歌わない雨 ACT10
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 緑とイチャイチャし、芹とラブラブして過ごし、今は放課後。
 場所は自室、一人きり。
 不意に、ノック音が響いた。
「伸人ちゃん、今良い?」
 続いて来るのは妹の声だが、聞き慣れない真剣見を含んだものだ。
 どうしたんだろう、珍しい。
「構わんよ、入れ入れ」
 数秒。
「どうした?」
「…あのね」
 再び、数秒。
「怒らないできいてほしいんだけど」
 僕は無言、しかし構わず雪は話を続ける。 僕の周囲の女の子は皆、人の話をあまり聞かずに
 進める傾向がある。雪も、そんな一員だ。
「この間、と言うか一昨日なんだけどさ、聞いちゃったんだよね」
 無言。
「朝に」
 途端、僕の心臓が大きく跳ね上がる。
 ドア越しの雪に気付かれないように僕は小さく呼吸を整えると、なるべく平静を装い、
「何を?」
「キスした後に、緑にあの人の名前を言わせてたよね?」
 見られていた。
 その単純な事実で、僕の左腕が痛みだした。
「二年前のこと、許せてないの?」
 壁の向こうから聞こえる声は、強い悲しみが含まれていた。
 雪も思い出しているんだろうか。
 関わった皆が悲しみ、馴れ合い、最後には皆が傷付いた。
「緑も、心配してたみたいだから」
 その純粋な言葉は、本人が考えるよりずっと残酷に響いた。
 悪意は無いのだろうが、惨すぎる。
 頭に浮かんでくるのは、今朝の緑の表情だ。
 緑が先に使ってきたからと言っても、僕が緑を傷付けて良い理由にはならない。
 初めは武器に使っていたんだろうが、今朝の緑はあまりにも痛々しすぎた。
「出来れば、許してあげて」
 これは緑にも言われた言葉、それが僕の心に突き刺さる。
 善良な人間だからといって、善人であるとは限らない。
 数分経った後、雪の溜息が聞こえた。
「あたしの話はこれでおしまい、ちょっと出かけてくるね」
 左腕が、ずきずきと痛む。
 玄関のドアが開く音を聞いて、僕は久し振りに泣いた。

 どうやって来たんだろう、いつの間に来たんだろう。
 気が付いたら、僕はいつもの公園のいつものベンチに座っていた。
 あの人が好きだった場所、最後に来たのは芹が手をナイフで刺した前の日だっただろうか。
 大体一週間前のことなのに、本当に遠く感じた。
 夜空を見上げていると、突然足音がした。
「今日は歌っていないんだな」
 声のした方向を見てみると、芹が立っていた。
「そんな日もある」
「そうか」
 芹は悲しく呟いて、
「隣に座っても良いか?」
「何でそんな事を訊くんだ、暴君様ともあろう御人が。それに、友達だろう?」
 最後の言葉に微笑むと、芹は無言で僕の隣に腰を下ろした。
 風呂上がりなのか、僅かに濡れた髪の毛からはシャンプーの匂いがした。
 久し振りに感じる、芹との二人の時間に僕は吐息を一つ。
「煙草、吸って良いか?」
「何だ急に。私はお前よりも重煙者だぞ?」
「いや、髪に匂いが付くだろ」
 女の子だし、と付け加えると芹ははにかみ、構わんさと返す。
 最近無かった些細なやりとりに思わず安心する。
「煙草だけじゃ寂しいだろう」
 そう言って渡されるのは、共通で好みの缶珈琲。
 ふと気付き、
「二本あるってことは、毎日こんなの買って来てたのか?」
「私もそんなに暇じゃない」
 眼前のゴミ箱に同じ銘柄の缶が大量に入っているのは指摘せずに、黙って珈琲を飲む。

 芹はそっぽを向くと、
「雪に、頼まれたんだ。多分、励ませるのは私だけだと言って」
「お節介め」
 心の中で感謝をしながら、しかし出てくるのは悪態だった。
「そう言うな。雪も心配してるんだ」
 優しいその表情に騙されたのか、つい話しても良いかと思ってしまう。
「言いたくないなら構わんが、話して楽になることもあると思うぞ?」
 だから、つい話してしまった。
 あの人のこと。
 あの人がここを気に入っていたこと。
 あの人と一緒に過ごした日々。
 そして、あの人が自殺をしたこと。
 今から二年前の、父の死から始まった、僕の初恋の物語。
 全部聞き終えた芹は、やはり聞き始める前と変わらず、優しい顔をしていた。
「どうだった?」
「…そうだな」
 芹は吐息を一つ。
「お前が絶縁したくなっても構わない、取り敢えず聞いてくれ」
 数秒。
「自分を許しても許さなくても、それはお前の人生だ。例えどんなに近しい人間でも、
 口を出すことは出来ない」
 これは、この言葉は、
「ただ、どうしても辛くなったときに側で抱き締めたいと、抱き締めてほしいと思う人が居ることを
 忘れないでほしい」
 あの人が、父が死んで悲しんでいた僕に言ってくれた言葉と同じものだ。
 芹は言い終えると、弱く僕を抱き締めた。

 そして僕はようやく気が付いた。
 僕の初恋はとっくの二年前に終わっていた。
 そして今、芹を好きになった。
「なぁ芹」
「ん?」
「今更こんな事を言うのもムシが良いことは分かってるんだが、聞いてくれ。
 嫌なら断ってくれてもも構わない」
「私がお前の頼みを断るとでも思ったのか?」
 芹の笑みを見て、僕は数秒言葉を溜め、
「好きだ、付き合ってほしい」
「…喜んで」
 頬に涙が流れたが、芹の笑みが崩れることは無かった。


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