歌わない雨 雪Side
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 学校に居る間、何も起こらなかった。昨日の出来事がまるで無かったかのように、
 せっちんと緑は小競り合っていたし、ごはんも普通に食べていた。
 とにかく、不自然な位にいつも通りだった。
 でも、伸人ちゃんと違って私は見逃していない。
 なにしろ、たきつけたのはアタシだ。その本人が気付かないなんて、お笑い草にも程がある。
 長年連れあった同性だからというのもあるだろう。
 私ははっきり確信した。
 緑の目が、昔と同じになっている。

 

 ここは放課後のカラオケ。頼まれたのか自発的なのか、伸人ちゃんの提案でいつものメンバーでの
 寄り道。今せっちんと緑が歌っているのは、せっちんの得意な曲『ピエールとカトリーヌ』だ。
「上手いんだがなぁ」
 伸人ちゃんとは違う意味でだが、感想は同じだ。下品なこの歌詞はとても嫌いだ。
「どうだった?」
 訊きながら、緑が伸人ちゃんの右隣に腰を下ろす。いつもの流れでせっちんはその反対、
 伸人ちゃんの左隣へ。しかも、それ程狭いソファでもないのに伸人ちゃんを中心に詰めている。
「おい、伸人が眉をしかめているだろう。離れろこの雌豚」
「そっちこそ、伸人にかわいそうな病気が伝染るから離れたら?」
 相も変わらないいつもの口論、しかし不自然すぎる。緑の表情が、いつもと違う。
 あたしが望んだ展開に、心が弾む。
 緑は嗜虐的に目を細めると、やけに冷たい声で、
「この泥棒猫」
 思わず、叫びそうになった。
 中学時代に何度か聞いた、鉄の声。伸人ちゃんに依存して、伸人ちゃん以外の全ての人間、
 それが例えば親友のあたしや、彼女自信の母にまで嫉妬と敵意を見せていた時の声。
 そして、狂いに狂った策士の声だ。
「ほう、泥棒猫。随分と面白い事を言うな。まるで、伸人がお前の所有物のようだ」
 乗せられたように、せっちんは喋り始めた。
 その言葉一つ一つがあたしの心を弾ませる。
「口を出される筋合いは無い。確かにお前が幼馴染みだというのは事実だが、お前の所有物
 ではないだろう」
「確かにね」
 言葉と共に、緑は笑みを浮かべた。
 たまらない。
 この表情は、策士の装備が整った顔だ。
 それはつまり、この関係と相手を倒す方法が揃ったと言う顔。
 祭りの始まりの最後の狼煙。

「幼馴染みが必ず結婚する訳じゃないし、その後に普通恋愛も有るだろう? だから、緑に口を出される
 筋合いは無い」
 芹の言葉を聞いて、緑は更に笑みを強くした。
「そうよね、正にその通り」
「なら…」
「だから、セックスの回数や順番も適用出来ないわよね」
 あたしはその冷たすぎる声に驚喜した。昔の声どころじゃない、それ以上だ。
「それに、あなたとのセックスは両者の愛情で行われたものじゃない」
「それなら」
 せっちんが怒りを溜めて緑を睨みつけるが、当の本人は涼しい笑顔のままだ。
「互角なのよ、ここからが始まり」
 二年前とは比べ物にならない程の愉悦が心の中に溢れてくる。
「それにセックスなら昨日の夜、私もしたから色仕掛けも無駄よ」
 最高だ。
 最高だ最高だ最高だ。
「待てよ、緑も芹も」 伸人ちゃんが二人の勝負に口を挟む。
「争うよりも、笑おうぜ。今日は過去を水に流すお祝いだ」
 当然だろう。
「これからも、僕の前では争うな」
 伸人ちゃんが完璧なのは完全主義者だからではない。
 二年前の出来事を忘れるため、勉強とスポーツに逃げ続け、八方美人を貫き続けた結果の副産物だ。

 

 しかし、あたしは繰り返しを望む。
 伸人ちゃんは緑が一度も負けたことのない策士だと思っているが、それは大間違いだ。
 緑は二年前に一度だけ負け、しかしその事実が知られる前に勝者は死んだ。とても下らない理由、
 女の嫉妬だ。
 誰にも知られずあたしが殺した。
 それがスイッチになってたように緑は策士を辞めたし、伸人ちゃんは少し壊れた。
 大した量では無いものの、直せないように狂っていった。
 この時点で、あたしの目標は決まった。
 妹、という理由で勝負の場にすら上れなかったあたしは、だからこそ漁夫の利の資格を手に入れた。
 憐れな道化で構わない。
 自身の恋愛沙汰には関わらず、他人の実りを噛み砕き、壊れていく伸人ちゃんの側でただ一人夢想を
 続ける。
 なんて甘美な世界だろう。
 しかし、壊れるのはまだ早すぎる。
「まずは楽しく歌わなきゃ」
 あたしは場を取り持つように言うと、計画を練り始めた。


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