歌わない雨 ACT5
[bottom]

 学校に居る間、何も起こらなかった。昨日の出来事がまるで無かったかのように、
 釜津と緑は小競り合っていたし、飯も普通に食えた。
 とにかく、不自然な位にいつも通りだった。
 しかし、それは間違いだった。いくら僕にとって普通の光景でも、ドンパチの片方は
 この学校最強の暴君で、緑も緑でその暴君にサシで張り合える数少ない人間なのだった。

 所変わってここは放課後のカラオケ、その一室で、今は切り込み隊長として芹と緑が歌っている。
 しかも、よりにもよって芹の得意な曲『ピエールとカトリーヌ』だった。
「上手いんだがなぁ」
 何だろう、この感情は。素直に誉めることが出来ない。昨夜に緑を抱いた事を、
 嫌が応でも思い出してしまう。
「どうだった?」
 訊きながら、緑が僕の右隣に腰を下ろす。いつもの流れで芹はその反対、僕の左隣へ。しかも、
 それ程狭いソファでもないのに何だろうこの圧迫感は?
「おい、伸人が眉をしかめているだろう。離れろこの雌豚」
「そっちこそ、伸人にかわいそうな病気が伝染るから離れたら?」
 相も変わらないいつもの口論、しかし不自然すぎる。緑の表情が、いつもと違う。
 緑は嗜虐的に目を細めると、やけに冷たい声で、
「この泥棒猫」
 嫌な予感が、的中した。

 中学時代に何度か聞いた、鉄の声。僕に依存して、僕以外の全ての人間、それが例えば僕の妹の雪や
 彼女自信の母にまで嫉妬と敵意を見せていた時の声。
 そして、誰も勝った事の無い策士の声だ。
「ほう、泥棒猫。随分と面白い事を言うな。まるで、伸人がお前の所有物のようだ」
 乗ったらいけない、と思うが僕が声を出す前に芹が更に口を開く。
「口を出される筋合いは無い。確かにお前が幼馴染みだというのは事実だが、お前の所有物ではない
 だろう」
「確かにね」
 言葉と共に、緑は笑みを浮かべた。
 不味い。
 この表情は、策士の装備が整った顔だ。
 それはつまり、この関係と相手を倒す方法が揃ったと言う顔。
「幼馴染みが必ず結婚する訳じゃないし、その後に普通恋愛も有るだろう?
 だから、緑に口を出される筋合いは無い」
 芹の言葉を聞いて、緑は更に笑みを強くした。はっきり言って、恐ろしい。
「そうよね、正にその通り」
「なら…」
「だから、セックスの回数や順番も適用出来ないわよね」
 僕はその冷たすぎる声に愕然とした。昔の声どころじゃない、それ以上だ。
「それに、あなたとのセックスは両者の愛情で行われたものじゃない」
「それなら」
 芹が怒りを溜めて緑を睨みつけるが、当の本人は涼しい笑顔のままだ。
「互角なのよ、ここからが始まり」
 そう、これが策士の戦い方。強制的に自分の場に引きずり込み、自分の位置と同じに立たせ、
 相手の武器を封じ込める。

 今回の場合、身体能力だと芹との差は火を見るより明らかだが、それが一切関わらない。
 そして一番えげつないのは、
「それにセックスなら昨日の夜、私もしたから色仕掛けも無駄よ」
 相手の武器を潰し、自分の武器を作るためには依存の相手である僕すらも利用することだ。
 最悪だ。
 しかし、今回ばかりは僕の仕切りだ。本当にこの関係は心地良いから、崩したくない。
「待てよ、緑も芹も」
 場の勝負で関係が壊れるなら、場の存在なんて不要だ。
「争うよりも、笑おうぜ。今日は過去を水に流すお祝いだ」
 勝負なんてそもそも必要無い。
「これからも、僕の前では争うな」
 その為に、僕は悪役にだってなってやる。
 策士を転がして、暴君を叩き潰して、踊りきるのが悪役だ。
 憎まれてなんぼならいくらでも憎まれるし、死んで済むなら死んでやる。
「まずは楽しく歌わなきゃ」
 僕は静かに決意した。


[top] [Back][list][Next: 歌わない雨 雪Side]

歌わない雨 ACT5 inserted by FC2 system