「ほら、ここはアンタのおごりだ。好きなの頼め」
「そうですか――って、あれ?」
何かおかしくないか? と思った直後には、言い出しっぺが果実酒を頼んでいた。
「あー。それじゃあ、エールをお願いします」
駆けつけ一杯。
これからする話は、あくまで酒の席で出てしまった話。
そう言われたからには、まず何かしら飲まなければ。
「なにションベンなんか頼んでるんだよ。
あー、マスター。この店で一番強いやつ頼むわ」
「ちょ、自分は果実酒のくせに何言ってるんですか!?」
「うるせえよユウキ。とにかく飲め。いいから飲め。
――でないと、真面目な話を始められん」
真面目な話なのにお酒を入れるのはどうかと思うが。
まあ、それがこの人の流儀なのだから仕方がない。
「でも、ひとつだけいいですか?」
「あん? 何だよ」
「なんで、ゲイバーで真面目な話をしなくちゃいけないんですか!?」
――ゲイバー“ナインテイル”。
帝都中央南部に位置するこの店は、今日も今日とて出会いを求めた同性愛者が集っていた。
「いや、だってここ、アタシの行きつけだし」
届いた果実酒をぐい、と軽くあおってから、あっけらかんと言い放つ。
「ノーマルの僕が来ちゃ他の人に失礼な気もしますが……」
こちらはロックをちびりと含む。うへえ、キくなあ……。
「いーんだよいーんだよ。
だってお前、後ろは開通済みだしな」
吹いた。
ああ、お店の人、ごめんなさい。
「あらあら、ユウキさん、経験済みだったんだ。
悔しいなあ。私がはじめてを貰いたかったんだけど」
「残念だったなマスター。こいつの尻はアタシが掘削済みだ」
「ちょ、大声で何言ってるんですか貴方は!」
「えー。でもお前の尻掘ったのは本当じゃん」
「思い出させないでください」
グラスを一気に傾ける。かあっと顔が熱くなるが気にしない。っていうかやってられない。
「しっかし、帝都でも噂の美青年、ユウキ・メイラーの初めての相手が、まさか“銀の甲冑”とはねえ」
ああああああああ。
噂にならなければいいけど……。
「なに、しけたツラしてんだよ。
アタシ行きつけの店なんだから、そうおしゃべりなマスターでもねえよ」
「うんうん。信用してくださいな」
いや、僕は貴女の心配をですね……。
って、いちいち心配する必要もないか。
僕の先輩で、今は帝都近衛隊の隊長を務める、“銀の甲冑”ことアマツ・コミナトは、
多少変な噂が流れたところで、その名声が曇ることなんて有り得ないだろうし。
見目麗しき美女としか言い様のないこのお方。
甲冑を着込んでいるときは、冷静沈着な近衛騎士なのに。
ひとたび鎧を脱いでしまえば、たちまちエロ中年親父風美女になってしまうから驚きだ。
ちなみに趣味はゲイバー通い。
アマツさんは男性ではないが、とある事情から、ゲイバー側も拒否することはない。
まあそれはそれとして。
「それで……いきなり仕事上がりに引っ張ってきて、用件は何なんですか?」
「ああ、それなんだがな。ちと、お前の耳に入れておきたいことがあるんだ」
「“怪物姉妹”、ですか?」
「ああ。姉が血塗れ竜と、妹が異色少女と、それぞれ戦うことが決まった」
「はあ。……でも、それをどうして僕に?」
僕は白の付き人だが、対戦相手が誰であろうと大して気にならなかったりする。
何故なら、白は、誰にも負けないだろうから。
彼女の強さは――僕が一番、知っている。
「その姉妹なんだがな。ちと出所がよろしくないんだ。
お前、ビビス領の、イナヴァ村って聞いたことあるか?」
「……イナヴァ? ――って、“あの”イナヴァですか!?」
「ああ。50年ほど前まで戦闘諜報員の名産地だった、イナヴァ村だ」
「でも、あの村は……もう、潰れてたはずですよね?」
「謀反の疑いを引っかけられてな。
まあ、戦争が終わって久しいんだから、それくらいは仕方ない。
問題は、村人は細々と生き残っていて、今でも怪物作りに余念がなかったってことだ」
「…………」
ごくり、と唾を飲み込んだ。
「で、半年前にビビス公爵が生き残りを発見して、秘密裏に潰すことになってたらしいんだが。
――そこで、イナヴァ村の連中、ある取引を持ちかけたそうだ」
「取引……?」
『自分たちはまだまだ使える。
この姉妹で、確かめて欲しい』
「だってさ。ビビス公爵のサドっ気を刺激した、いい取引だと思うぜ」
「……それは……あの方なら、断らないでしょうね……」
「で、ビビス公爵が出した条件が、最強の囚人、血塗れ竜に勝つことだそうだ。
妹の方の相手は未定だったんだが、先日丁度いいのが現れたから、ぶつけてみることになった、と」
「なるほど……」
村の存亡を賭けての試合、か。
それは、きっと死に物狂いで挑むだろう。
「で、だ。連中としては、血塗れ竜には絶対に勝ちたい。
しかし、その強さは嫌というほどわかってるだろう。
だから――勝率を上げる努力をしてくる可能性が高い」
「努力?」
首を傾げつつも、おぼろげながら、ピンときた。
「血塗れ竜の弱点探し、だよ。
都合の良いことに、王者のことをよく知る付き人がいるしな」
「だから、気を付けろ、と?」
確かに、僕は白の強いところも弱いところも知っている。
そう簡単に漏らす気はないが、油断はできない。
「ああ。でもまあ、流石に王者の付き人を拷問にかけるだとか、そこまではしないだろうが――」
と。
アマツさんはそこで何故か、一息区切って。
「――連中、ベッドの上も達者らしいぞ。
諜報員として、かなり仕込まれてるみたいだ」
「……はい?」
「だ、か、ら、夜の拷問だよ。ベッドの上で色々吐かせるのとかが、とんでもなく上手いらしい」
情報とか溜まってるのとかな、と。
エロ中年親父風美女は、ニヤニヤ笑ってのたまった。
……真面目に聞いて損した気分だ。
でもまあ、用心に越したことはないだろう。
手段はどんなものでも、それが白の不利益になるのであれば、絶対に避けないと。
ただでさえ、白は右腕を負傷しているのだ。
あの白が負けるとは思えないが――大怪我してしまうかもしれない。
「教えてくれてありがとうございます。
お礼に、アマツさんの分も僕が払いますよ」
「へ? 最初からそう決まってたじゃないか」
「……まあ、いいですけど」
外は、すっかり暗くなっていた。
――少し飲み過ぎた。
足下がおぼつかない。
アマツさんは、あれからいくらか飲んだ後、本当に僕払いにして、そのままさっさと帰ってしまった。
怪物姉妹の名を聞き忘れたが、とりあえず身辺に気を付けていれば充分だろう。
「うー。ぐらぐらする……」
しばらく夜風に当たって頭を冷やすかな。
どこか一休みするのに良い場所はなかろうか、ときょろきょろ周囲を見回していたら。
ふと。
一人の女性が、目に付いた。
髪は腰まで伸びた純粋な漆黒。
流れるようなその美しさに、思わず息を呑んで立ち止まる。
服も黒く、合間に見える白い肌が艶めかしい。
高めの身長。きっと、背伸びすれば僕と同じくらいになるだろう。
長身の黒髪美女が、夜の街に、一人佇んでいた。
その表情は、どこか不安げなもので。
垂れ目気味の穏やかな目元を、心許なそうに歪めている。
何か困っているのかな、と。
お酒で少々気分の良くなっていた僕は、ひょこひょこ近づき、気軽に声をかけていた。
「あの、何かお困りですか?」
「――っ!? わ、わたしは、お小遣いなんて持ってませんよ!」
「……はい?」
…………。
変な人に、声をかけてしまったのかもしれない。
「本当にすみません!
せっかく親切心で声をかけて頂いたのに、私ったら、追い剥ぎさんと勘違いしちゃうだなんて」
「気にしなくていいですよ。
よくあ――ることではないと思いますが、まあ、不慣れな場所では仕方ないでしょう」
「……そう言って頂けると、助かります……」
女性が、ションボリと頭を下げる。
顔や佇まいはとても大人びているのに、出てくる言葉は子供っぽい、不思議な人だった。
最近、帝都にやってきたらしく、入り組んだ南部の街並みに吸い込まれて、
見事迷子と相成ったそうである。
……僕より年上に見えるんだけどなあ。
「宿は、中央西部の“オックス”でいいんですよね?」
「はい。セっちゃんが確かに、そう言ってました」
「妹さんとは、どのあたりではぐれたんですか?」
「えっと……んっと……店がですね、こうずらーっと並んでて、猫さんがニャーと鳴いていたところで」
「……迷ってないといいですね、妹さん」
「大丈夫ですよー。セっちゃん、私なんかと違って、
迷子になったことなんて一度もないんですから。
私は、3日に一回は迷っちゃいますけど」
「そうですか……」
なんというか、見た目は随分美人なのに、中身は妙にアレである。
酔った頭では上手く形容できないが――まあ、アレだ。
そのまましばらく。
夜道を二人で歩きながら、どうでもいい世間話を適当に繋げていた。
しかし、見れば見るほど美人である。
こんな人の隣を歩けるなんて、今宵の自分は運が良い。
酒の席に誘ってくれたアマツさんに感謝せねば。
先程から話に何度も出てくる妹――セっちゃんとやらも、姉がこれなら十二分に美人だろう。
美人姉妹、か。世の中には色々な人がいたもんだ。
やがて、彼女が泊まっている宿に辿り着く。
「ああ、ここですここ! 本当にありがとうございました!」
きゃいきゃいとはしゃいでいる。無事に帰れたのがそんなに嬉しいのだろうか。
「初めてセっちゃんに連れ戻されずに帰ることができました!」
……妹さんには、深く同情しよう。
「じゃあ、僕はこれで」
そう言って、帰ろうとするが。
「あ、お礼にお茶でも如何ですか?
なんというか、私の感動の第一歩を手伝ってくださったのですから、
その、何もせずに帰すというのは私の沽券に関わります!」
気にする沽券があったのか、と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。
「……いえ、お構いなく」
「いえいえ! 何もせずに帰すというのは故郷の名折れ!
――そうだ! でしたら今度は私がお送りします!」
「お茶を頂いていきます」
即答した。
「そうですか。それではどうぞー」
にこにこしながら、女性は宿の中に入ろうとして――そこでふと振り返った。
「そういえば、自己紹介してませんでしたよね。
――私、ユメカっていいます。送ってくださって、本当にありがとうございました」