とらとらシスター 第8回
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 いつもの如く痛々しい家族コントを終え、聖なる学び舎へと向かう。春の陽射しと朝の
 爽やかな空気が快い、そんな日常を送るのが僕の数多い楽しみの一つであった。
 姉妹の喧嘩は絶えないけれど、変わらぬ空気、代えられぬ世界が他の何より愛おしい。
 そんな筈だった。
 なのに、
「リムジンかよ」
 思わず突っ込んでしまった。
 細長くシャープではあるけれど、意外な無骨さも持ちあわせた魅力的な車体。
 滑らかに下がっていくスモークガラスのウィンドウから顔を覗かせたのは、織濱さんだった。
 随分と分かりやすい金持ち像をしているな、と感想を思い浮かべる。口には出さないけれど、
 多分僕の左右で獲物と対峙しているような目付きの二人も同じことを思っているのだろう。
 家は守崎の本家で取り敢えずは普通の家庭よりは裕福なのだろうけれども、
 さすが織濱さんは飛び抜けている。家の前に停車していたことにも
 気が付かなかったくらいだから、相当ハイスペックな高級車なのだろう。こんな車は見たことがない。
 意見を言うのも忘れ、茫然と言うよりも静寂といった空気の中、それを破ったのは
 ことの中心人物である織濱さんだった。彼女は不思議そうに小首を傾げると、僕と目を合わせ、
「どうした?」
 僕としては、織濱さんがどうしたのだろうという気分だけれど、敢えて口にはしないでおく。
 そのような細やかな気遣いが我が家に伝わる伝統の一つ、殺虎さんの教えでも
 基本的なものだから。御先祖様の努力は無駄にしてはいけない。

 沈黙。
 何を話そうかと考えていると、サクラが一歩前に出た。
「どうした?じゃないでしょう、常識をヒントにもう一度考えてみて下さい」
 こら、サクラったら何てことを。
 更に姉さんも一歩前に。デジャブを感じるのはきっと幻覚じゃない、普段の行動というか、
 日々更新されているこんな行動が僕の脳細胞にしっかり刻み込まれているからだろう。
 姉さんは財布から十円玉を取り出すと、その艶やかな車体に向けて勢い良く振りかぶり、
「何なのよぅ!?」
 慌てて僕は姉さんの腕を押さえ付けた。サクラにあっさりと破壊された伝統は諦めるとしても、
 さすがに血筋が絶えるのは駄目すぎる。こんな車の車体に十円傷を付けるのは
 カタルシスに満ちているのは分かるけれど、その代償は大きすぎる。
「離して、虎徹ちゃん。お姉ちゃんはやらなきゃいけないことが出来たの」
「姉さん、良い娘だから我慢して」
 底冷えするような抑揚のない声に答えると、いつの間にかメイドさんが
 開いていたドアの中へと引っ張り込んだ。凄い目付きで織濱さんを睨んでいるサクラに
 手招きをすると、渋々といった様子ではあるけれど、きちんと乗り込んできた。
 役者が揃ったところで、僕は今のところの一番の目的を思い浮かべた。
 姉さんがさっき必要以上に暴れたのも、きっとこのせいだろう。
 昨日の夜、寝る直前に姉さんには話してある。

 小さく短くという卑怯な言い方だったし、答えも返ってこなかったら聞いていなかったかも
 しれないと思っていたけれど、ちゃんと聞いていてくれたらしい。
 リムジンが発車したのを流れる景色で確認しながら、僕は織濱さんを見た。
 少し時期が早い気もしたけれど、走り出したからもうじたばたなどは出来ない。
「織濱さん」
「何だ、虎徹君?」
 言うしかない。
「昨日の答えだけど」
 そう切り出した瞬間、僕の左右をがっちり固めていた姉さんとサクラから
 殺気が露骨に伝わってきた。妙な言葉を出したら、間違い無く殺される。
 固唾を飲んで僕を見ている織濱さんと目を合わせ、
「こちらこそ、お願いします」
 鈍音。
 今にも床を踏み抜かんばかりの振脚の音が、左右からステレオで聞こえてきた。
 二人の表情を見てみると、怒りのあまりまるで槃若の面を被ったように歪んでいた。
 いつもとは逆で、普段から言葉豊かなサクラは舌打ちを一つ、舌を動かすよりも行動派の姉さんは
 体を全く動かさずにうつむいて何かをブツブツと呟いている。辛うじて聞き取れる範囲で
 言葉を拾うと何やら物騒な単語が聞こえてきたので、敢えて聞かなかったことにした。
 今は二人を意識から外して、織濱さんだけを見る。
「織濱さん?」
 笑顔のままおかしな方向を見て口元をもごもごと動かしている織濱さんは、
 正直あまり見たくはなかった。だけれども、現実から目を反らしてはいけないのは家訓の一つ。

「聞いてる?」
 改めて訊いてみると、その声でやっと現実に復帰出来たのだろうか、
 宇宙の真理を見つめていたとしか思えない織濱さんの瞳の焦点が合い始めた。
「あ、あぁ、すまない。子供は少し多くても良いが、避妊はきちんとしてくれ」
 一体どんな論理展開が彼女の頭の中で行われたのか、直球飛躍の答えが返ってきた。
 僕がどんな人間として見られているのかは分からないけれど、現実と少しずれがあるらしい。
「一姫二太郎がベストだと思うんだが、虎徹君はどう思う?」
 轟音。
 先程の倍はある音量で、振脚の響きが耳に入ってきた。
「織濱さん、寝言はお家で一人きりになってから言いましょうね? 虎徹ちゃんは、
 そこまでメルヘンなことを言ってないよ?」
「あまりふざけたことを言っていると、車の行き先が学校から地獄に変わりますよ?」
 左右からの強烈な圧力。
 そうか、この雰囲気は何かに良く似ていると思っていたけれど、中学の時の
 三者面談にそっくりだ。あのときの状況は教師を眼前にして僕の左右を両親が固め、
 どんな効果があるのかは分からないが背後には殺虎さんの写真が飾ってあった。
 教師のポジションが織濱さんに変わり、左右に控えているのが姉妹になったという
 違いはあるものの、恐ろしい程に酷似している。言いたいことは当時とは違うものの、
 僕が心の中で殺虎さんに助けを求めているのまで変わらない。
 しかし、今の僕と昔の僕は違う。

「姉さんも、サクラも、よく聞いて?」
 母さんから遺伝した綺麗な虎毛色の髪が逆立っているけれど、その恐怖も気にしない。
「これからは織濱さんと付き合うし、一緒に居る時間は少なくなるけど、二人とも大好きだから。
 それは分かって」
 暫くの、沈黙。
 二人の雰囲気から納得していないのは丸分かりだが、何も喋らないのは
 言葉を探しているからなのだろうか。それとも、迷っているからなのだろうか。
 分からない。
 僕はさっきの言葉を後押しするように、
「いつまでも、家族、だから」
 付け加える。
「お義姉さんも義妹さんも、愛が深いんだな」
「あなたにお姉ちゃんと呼ばれる義理は無いわよぅ、この(SE:バキュンバキュン)!!」
「あら、この埃は何ですか?」
「こら、姉さん。女の人がそんなことを言っちゃいけません。サクラも、埃なんて無いでしょ?
 窓に指紋は付けちゃ駄目」
 織濱さんの言葉に、昨日のような小姑コントのような間抜けな流れになった。詰まっていた
 重苦しい空気が流れたのはありがたいけれど、どこか不自然だ。
 まるで無理に空気を押し退けているような、そんな空気。空元気にも近い雰囲気は、
 違和感を覚えさせる。
 言葉では表現出来ないけれど、どこかがおかしい。
「わたし、負けませんよ。秋茄子も食べてみせます」
 僕の思い過ごしなのだろうか、織濱さんは普通に流れに乗っている。
 そこから繋がっている会話には、不穏な空気は無い。本当に、思い過ごしなのだろうか。
 上手く行けば良いけれど。
 僕は誰にも聞こえないように、小さく溜息を吐き出した。


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