優柔 previous 第4話
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この男子、『人には優しく』が信条である。
困っている人がいれば役に立とうと奮闘し、自分に敵意を向けてくる人間に対しても、
何とか相手の特長を見つけようと努力する。
断っておくが偽善者ではない。この頃は清く正しい心をしていたのである。
とまあ、前置きはここまでにしておこう。
言いたいことは、このような馬鹿げているとも見做されかねないほど優しい心を持った男子が、
自分の恋人を放っておけるわけがないということである。
だから、優希はまた、やってしまった。
自分の感情の変化に戸惑っている椿を、放っておけばいいのに、ケアしてしまった。
椿の部屋にお邪魔して、週の始めだというのに、とびきり優しく抱いた。

その行為自体は全く問題ではない。愛する男と女が交わることなど、至極当然のことだからである。
重要なのは、その内容である。いつにも増して優希は、快感を与えながら、愛を囁き続けた。
少しだけ傷ついている椿の心に、必要以上に薬を塗りすぎた。
そしてその結果、椿の独占欲と嫉妬心はさらに増幅してしまった。
ただし優希には故意がない。そこが厄介である。

椿の髪を撫でていた優希は、すでに椿の母――桜子が帰宅する時間になっていることに気付き、
慌てて帰り支度をした。
男子たるもの、やはり恋人の親に顔を見せるのは覚悟がいるようだ。
それができていない優希は、鉢合わせだけは避けたくて、置き手紙を枕元に置き、早々に玄関を出た。
しかし運が悪いことに、ドアを開けた瞬間、買い物袋を提げた桜子と対面してしまった。

「・・・」
「・・・」
「・・・は、初めまして、椿さんとお、お付き合いさせてもらっている、愛原と申します・・・」
「・・・椿の母です、初めまして・・・」
端から見ると、非常に殺風景であった。

椿から聞いていなかったが、日頃見ている娘の微妙な変化から、どうやら彼氏ができたらしいことには
気付いていた。
そしてその男が(ドアが開いた途端、知らない男が出てきたのにはさすがにびっくりしたが)
予想以上だったことに喜びを隠せない桜子は、終始にやにやしながら会話を楽しんだ。
優希は勿論、ヒヤヒヤしていた。
「椿はどうしたの?」と聞かれ、「疲れて眠っています」と答えてしまったのだから、
さっきまで何をしていたのか一目瞭然なのだ。
何を言われるか分かったものではないと、あからさまな笑みを浮かべている桜子の次の言葉に身構えた。
「ねえ、優希ちゃん」
「は、はい?」
「ハネムーンはどこにするの?」
「ぶっ!?」
思わず吹いてしまった優希。
どうやら飛躍しすぎてガードが吹き飛んでしまったようだ。

彼女の母親の手料理を待つ間ほど、手持ち無沙汰なことはないと思う。
話が弾んでしまったために、気がついたら午後7時。
ちょうど腹も減ってきたため、御暇しようと席を立ち上がった矢先、桜子の一言。
「そうだ、せっかくだからご飯食べていきなさいな」
そういうわけで優希は、そわそわしながらその時を待った。
「すぐに作るからちょっとの間、辛抱してね」
「い、いえ、お構いなく・・・」
何もすることがなかったので、優希はリビングから、キッチンで調理に取り掛かる桜子の後ろ姿を見た。

『椿ちゃんのお母さん・・・いい人だなあ。それに、すごく綺麗だし・・・椿ちゃんも、
もうちょっとしたら・・・ああいう風に大人の色気が出るようになるのかなあ・・・』

と、このようなことを考えていたのも付け加えておこう。
勿論、形の良い尻がどうのこうのとか、束ねた髪から垣間見えるうなじが色っぽいとか、
やましいことは考えていないのであしからず。

「はい、召し上がれ」
「あ、はい、頂きます」
出されたのはナポリタン。優希の大好物である。
丁寧にフォークに巻きつけて、いざ口の中へ。
「・・・すごく美味しいです!」
感想を求められていないのにも関わらず、優希は言った。
それぐらい美味しかったのだ。
「そう?それは良かったわ。おかわり一杯あるから、どんどん食べてね」
「はいっ!」
思えば、高校に進学してからというもの、優希は自分で家事をこなしてきた。
実家にいた頃は当然のように母親に任せていたせいか、独り暮らしを始めた当初は大変だった。
今では大分慣れてきたが、やはりまだ完璧にはいかないところもある。
それは炊事にも当てはまり、現在でも満足にいくものではない。
だからこそ、桜子の完成された、心までも充実させてくれる手料理を食べることが出来たのは、
ありがたかった。
「もう、そんなに急いで食べなくても料理は逃げていかないわよ?」
桜子もまた、自分の料理をこれほど美味しそうに食べてもらえるのが嬉しくて、
優希の顔を微笑みながら眺めた。

「あの、今日は本当にありがとうございました」
「いいのよ。優希ちゃんは椿の大事な彼氏なんだから。またご飯食べに来てね?」
「はい、また来させてもらいます。それじゃ、失礼します」
「またね。気をつけて帰るのよ」
優希を見送る桜子。その心中は、新しい家族ができたことに対する喜びで満たされていた。

・・・・・・さて、ここまでならごく普通の風景。恋人の母親に夕飯をご馳走になったという、
ありきたりな展開。
このまま終わっていれば、何も気にすることなどないのだが・・・

椿はずっと――優希が食べ始めた頃から――その様子をドアの隙間から眺めていた。
優希の所に行って、3人で食事をすれば良かったのに、あえてそれをしなかった。
その原因は、ご承知の通り、椿が自分の感情の急激な進化に戸惑い、認めたくなかったからである。

えっ・・・そんな・・・こ、こんなの・・・嘘、だよ・・・ね・・・

私・・・お母さんにまで・・・嫉妬・・・してる・・・

椿の独占欲と嫉妬心は、取り返しの付かないところまで来てしまったようだ。


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