とらとらシスター 第6回
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「…――ちゃ、ん。―てつ、ちゃん」
 僕の名前を呼んでいるのは誰だろう、聞き覚えのある声にぼんやりと目が覚めてくる。
 薄く目を開けてみると部屋の中はまだ暗く、時刻が夜中であるのはぼやけた思考でも分かった。
 声のする方向に顔を向けてみると、柔らかいシナモンの香りのする吐息と甘い匂いが
 顔にかかってくる。声で女性だと分かるその人影は、小刻みに体を揺らしていた。
「もう、だ、め」
 何が駄目なんだろうか、それと先程から聞こえてくる水っぽい音はなんだろう。
 確認をしようとしても、久し振りに家に帰ってきた父さんの酒に付き合わされたせいで
 大分体にアルコールが回っているらしく、動かそうにもだるくて動かない。
 その間にも誰かの動きは続いていて、水音と荒い息が激しくなったと思ったら突然それが止まった。
 体を一層大きく揺らし、一瞬硬直させた後に動くのを止める。疲れているのか、
 荒く乱れたままの呼吸のリズムと共にその体が上下にゆるゆると揺れていた。
「イッ、ちゃ、った」
 行ってしまったのか、どこに、何をしに。
 その女性は僕の髪を優しく撫でる。大分落ち着いてきたのか、体も動かずにじっとしていて
 手の振動だけが伝わる感覚が心地良い。
 しかし、この人は誰なんだろう。僕の隣で安らかそうにしているその姿は、密着している今は
 とても安心できる。
 僕の隣。
 僕の隣。
 僕の隣。
「ごめんね、虎徹ちゃん」
 この呼び方。
 ちょっと待て、自分。

 思考が急に冴えてくるのが分かるのと同時に、急激に冷や汗が出てきた。
 待て待て待て待て。
 今隣に居る人が何をしていたのかなんて少し考えれば、いや考えなくても分かる。ヒントは
 今まで沢山貰ってきた、それどころか答えすらも貰っている。
 答え合わせのために彼女の方を体ごと向くと、
「姉さん?」
「なぁに?」
 正解だった。
 僕は跳ね起きると部屋の明かりを点ける。
「う…ん、眩しい」
「我慢しなさい」
 あまり気乗りはしなかったが、確認のために布団を剥がす。
「やん」
 あれだけの事をしておいて、何が「やん」なのだろうか。
 僕の視界の中の姉さんは、少しアブノーマルな姿だった。パジャマは着ているものの、
 上半身のボタンは全て外されていて、たわわな胸が姿を覗かせていた。下半身はズボンが
 下着ごと膝の辺りまで下げられており、愛液で電灯の光を反射する股間の割れ目が露出をしていた。
 口元から溢れている唾液や潤んだ目、そして股間や指に付着した潤沢な液体がアクセサリのように
 鈍く光を反射している。僅かに赤く染まった肌や緩んでいやらしくなった表情と合わさって
 独特の淫靡な雰囲気となり、一つの芸術作品のようになっていた。
 などと表現してみても、事実は変わる訳ではない。
「姉さん?」
「虎徹ちゃん、見ないでぇ。ううん、やっぱりもっと見て…」
「ストップ」
 再び股間に伸びていった姉さんの手を掴むと、僕は真面目な表情を作った。

「まずは服を正して、そこに正座しなさい」
 僕は姉さんにティッシュを渡すと、背中を向ける。後ろでする衣擦れの音や、先程の姿に
 股間が反応しなかったのはありがたい。この時ばかりは、強制的に沢山飲ませてきた父さんに感謝をした。
 言いたいことは山程あったが、上手く言葉にならない。多分それが正解で、ただ酷い言葉を
 投げつけるよりはよっぽど良いだろう。これも幸運といえば幸運だった。
 数秒。
「終わったよ」
 僕は姉さんに向き直ると、
「えぇとね」
 少し考えた。
 酷いことを言わないようにとしたものの、どう言葉をかけていいかが分からない。
 まず何と言ったら良いのだろうか、自分の気持ちすら整理が出来ない。
「何でこんなことをしたか、説明を考えておいて」
 結局、僕は背を向けると時間稼ぎをしようとした。
「どこ行くの?」
「トイレ」
「えぇと、虎徹ちゃんもオナ…」
「しません」
 言って、部屋を出る。
 トイレに向かって歩いていると、サクラの部屋から声が聞こえてきた。盗み聞きをするつもりは
 無いけれど、声量が大きくて内容が伝わってきた。乱れた声で呼んでいるのは、
 予想通りに僕の名前。
 こっちもか。
 半分分かっていたけれど、いざ体験してみると途端に精神的な被害が予想以上に大きい。
 でも。
 この問題から逃げてはいけない、家族だから。

 多分、姉さんもサクラも少しずれているだけだ。それは年頃の女の子なんだから、
 自慰行為の一つや二つは当然するだろう。ただ僕の名前を呼ぶのは、僕以外の男性と触れ合う機会が
 極端に少ないだけで、そうなってくれば対象になるのが僕という話になるだけだ。
 実際に家族として暮らしていて、懐いているからこうなっただけ。深い意味はなくて、
 僕が冷静さを欠いていたのも悪かった。
 それに、さっきの姉さんだってもしかしたら寝ていて偶然にコトに及んだのかもしれないし、
 そうでなくても兄弟としてその趣味を理解してあげるのが大切なのかもしれない。
 他の誰もが拒絶をしても、それが身内としての在り方だと僕は思う。
 家族だから。
 毎日、それこそ何度も思う言葉を心の中で呟いたら、覚悟が決まった。
 部屋へと向かう。
「姉さん」
「はーひ?」
「…何してんの?」
「ぱんつくってんの」
 姉さんは口に含んでいた僕の下着を吐き出すと、笑顔で答えた。因みに正座はしたまま、
 僕の言いつけは守っていたらしい。
「もう一度訊くけど、何してたの?」
「ぱんつくってたの」
 パンを製造していたようには見えないから、文字通りパンツを食っていたのだろう。
 別に小腹が空いたからという訳でもないのは僕でも分かる。もしかしたらそうかもしれないけれど、
 これはパンはパンでも食べられないパンだ。
 何で姉さんは、真面目に物事を進められないのだろうか。

 僕は脱力しそうになるのを無理矢理堪えると真面目な表情を作り、
「正座、パンツは横に置きなさい」
「はい」
「あのね、今回のオナニーのことはもう問いません」
「うん」
「でも、もう家族の前ではしないように」
「うん」
 別に、行為を禁止しようとは思わない。行為自体は健康な証拠だし、ネタならネタで構わない。
 一編にするよりも、きちんと手順を踏んでいけばいい。少しの勘違いが積み重なって起こったことなら
 少しずつ戻していけば良い話だ。
「僕の話はこれでおしまい」
「あのね、虎徹ちゃん」
 姉さんを見ると、小さく指先を合わせていた。
「一緒に寝ちゃ、駄目?」
「良いよ」
「良いの!?」
 このくらいは良いだろう。寂しいのかもしれないし、それは僕を安心出来る人として見てくれている
 証拠だ。それに、急激に変えてもどこかで歪んでは元も子もない。
 二人で布団に入る。朝にしか感じたことのない、密着した独特の感触や体温が少し新鮮な感じがする。
 気持ちが良くて、少しだけ得をしたような気がした。この安心感は、兄弟だからなのだろう。
 数分。
 僕は言い忘れていた言葉を思い出した。
「姉さん」
「なぁに?」
「言うのを忘れていたんだけど」
「うん」
「織濱さんとは付き合うことにしたよ」
 背後で少しだけ姉さんが強張ったような気がしたけれど、気のせいだろう。
 これで良い。
 姉さんもサクラも少し僕離れが必要で、そのためには今回は丁度良い機会なのだろう。
 少し辛いかもしれないけれど、姉さんにもサクラにも幸せになってほしいし、お互いの為にも
 それが一番だ。これは昔から思っていたことで、少し寂しいけれどいつかはすること。
「おやすみ、姉さん」
 返事は返ってこなかった。


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