リボンの剣士 第16話
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「さあ、いよいよです。美しき少女二人が、病床の伊星先輩のために心を込めて作った手料理!」
そこのブン屋五月蝿い。少女って、お前より年上だろ。
こっちは何が出てくるのかビクビクしてるのに、こいつはやけに盛り上がっていく。
傍から見てるだけの奴は気楽でいいよな。

「では先手、新城明日香、二段」
突っ込みどころの多い合図と共に、明日香が枕元にひざまずく。
ちなみに、明日香は剣道二段ではない。
皿にかぶせられた蓋が外される。その中身は――――。
「風邪引いてるんだから、消化に良いお粥を作ったわよ」
ほのかな醤油の香り、薄い狐色に染まったご飯、ちょっと焦げがある。
……。
明らかにチャーハンだ。
「なっ、何よ。何か言う事はないの?」
ありすぎてどれにしたらいいのか判らん。熱もあって、頭が、うまく、機能するだろうか。
とりあえず、明日香はチャーハンを作ったんだな。じゃあ。
「……木場は何を作ったんだ」
「!!」
どちゃ。
「な、なんと!」
明日香は皿を落とし、屋聞は後ろに吹っ飛んだ。
中身がこぼれる。今一度見ても、やっぱりチャーハンだ。
「人志……」
明日香の腕が震えている。震えた手が、竹刀に伸びる。
「……覚悟はいい?」
竹刀を逆手に持って、俺の眼前に、持って来た!?
あ……明日香の目が、普段とは全然違う。
この眼は、あの時、男たちに竹刀一本で向かって行った時の眼だ。
相手を憎み、倒すことしか考えてない、ケンカの眼だ!
「ま、ま、ま、待て!」
俺が明日香を怒らせたのだろうか、不味い事を言ってしまったのだろうか。
「待たないわよ。早く木場さんのご飯が食べたいんでしょ!?
あたしのまずそうなお粥なんていらないんでしょ!!」
いやそれチャーハンだろ。じゃなくて、明日香が作ったのがこれなら、木場はどんなのを作ったのかと、
ただそれしか考えてなかったんだ。別に、明日香のはいらん、早く木場のを出せ、という意味ではない。
単純に、誤解されたのか? 俺は二人の作ったのを目でまず見て、それから食べたいということを
言わなくては。
だが、本人が言った通り、明日香は待ってはくれなかった。
竹刀が、俺の腹を突く。
「う……ぐっ……ごほっ」
呼吸が無理やり止められた。風邪とは別の咳が出る。
息が戻って見てみれば、明日香が、竹刀を振り上げている。
な……なんでここまでされるんだ。これは悪夢か?
「待ってください!!」
声を張り上げて、明日香の前に憚る奴がいた。屋聞だ。
「新城先輩。伊星先輩は病人なんですよ!? 暴力を振るう相手ではありません!」
明日香の動きが止まる。
「伊星先輩。言うことがあればどうぞ」
「その……まず、披露が先で、感想は食べた後で、竹刀は無しで……」
もういっぱいいっぱいで、うまく文章にできない。とにかく、その憎しみの眼はやめてくれ。
明日香に憎まれるような事はしない。したくないから。
「……分かりました。新城先輩、その竹刀は引っ込めてください」
静かに諭す屋聞。明日香は何か言いたげな眼で睨み返したが、何も言わず竹刀を引いた。
少しは、落ち着いてくれただろうか。

「では気を取り直して、後手、木場春奈、クラスA」
「はぁ、やっとだね〜」
小さい土鍋を持った木場が枕元に来る。その表情は、いつものような、笑顔であった。
相変わらず、何を考えてるのかわからない。
折りたたみ式テーブルの上に鍋を置き、ミトンをはめた手で蓋を掴む。
「3、2、1、はぁ〜い!」
開けられた鍋から、湯気が勢いよく舞い上がった。その下に覗かせているのは、太い麺。
「うどんだよ〜」
今度は看板に偽り無し。土鍋の中で煮込まれたうどんと、野菜、肉、だしが合わさって、
やや濃い匂いがこちらまで届く。
うん、これは美味しそうだ。
「さて、両者出揃いました。これより召し上がって頂きましょう」
改めて、俺の前に二つの料理が差し出される。片方は、明日香作のチャーハンにしか見えないお粥。
さっきこぼれた分が減り、半分くらいになっている。
もう片方は、木場が作った煮込みうどん。
土鍋が小さいとはいえ、一人で食べるにはやや多い……か?
「伊星先輩。どちらからいきますか?」
いつの間にかメモ帳とペンを用意した屋聞が詰め寄ってきた。
どちらから、か。まあ両方食うつもりだが……どうも、チャーハンお粥は引っかかる。
「じゃあ、うどん……」
に、しようか。と続けようとして、三人の反応に遮られた。
「キタアアアァァァッ!! 伊星先輩、うどんです! 木場先輩のうどんを選びましたっ!」
無駄に声を上げ、何かのメモを取る屋聞。
「ありがとう、伊星くん。先に食べて貰えるなんて嬉しいな」
笑顔の幸福感が五割増の木場。
「……」
無言でそっぽを向く明日香。
……拗ねるなよ。ちゃんとそっちも食べるから。

「ん、箸……」
とりあえずうどんから食べようとしたが、箸が手元にない。なぜか木場が持っている。
木場は箸を鍋の中に入れ、すぐ引き上げる。野菜が挟まれていた。
それを上下させて、汁をある程度落とすと、左手を添え、俺の口の方へ運ぶ。
「伊星くん、あ〜ん」
……この年になってそれをやれと?
横をちらりと見れば、ブン屋がカメラを構えている。
もしこのまま、「あーん」と口を開ければ、食べさせてもらうという、
恥ずかしい食事風景を写真にされてしまうのか。
いくらなんでもそれは厳しい。
ガキじゃないんだから、こんな幼稚っぽい食べ方はしたくない。何より、
「自分のペースで食わせてくれ」
箸を自分の手で動かせないのは、非常にじれったい。
無礼を承知で、俺は木場の手を強引に広げさせて、箸を取った。
木場にしてみれば、奪われた、という気分になっているだろう。笑顔のまま固まっている。
本当に、本当に悪いが、そこまでしてもらうのは俺の気がすすまない。
「バカね。人志にそんな技が通じるわけないでしょ」
よそのほうを向いていた明日香が振り返って言う。
屋聞はカメラを握ったまま転倒していた。

「ど、どうかな、味」
一口目のうどんを飲み込んだところで、木場が尋ねてきた。
「ん、すごくおいしい」
言い終わってから思うと、なんとも面白味のない感想だ
このうどん、長く煮込んだのか、麺も肉も野菜も、柔らかくて食べやすい。
「よかった〜」
ちょっと味付けが濃い気もするが、口の外から中へ、麺がスムーズに滑る。
木場は、料理上手なんだな。この前、明日香の試合を見に行ったときの弁当も、豪華で美味しかったし。
どんどん口に運んでいくうちに、気付けばあと一口分。
ここだけは強めに意識して味わい、飲み込む。一息ついた。
「伊星先輩、木場先輩作のうどん、完食です」
「わ〜」
木場の拍手が鳴り響く。
じゃあ、次いくか。
俺は明日香作のチャーハンお粥の皿を引き寄せる。明日香が一瞬だけ振り向いて、また背を向けた。
改めて皿の中身を見る。やはりチャーハンである。
……落ち着け。お粥だと思うから不安なんだ。これはチャーハンだ。明日香はチャーハンを作ったんだ。
箸で一口取り、口の中に投じる。
五感の一つ、味覚をより研ぎ澄ますため、目を閉じてから咀嚼する。
……うん、美味しい。美味しいチャーハンじゃないか。
結局俺の不安は、すべて杞憂だった。
よく考えてみれば、家庭科の成績が、そのまま料理の腕前に直結するわけではない。
明日香が料理をしているのは、調理実習以外に見たことはないが、中々どうして、やれるもんなんだな。
「おいしいな、これ」
しかしお粥ではない。なぜ最初からチャーハンを作ったと言わなかったのだろうか。
「……別に、無理して誉めなくたっていいわよ……」
相変わらず明日香は顔を見せない。だが肩が、安心したのか微かに上下していた。
今の俺に、無理をして世辞を言う余裕なんてないからな。

「伊星先輩、新城先輩作のお粥も完食しました」
見た目も味もチャーハンそのものだったあれを、屋聞はいまだ律儀にお粥という。
「ではここで質問です。どちらのほうか美味しかったですか?」
屋聞が、木場が、明日香が、俺との距離をつめる。
どちらが、と言われてもな……違う料理だし……。
「甲乙付けがたい」
「あ〜そうですか。いえ、実にらしい答えです」
どことなく気の抜けた反応が返ってきた。らしい答えって何だ。
明日香の機嫌は、もうほとんど直っているようだった。ただ木場が、上目遣いで何か言いたそうな
様子だったが、何も言ってこなかった。

食事のあとは、屋聞から市販の薬をもらって飲んだ。
それからと言うもの、俺は寝る以外にする事が無く、三人も、これと言ってやるべきこと、
俺が頼みたいことも無く、じっとしているだけの時間が続いた。
そして午後八時。辺りはもう夜中と同じくらいの暗さになった。
「人志、何か取って欲しい物ってない?」
「いや、特には……」
同じやり取りが繰り返される。木場とも似たようなことをしている。
「もう、ここらで引き上げましょうか?」
屋聞の言葉に、明日香と木場は顔を見合わせ、肩を落とした。
「そうしたほうがいいかもね」
「……そうね」
三人とも、ゆっくりと立ち上がる。
「少々、長居してしまいましたね。我々はこれで帰ります」
「伊星くん、今日はゆっくり休んでね」
「人志、また明日、ね」
「ああ……。あ」
帰ろうとする三人を見送ろうとしたが、一つ忘れていた事があった。
「何?」
「あー、その……まあ、あれだ」
いざ口にするのは凄く気恥ずかしい。たった、一言だけなんだが。
「今日は……来てもらって、飯も作ってくれて、その……ありがとう」
騒がしかったり、危機を感じたりもしたが、それでも来てくれて良かったと思う。
「あ、あたしは! ただ、昨日のお返しをしに、来た、だけだから……」
「気にしないで。私の方こそ、急に来て、迷惑かけてごめんね」
二人の声に、自分の恥ずかしさが上乗せされた気分になった。
明日香は、いつも危なくなったらすぐ助けに来るし、木場も、理由は分からないが親しげな態度だし……。

今度こそ、三人が出るのを見送った。だが、帰って行った後は、疲労感がどっと出てきたのだった。


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