第8話(前半)
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 …ぷつんっ…
切れた…
その瞬間…俺の中で何かが切れた…
いや…外れたと言った方が正しいだろう。
俺がスイッチと呼んでいた物が外れた…
日常と戦闘を切り替えるスイッチが…外れた…
「兄…上…?」
頭が冷えていく…思考が高速化していく…
ただ己の敵を叩き潰すために…
頭に霞が掛かっていく…あらゆる言語が遠のいていく…
己の良心を乖離させるために…
「があああああぁぁぁぁぁっっっ…」
咆哮した…
殺意が…爆発したっ!
「兄上、やめてっ!」
敵は何故か動かない…今なら取れるっ!
 ガッ!
敵の顔を掴み、同時に足を蹴り上げる…
体が上下反転したのを確認し、俺は右手で首を捻り上げる…
 ゴキッ…
「あがっ…」
確かな手ごたえがあった…首の骨が折れる手ごたえが…
「改良ぉぉ…」
俺の覚えている唯一の言語が口から出ていた…
両腕を交差させ敵の体を掴み、回転を与えつつ上空に弾き飛ばす…
ここまでが秘技木の葉返し、ここからは俺のオリジナル技だ。
敵を追い跳躍する…
空中で追いつき敵の頭を掴み、そのまま落下する…
回転を殺さずに掴む事で受身を困難にさせ、体勢を垂直にし少しでも落下速度を上げる…
近づいている…地面が…
『当たり前だろ、俺は…』
頭に掛かった霧が一層濃くなる…もはや俺に思考は必要無い…
俺は大地に接触する寸前…掌底の要領で…地面に叩きつけた…
「岩・盤・砕きいいいぃぃぃっっっ!!!」
 ゴキャリッ…
嫌な…音がした…
頭が…砕けていた…
上半分が…無くなっていた…
知らなかったな…人間って…
…こんなにも脆いなんて…
そうだ、天野は?
天野はどうしたのだろうか?

脈は…無かった。
胸に…穴が開いていた。
瞳孔が…広がっていた。
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
違うっ!
天野は死んじゃいない、寝不足だっただけだ。
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
違うんだっ!
ドッキリカメラだったんだ、いつもからかってる仕返しをされたんだ。
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
違う違う違うっ!
まだ暖かい、こんなにも暖かいじゃないか。
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
違う違う違う違う…
これは血なんかじゃ無い。
これは…
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
…俺の精液だった。
天野の手が、俺のモノを掴んでいた。
ほら…まだ動いてるじゃないか…
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
天野の手が俺のモノを擦る…
ああ…気持ち良い…
これが…天野の…
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
「はっ…はっ…はっ…」
昂っていく…急激に…急速に…
天野天野天野天野天野天野天野天野…
 どくっ…どくっ…
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
天野にそっと口づけをした。
とても…柔らかかった。
鉄の…味がした。

「遅かったのか…」
そんな声が聞こえたような気がした。
「よもやこうなるとは思わなかった…」
でも駄目だ…頭に霧が掛かっている…
天野だけが…見えるように…
「責任は…俺に…ある…」
声が…近づいて来たような気がした。
「怨まれてもかまわん…憎まれてもかまわん…」
うるさいよ…
天野の声が…聞こえないじゃないか…
「だがな勇気っ!」
誰かが背中から…抱きついてきた…
でもここには天野だけ…天野しか居ないのに…
「死ぬなっ!お前までこんな所で死ぬなっ!」
なんだよ…
邪魔すんなよ…
でも…振り払えなかった。
凄い力で抱きしめられていた。
「頼む…死なないでくれ…」
大の大人が泣きじゃくっていた。
こんなにも…弱々しく。
「お前まで…俺のミスで死なないでくれ…」
なんだよ…まだ誰も死んでないじゃないか…
でも…何故か振り払えなかった。
「行くぞ…お前の治療をせねばならん」
天野の温もりが…急速に失われつつあるのを感じた。
俺が去れば、天野は本当に冷たくなってしまうかもしれない…
「勇気っ!」
天野の手には…まだかろうじて温もりがあった。
俺の…自分の命よりも大切な温もりが…
「許せよ…」
 ドンッ!
何が…起きたんだろう…
天野が…急激に遠ざかっていた…

あれからどの位経ったのだろうか…
一日?一週間?一ヶ月?
いいや…めんどくさい…
俺の前には天井があった。
いつもいつも天井があった。
いつもいつもいつもいつも…
やめた…めんどくさい…
「相変わらず情けない顔をしてるわね…」
まただ…またどこかで声がした…
人なんて…居ないのに…
「まあ良いわ…ユウキ、一度しか言わないから良く聞きなさい」
今日は誰の声だろ…
何度か聞いたような気がするけど…
駄目だ、思い出せない。
「一週間前、ヨウコが何者かに誘拐されたわ」
ヨウコ…?
ああ、大槻の事か。
「けどフクツはすぐに犯人の目星をつけて後を追ったわ」
兄貴か…なんだか懐かしいな…
「そして二日前…消息を絶った」
そういや…最近は兄貴の声が聞こえないな。
少し前まで頻繁に聞こえてたのに…
「犯人はもうわかってるの、フクツが遅れを取った可能性は高いわ」
まあ良いや、所詮は空耳だから…
「相手は組織…ならば少数で奇襲を掛けるのが得策。
あなたも来なさい、フクツとヨウコを助けに…」
今日の声はしつこいな…
正直に言ってめんどくさいんだ、ほっといてくれ…
 パンッ!
「いい加減にしなさいっ!」
痛い…
頬が…痛い…
「後悔するのは良いわ、過去に助けられなかった人を想うのは良いわ。
だけどそれはっ!まだ助けられる人を見捨てる理由にはならないわっ!」
 …ドクンッ!
痛い…
心臓が痛い…
『俺は…この子を守りたい』
初めて自分の声が聞こえた。
そうだった…俺は大槻を守ると誓った…
「あなたも来なさい、フクツとヨウコを助けに…」
手が…見えた。
初めて天井以外の物が見えた。
いや…壁が見えた、窓が見えた、そして人が見えた。
 パシッ
気がつけば俺は…その手を握っていた。


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