リボンの剣士 第15話
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明日香の電話から一時間は経っただろうか。まだ家には誰も来ない。熱も相変わらず、引く気配を見せない。
母は終始我関せずの態度。俺も当てになどしていないが。
病院に行こうかとも思ったが、行きつけの病院の診察券がない。ついでに保険証も。
どこにあったか思い出せず、余計に熱が上がった。手当たり次第に探しても見つからず、
体力の無駄遣いに終わった。
正直に言って、この状況で助けが来るのは実に有難いことだ。
唯一の不安要素は、明日香が作るといった飯。俺が前学期の終業式の日に盗み見た成績表によると、
明日香の家庭科の成績は『2』。
しかもその数字の下には修正液がついていた。『1』を修正したのか、『3』を修正したのか、
そこが問題だ。
まさか食ったら死ぬようなものは出てこないと思うが、不味いものでも困る。

ポンピーン。

ん、考えていたら来たみたいだ。今の状態で出迎えるのは辛いから、家の鍵は開けておいてある。
勝手に入ってもらって構わない。
誰も出ないとわかったのか、ドアノブをガチャガチャする音がする。すぐにドアが開き、
少しばかり風が入ってきた。
「人志ー。入るわよー」
予想通り、明日香の声だった。
「おじゃましまーす」
「失礼させていただきます」
予想に反して、木場ともう一人、聞いたことの有るような無いような男の声もした。
三人分の足音が響く。寝ている俺には、凄く大きな音に聞こえる。
何だ何だ何だ? どういう経緯でそんな軍勢に?
やがて入ってきた三人に、俺はあっという間に囲まれてしまった。右に明日香、左に木場、
頭のほうに知らない男。
三人とも同じタイミングで座り込み、顔を覗かせてくる。
「人志、どう? 熱は下がった?」
「いや……」
包囲されている所為か、質問というより尋問をされているような錯覚に陥りそうだ。
いやそんなことは無い。明日香は部活を休んでまで来たんだ。木場は……同じような理由で
来てくれたのだろうか。
じゃあ、この男のほうは? ……全然わからん。
「どれどれ」
「どれどれ〜?」
二人の手が額の上に、いや、顔全体に置かれた。前がよく見えない。
やめろ、俺の顔は百人一首か。
顔を散々擦られて、ようやく開放された。
「やっぱり結構あるわね。でも大丈夫よ。あたしが来たからね」
「伊星くん、私も私も」
二人の顔が近づいてくる。
「あんまり近寄んな、風邪がうつる」
本当はアップになった顔が少し怖かったからなのだが、ぱっと距離が置かれる。

「人志、何か食べた?」
「朝から何も」
ざっ!
言い終わった途端に、明日香と木場が立ち上がった。
「それじゃあ、今からご飯作るわね」
「え〜? わたしが作るよ〜。新城さん、料理できるの?」
言葉に続いてにらめっこが始まる。明日香の眼は鋭く、木場の眼は笑ってない。
「馬鹿にしないでよ」
二人は台所へ向かっていった。作って貰うのは良いが、あんまり食欲無いんだけどな……。

「お久しぶりです。伊星先輩」
今度は、枕もとの男が話し掛けてきた。もう訳がわからない。
久しぶりと言われても、思い当たるところが見つからん。うちの学校の制服を着て、
先輩と呼ぶから、一年か?
「その顔では忘れてますね。一年の屋聞ですよ。ほら、以前お話したじゃないですか」
「屋聞……?」
あまり聞かない苗字だ。それと、前に話したと言っているが……。
――――思い出した。屋聞新一。だいぶ前に俺に何やらあれこれ尋ねてきた奴だ。
そうそう、いきなり、「変人こと伊星先輩の独占突撃インタビュゥゥゥ!」とかふざけたことを
抜かしたから、こちらも変人と呼ぶにふさわしき回答をして追い払った、ということがあったな。
「思い出しましたか?」
「今度は何の用だ?」
あのときから、印象はかなり悪かった。一言で言えば慇懃無礼。俺にインタビューをしたのも、
大方記事にして笑い飛ばすつもりだったんだろう。
そんなことに付き合ってられるか。
「……あまり大きな声では言えないのですが」
台所のほうをチラ見しつつ、声が広がらないように手を口元に縦に当てている。
「伊星先輩へのインタビュー、第二弾、です」
……それが大きな声では言えない事なのか?
大体、何で風邪で寝ているときに来るんだ。弱っている時を狙ったのか?
まあ来てしまった以上は仕方がない。第一弾の時のように、適当に答えて追い払うか。
「それでは早速質問します。今の御気分は?」
「スチール缶のような気分だ」
「新城先輩と木場先輩がお見舞いに来られましたが、そのことについては」
「地球は回るんだから、そんなこともあるだろう」
「さらに、手料理まで振舞われるんですよ?」
「店長を呼べ。話はそれからだ」
「……真面目に答える気、あります?」
「ないな。クロだから」
「なにが黒なんですか」
「髪の毛」
「……わかりました。もういいです」
屋聞はメモ帳とペンを引っ込め、やれやれというため息をつく。
「はぐらかしてもらった方が、こちらにも都合がいいですけどね」
やけに意味深な言葉。これも人の腹の内を探るための餌だろう。
うかつに口は開けないな。

「ん〜、このアイ○ノン、もうぬるくなってますね。氷水に替えましょうか?」
……頭と枕の間に手を突っ込むな。温くなってるのはわかっている。
俺が何と答えようか考えているうちに、屋聞はアイ○ノンを引き抜いて立ち上がった。
どこからともなくビニール袋を取り出し、冷蔵庫を開けて、氷をひょいひょい放り込む。
人の家の冷蔵庫を勝手に開けるな。と言おうと思ったが、明日香と木場が既にやっている。
「さあどうぞ」
頭に氷水の入った袋が乗せられた。
……んぷ。
ビニール袋がぐにゃりと広がり、顔全体に覆いかぶさった。
まあ、普通はそうなるよな……。
「あっとすみません」
ブン屋が手で吊り上げて、額の上にだけ乗るように調節された。
つーかわざとだろ。インタビューがうまくいかなかったから嫌がらせか?

「良い匂いがしてきましたね」
しばらくして、その言葉通り、台所のほうから料理の香りがやってきた。
少し食欲が沸いてきたかもしれない。
何かを焼いているのか、ジュージュー音が聞こえる。
「新城さん、何を作ってるの?」
「見ればわかるでしょ。お粥よ」
「え……? おかゆ……?」
ジュー、ジュー、ジャッ、ジャッ。
二人の話し声と、炒め物と思われる音。
「……おかゆにしては、良い音出してますね」
「言うな」
漂ってくるのは良い匂いなのに、おかゆという単語が深く引っかかる。
大丈夫だよな? 明日香、お前を信じていいんだよな?


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