺してあげます。
 まぁ、どちらにしろいずれ……ですけど。
「おにいちゃん、凄く痛かっただろうなぁ、あんなにシーツに血を染み込ませちゃって。
……あはっ、ふふふふふ……どうでした? おにいちゃんの純潔の……お・あ・じ・は?」
「さ、桜木くんの純潔? なに言って……」
「独り占めにしようだなんてズルイと思いません?」
 雌豚風情が……ねぇ?
 私は見せ付けるように雌豚の目の前に、鮮やかな紅に染まった粘着質の液体が付着した指全体を、
 糸をひかせるように擦り合わせました。
 それを見て、羞恥に震えるようにしていた雌豚を気にも留めず、そのままゆっくりと
 口にそれを持っていきます。
「あむ……んぅ……ぴちゅ」
 あぁ……おにいちゃんの純潔の血……。
 おいしい、おいしい鉄の味……。おいしくて、ちょっぴり苦くて甘い。
 ふふ、あはっ、あはははははは――!
 これがおにいちゃんの味なんだぁ……。
 これが、この味が、そうなんですね?
 この味を、目の前の、この雌豚は味わったんですね?
 ……うっ、想像しただけで気持ちが悪くなります。

「華恋……あたしは」
 雌豚は馬鹿の一つ覚えみたいに相変わらず弁解しようとしています。
 全く、本当に……。吐き気がするほど……。
「ほんとにあなたって……きたなぁい」
「……!!」
「友達面して私に接して相談に乗るふりをして内心小バカにしてたりおにいちゃんは
 友達以上の存在じゃないなんてうそ吐いて騙したりして私を信用させるなんて大した策士ですね
 それだけでもおにいちゃんに近付くための卑劣で下劣な手なのに最後にはおにいちゃんを誑かして
 襲っちゃったりして……」

 心の中では私の事なんて報われない想いをする変態妹ぐらいに思っていたんでしょうけど……。
 あはっ……誰がその程度の存在なんかで終わらせてあげるものですか!

「この薄汚れた、淫魔! 雌猿!! 雌豚!!! 泥棒猫!!!!」

 お前なんかに、おにいちゃんは渡してあげない。
 あの人の隣にいるのも、あの優しさを受けるのも、頭を撫でてもらうのも、
 髪に紅いバラを挿してもらうのも、全部、全部私だけです。

 だけど雌豚は私の言葉にいちいち大袈裟に首を振りました。

「違うわ! あたしは華恋のことをそんなふうに思ってないし、桜木くんのことを誑かしてもない!」
「言い訳はもう――」
「桜木くんは……今日やっと……あたしのこと『愛してる』って言ってくれたんだもの!」

 ――……瞬間、部屋は静寂に包まれました。

 ……………………。

「あはっ……くす、くすくす……あははははははははは!!!!」
 お腹の底からこみ上げてくる色んなものが詰まった空気を耐えることができず、
 笑いという形で噴出してしまいました。
「か、華恋……?」
「妄言も良いところですねぇ……せんぱい?」
 あなたなんかが、あなた如きが……。
 あなたがどれだけの時間、あの人と一緒にいたと言うんですか?
 あなたがどれだけの間、あの人の優しさに触れてきたと言うんですか?
 あなたがどれだけの強さで、あの人を想っているというんですか?
 どれだけ隣にいて、悩んで、苦しんで、ときめいて、幸せを感じて、愛してきたというんですか!!?
 ふざけないで下さいふざけないで下さいよあまりふざけないで下さいねまったくふざけないで
 ふざけないでふざけるなふざけるな――。
「ふざけるなっ!!!」
 あの人を本当に愛してるのは私だけ、あの人が本当に愛してるのも私だけ。他の誰でもないの、
 ましてやあなたなんかじゃ絶対ない。

 ……なんでこんな女を信用してたんだろう?
 おにいちゃんがこの女に告白して、振られて、その傷ついた心を癒してあげようと思ったのに……
 結局、心を傷つけられたのはこっちだった。
 ――それも最悪な状況で。

「あたしだって、ずっと桜木くんのことが好きだった」
 そんな言葉、反吐が出ます。
「あなたに相談されたとき、どんなにあたしが苦しんだか分かる?」
 そんなの知りたくもありません。
「それでもあたしは、諦めようとしたわよ」
 それならどうして……?
 あなたは、お前は私をウラギッタのですか?
 怒りと悲しみと憎しみと深い深い嫉妬がぐちゃぐちゃに混ざって瞳から流れ、視界が揺らめいてきます。
「だけど諦められなかった……その気持ちは、あなたにも分かるでしょう?」
「煩いです」
 雌豚を強く睨みながら、私は青いシートを敷いた床から純白の花束を拾い上げます。
「華恋……兄妹で結ばれたって……幸せになんてなれないよ」
「黙りなさい」
 そんなのあなたが決める事じゃありません。
「あなたがどんなに桜木くんを愛してても……」
「黙りなさいと言ってるんです」
「桜木君の隣に――」
「煩い……うるさい」

「あなたはいない」
「黙れっ!!!!!!!」

 私は、激昂のままに先輩に花束を『突き立て』ました

 ――――アカ
 幾数にも重なり、包み込むように蕾を中心に展開している白いバラの花びらのその一つ一つに、
 じわりじわりと、アカが染みていきます。
 それはまるで最初からアカいバラだったように――。
 私は先輩のその茫然自失した表情に、自分の顔が愉悦に歪むのを感じました。

「え……あぁ……?」
「ふふっ、あはっ、ふふっ、ふっ、ふふふっ……」
 ほんとぉに汚い――血ですね?
 おにいちゃんのとは大違い。
「かれ……な…………?」
 アカに濡れた花束から、同じアカに濡れて不気味に光る包丁を取り出してみせます。
「凄くいい包丁を使っていますね? やっぱり一人暮らしだと自炊が上手くなければ
 いけないんでしょうね」
「な……に、言って……げほっっ!!」
 あ、また血を吐いて……ほんとにシートを敷いていて良かったです。
 こんな汚い血で床を汚しちゃいけませんよね。それに――。
「あはっ、凄い量」
 花束がびしょびしょです。
「あ……あ、あ……」

 もう声も掠れ始めた先輩を尻目に、包丁を捨てて、鮮血に染まった花束を丁寧に持ち直します。

「ねぇ、先輩、おにいちゃんの隣に私はいないって言いましたけど」
 ……だからなんですか?
「隣に居られないなら……障害物を取り除いてでも走って追いつくまでです」
 あの人の隣は私のものなんですから。
「例え追いつけなくても、おにいちゃんは必ず私を見つけてくれます」
 いつ、どこにいても。
「だって、私の髪には目印があるんですから」

 ――真っ赤な、赤いバラがあなたに見えますか?

「くすっ、はい、誕生日おめでとうございます」
 言い終わって気の済んだ私は、必死の形相で私を見つめる先輩の膝に、花束を置いてあげました。
「本当は良い具合に染まったらおにいちゃんにあげようと思ったんですが……これじゃあ、
 ただ赤黒いだけですからね」
 知ってますか? こんな感じの色のバラの花言葉。
 あはっ、実は私も良く覚えてません。憎しみだとか恨み……でしたっけ。
「あれ? 先輩? 嬉しくないんですか? …………」
 あぁ、もう聞こえてないみたいですね。
 ぐったりと力尽きている先輩の手足をロープから解放してあげます。
 手足がだらんと垂れ下がり、アカに身体を染めるその姿は少しだけ……。

「綺麗ですよ、先輩」

 そう感じました――。


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