とらとらシスター 第9回
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 四時限目の終了を告げる電子音が、教室中に高々と響き渡る。
 と同時に、教室に快音が三つ響いた。音の原因は考えるまでもなく、虎姉妹と織濱さんだろう。
 その内の二つはもう僕の日常に組み込まれているので諦めているが、
 最後の一つはいかがなものかと思う。殺虎さんの格言でもこうあった。
 曰く、『戦で大切なのは諦めることじゃない、何を諦めるのかを選ぶことだ』
 その言葉を実践すべく織濱さんを見ると、
「あれ? 手ぶら?」
 僕が不思議に思っている間にも、織濱さんは凄い勢いで近付いてくる。
 それに一歩遅れてやってくる姉さんとサクラ、その手にはきちんと重箱があるのを確認して
 僕は少し安心した。それにしても織濱さんは家の弁当を食べるつもりなんだろうか、
 多分サクラは拒否すると思うんだけど。
 そう思っている間に三人は到着、僕は織濱さんを見上げた。
「食事にしよう、虎徹君」
「うん、そのつもりだけど。織濱さん、弁当は?」
「私の作ったものだったら、汁の一滴すらあげませんよ。重箱の中の空気すら惜しい気分なので…
 そうだ、食事の間に呼吸を止め続けて窒息なんてどうでしょう?」
「サクラ、そんなことを言うのは止めなさい」
 しかし気になるのは本当で、サクラをたしなめた後で再び織濱さんを見上げた。
 このお嬢様も人間だから昼になれば腹も空くだろう。昼食抜きなんて無様なことは
 絶体に無いだろうし、だからと言って愛や希望や霞で腹が膨れることもないだろう。
 現に昨日はえらく豪勢な弁当を持ってきていたから間違いない。

「心配ない」
 どうするのかと思えば、答えは予想を遥かに超越したものだった。
 快音。
 指先一つで音を鳴らすと、大きな重箱を抱えたメイドさんが教室に入ってきた。よく見てみれば、
 朝にリムジンのドアを開けたり運転をしていた人だ。僕たちとそれほど年の差が無いように
 見えるのに、働いていたり、仕事をきちんとこなしていたりするのを見ていると
 素直に凄いと思えてくる。
 僕の視線に気が付いたのか、こちらに振り向いて微笑を浮かべながら会釈を一つ。
 僕はじろじろと失礼な視線を送っていたことに気が付き慌てて会釈を返した。
「ついでと言っては失礼だが、紹介しておこう。虎徹君はこれから多分何度も会うことに
 なるだろうしな。執事のユキだ」
「よろしくお願いします」
 笑顔でお辞儀をするユキさん。風鈴の音のように澄んだその声は、多分何度も人を癒して
 きたんだろう。珍しく、姉さんもサクラも敵意の無い視線を向けていた。
「あれ、でも女の人だったらメイドさんじゃないの?」
「姉さん、それは今は差別用語です。きちんと待女とか秘書と言うべきですよ」
 僕と同じことを二人も考えていたらしい。説明を視線で求めると、
「私は男ですよ?」
 ユキさんが答えてくれた。
 なるほど、男だったら執事でも間違っていない。それに、姉さんやサクラが
 敵意の視線を向けなかったことにも納得がいった。多分、無意識の内に見破っていて、
 警戒を解いていたんだろう。これで全てに説明がついた。
 男だったらそうだよな。

「ちょっと待て」
 僕の驚きを聞いて、織濱さんとユキさんは不思議そうな表情をして首を傾げていた。
 逆にサクラや姉さんがどんな表情をしているかと思って見てみれば、何故か納得した表情で
 ユキさんを見ていた。何の疑問も持たなかったのだろうか。
「男!? 大丈夫なのこの人!?」
「うむ。男で、しかも妻子持ちだ。わたしとは干支も一回り違うような年だというのに、
 家族の写真を毎日周囲に見せびらかす妙な性癖を持っているのが問題と言えば問題だが、
 有能なのは間違いない。わたしが保証する」
 人格は保証しないんですか!?
「そんな、照れますよ。あと家族を愛するのは若さの秘訣です」
「そんな問題じゃねぇ!?」
 若さの秘訣は納得するにしても、問題が有りすぎる。このユキさんの外見はどう見ても
 美少女だし、しかもメイド服を着ている。とてもじゃないけれど、三十手前の男には
 見えやしない。それなのに、何故皆は平然とこの事実を受け入れているのだろうか。
 普通なら通報の一つや二つはしているんじゃ無いだろうか。
「何で良い年の男がそんな服装なんですか?」
 美少女的な外見は個人差と言うか、天文学的な確率で発生した遺伝子の産んだ
 奇跡だということにしても、その服装は明らかに人為的なものだ。言い訳のしようがない。
 しかし当然のように織濱さんは頷いて、
「似合っているだろう」
「そうだねぇ、羨ましい」
 この姉は…。

「普段の手入れが大事なんでしょうか? 特別な方法があるなら後で教えて下さい、
 これから熱さや紫外線が強くなりますが夏になると肌がどうもやられて」
 サクラまで…。
「ビタミンですかね、フルーツが好きでよく食べるので」
「あんたも普通に答えるな!!」
 何だろう、この気持ちは。言葉では上手く表現出来ない、不思議な気分になってきた。
 今までに味わったことのない、混然一体となった複雑な感情。
「この気持は一体?」
「虎徹君」
 流石に失礼が過ぎたのか、少し睨むように織濱さんが僕の顔を見ていた。それもそうか、
 いくら変態疑惑があるとはいえユキさんは織濱さんに結構信頼されているみたいだし、
 その人を悪し様に言われたらあまり良い気分はしないだろう。僕だって家族や殺虎さんの
 悪口を言われたら気分が悪くなるし、恨み言の一つも言いたくなる。それに、いくら外見が
 美少女といってもこの人はずっと年上なのだから尊敬の念が足りなかったのも事実だ。
「すみません、ユキさん」
「気になさらないで下さい」
 だがそこはやはり大人、柔らかい笑みが返ってきた。
「そうじゃない」
 目を向けると、織濱さんは膨れた表情のまま。僕が他に何かをしたんだろうか。
「せっかく付き合い始めたのに、君は彼女…」
 鈍音。
 『彼女』という単語に反応したのか、姉さんとサクラが織濱さんを睨みつけながら腕を組んで
 仁王立ち、言葉の代わりに振脚の音を響かせていた。

 織濱さんは一度途切れた言葉を咳払い一つで直し、改めて僕を見ると、
「彼女を無視して他の人に目を向けるなんて。そうか、分かった。いますぐ本場モロッコ行きの
 飛行機を…いやタイの方が近いか。大丈夫、わたしは同性愛者を差別はしないし、
 君がどんなに変態でもそれを受け入れるつもりだ。そしてまた一つ君の理想に近付いてみせる、
 楽しみにしていてくれ」
 この人は、本当は馬鹿なんじゃないだろうか。
「ごめん、織濱さん。突っ込むところが多すぎて」
「男の人なら、逆に少ないんじゃないのかな? 友達から借りた本で読んだもん」
「食事時に、そんなボケは止めてください。周りの人が、複雑そうな表情をしています。
 あそこのカップルなんか、ウインナーを食べるのを止めました」
 この二人の会話は聞かなかったことにして、織濱さんを見た。確かに、少し不真面目だった
 かもしれない。織濱さんは僕のことをずっと考えてくれていて、
 漸く付き合い始めたっていうのに、僕ときたらそんなことは全然考えていなかった。
 それどころか、付き合い始めた理由も姉妹を僕離れさせる為なんていう不誠実なものだ。
 一方的に利用するだけなんて、人として完全に駄目だろう。
 だから、
「ごめん、織濱さん。お詫びに何か要求に答えるよ」
 人として付き合いたいと、改めて思った。
 やっと笑顔を見せると織濱さんは、
「なら二つ。まず一つ目、放課後デートというものをしてみたい」
 後ろから殺気がするけれど、気にしない。
「次に、わたしのことは青海と呼んでくれ。出来れば呼び捨てで。せっかく付き合っているのに
 名字で呼ぶなんて味気無い」
「分かった、良いよ。これから宜しく、青海」
 そう呼ぶと、青海は嬉しそうに笑った。


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