とらとらシスター 第34回
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 いつもより遅く目が覚めた。時計で時間を確認するまでもなく、高く上がっている太陽で
 もう昼に近いことが分かる。原因は多分、昨日の夜がいつもより激しかったからだろう。
 僅かに残る倦怠感を引きずりながら居間へと向かった。
 設計上長めの廊下を歩きながら思うのは、昨日虎徹ちゃんに言ったこと。
 計画を有利に進めるために言った、サクラちゃんへの恩赦のことだ。
 そのときはあたしの安全のことを考えてあんなことを言ったけれど、あたしの本心の部分は
 どうだったかと聞かれてみれば少し答えにくいものになる。
 まずあたしの心の方について、殆んど考えていなかった。けれども思い返してみれば、
 意外に当たっているかもしれないのだ。そもそも計画は虎徹ちゃんを安全に手に入れる為に
 たてたものだった。それは裏を返してみれば、虎徹ちゃん以外の部分は何も変わらないように、
 というものがある。
 例えば、青海ちゃん。彼女が殺されたのは悪い事故だと思ったのは事実だし、厄介だと思った。
 面白いと思いながらもやりすぎだとも思ったし、そもそも殺さないようにサクラちゃんを扇る量を
 調節していたのは殺さないようにする為だった。つまりは死ななくても良い、
 寧ろ死んでほしくないと思っていたということだ。

 例えば、パパとママ。虎徹ちゃんとの行為が表に出ないようにする方法なんていうのは
 幾らでもあるし、何かあっても誤魔化すことなんて簡単だ。虎徹ちゃんと関係を持つ前は
 それこそ毎日布団に潜り込んでいたのだから、一緒に寝ていたという一言で済む。
 しかしそんなことをせずに、夜中にこそこそと誰にも分からないように虎徹ちゃんと
 セックスをして、それが終わったら自分の部屋へと逃げ帰るのはどこか滑稽な感じがする。
 そう自覚をしながらもこの方法を取り続けたのは、両親に対しての躊躇いや日常への気持ちが
 心の片隅に有ったからではないのだろうか。
 そして、サクラちゃん。サクラちゃんが虎徹ちゃんに対して持っている気持ちを知りながら
 それを利用したのは、それがサクラちゃんにとってとても大切なものだと理解をしていたから
 ではないのか。酷い話だとは自分でも思うけれども、それでも最後には日常へと戻そうと
 思っていたこと。つまりは切り捨てずに、いつものサクラちゃんに戻そうとしていたのは、
 サクラちゃんも大切に思っていたからなのではないのか。やりすぎにならないように
 仕向けていたのは、その最たるものだ。
 そこまで思い至って、不意に笑いが漏れてきた。もう計画も終盤、終わりまであと少し
 だというのにやっと気持ちが追い付いてきた。しかも自分の発言や行動を省みて、
 やっと気が付いたようなものだ。その上、それは自分の行動を少しでも良く思わせたいような、
 言い訳とも偽善ともとれるようなもの。

 逃げられない。
 何せ、昨晩から比べると気持ちは大きく違うし、やったことはどうしようもない程酷いのだから。
 逃げることなんて不可能だ。
 これが罰というようなものなのかもしれないね、と思いながら居間の襖を開いた。
 今の時間なら誰か居そうなものなのに、そこには人の影は見当たらない。
 パパは昨日の夕食のときにまた出張だとぼやいていたから分かるけれども、
 他の三人はどうしたのだろうか。
 いつもより広く感じる不思議な雰囲気で人が居ないということを思いながら、座布団に座った。
 寂しさよりも静かさをまぎらわすようにテレビを点け、お茶でも飲もうと急須に
 手を伸ばしたところで気が付いた。
 書き置き。
 お茶の葉を入れ、ポッドからお湯を注ぎながら読んでみると、青海ちゃんの家に呼ばれたので
 虎徹ちゃんと行ってくるという旨が書いてある。彼氏だった虎徹ちゃんは当然行くとして、
 サクラちゃんはどうしたのかと思ったけれど、すぐに止めた。もしサクラちゃんも呼ばれたのなら
 あたしにも声が掛る筈だし、逆に自発的に、というのは多分ありえない。
 虎徹ちゃんも今は悩んでいるだろうから、指名もきっとない。
 このまま、何事もなければ良いのに。
 つい先程確認した気持ちで考える。

 もう少し読み進めてみると、台所におむすびを置いてあると書かれていた。立ち上がり、
 数歩程歩いてみるとテーブルの上に大きめのお皿が置いてあり、握られた白飯が
 少し多めに置いてある。綺麗にピラミッド型に置かれたそれは誰も手を付けていない証拠だ。
 サクラちゃんも、食べていないのかな。
 幾つかをお皿に取り分けながら考えて、居間に戻る。最初はサクラちゃんは
 作っている途中に食べたのかと思ったけれども、それはおむすびを見て違うと分かった。
 ママが作るものとサクラちゃんが作るものは大きさが違い、今詰まれているものは
 ママが作ったときの大きさだ。背が高く、それに比例するように長い指で作られたそれは
 パパの好みに合ったもので、逆に身長と同じく小さな手で作るサクラちゃんのおむすびは
 虎徹ちゃんの好みに合わせたもの。単純なものだからこそ、それぞれの差が出てくる。
 面白い。
 気持ちを自覚したあとの目線で見てみると、色々違ったものが見えてくる。思い返してみれば、
 気が付くことも結構多いものだ。自分ではよく取り柄がないと言っていたけれども、
 料理はその辺りの店よりずっと美味しい。純粋な技術だけじゃなく、家族に合わせて
 作っていたからだ。ただ虎徹ちゃんの好みに合わせるだけじゃない、最近だと暑くなってきたから
 味付けを濃くしたりと、皆に気を遣っていた。それだけじゃない、あたしも髪や肌に
 気を遣っているけれどもサクラちゃん程に綺麗じゃない。

 良いところを一つずつ思い浮かべながら、おむすびを口に運ぶ。
 ママには悪いけれども、サクラちゃんの方が美味しい気がした。
 もう一口食べようと思ったところで、不意に襖が開く音がした。考え事に夢中になっていて
 気が付かなかったけれども、人が居たらしい。今、家に居る人は消去法で簡単に答えが出てくる。
 どうやらどこかに出掛けたと思っていたけれども、単なる寝坊だったらしい。
 そのことを少しおかしく思いつつ、これからの為にどうしようか考えながら振り向いた。
 すっかり愛しくなった妹を見て、
「サクラちゃ……」
 ん、という言葉は言えずに止まった。視界に入ってきているサクラちゃんの姿を見て、
 言葉が続けられなかった。いつも綺麗に下ろされていたストレートの髪はぼさぼさになっていて、
 一晩泣いたのか瞼は腫れ、眼球は赤く染まっている。瞳に宿る色は悲しみや諦めなど
 色々浮かべているのに、怒りなどというものは一切浮かべていない。細い体は細かく震えいて、
 今にも崩れそうになっていた。着ている寝間着に皺やよれがないせいで、それはどこか
 ちぐはぐに見えた。
 しかし、大事なのはそれだけじゃない。
 何よりあたしの視線を釘付けにしたのは薄い胸の中央、
 細かく振動している手に握られた小刀だ。元々色素が薄く、白い手指から色が
 完全に失せる程強く握られたそれの上部、鈍く太陽光を反射する刃が独特の存在感を放っている。
 あたしが何かを言おうとする前に、サクラちゃんは歩き出した。最初の一歩はゆっくりと、
 続いて速度を上げながら二歩目、三歩目を踏み出してくる。四歩目で、それは歩くと
 言うよりも走るというものになり、あたしの体に高速で向かってきた。
 ごめんね。
 青海ちゃんも、
 パパも、
 ママも、
 サクラちゃんも、
 虎徹ちゃんも。
 最後くらいは良い娘になれると思ったのに、
 良い娘になったと思ってたのに、
 最後まであたしは悪い娘でした。
 小さく心の中で呟いて目を閉じた。
 でも、悪い娘だけど、少しでもサクラちゃんが救われるのなら、サクラちゃんに殺されるのなら
 良いかもしれない。サクラちゃんに逃げ道が見付かるのならあたしの命くらいは安いものだ。
 本当に、ごめんね。
 もう一度心で呟いたところで、衝撃が来た。


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