歌わない雨 ACT6
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 目覚まし時計の高い電子音と共に目が覚めた。今日は土曜日、だからと言って特に遅く起きる訳でもない。
 朝が極端に弱い僕は鈍った思考で階段を降りる。顔を洗いリビングに行くと、既に朝食を食べていた
 雪に目が行った。
「おはよ」
 挨拶に頷きのようなもので曖昧に返すと、テーブルに着く。渡されたトーストをかじり、珈琲で一息。
「今日の予定は?」
 少し考え、
「ない」
「なら、せっちんの所に行ってあげれば? 独り暮らしだし、片手使えないの大変でしょ?」
「うん」
 何だか可哀想な子のような返事で返すと、僕たちは再び朝食を食べ始めた。

 歯を磨き、煙草を一本吸うと大分頭が冴えてきた。普段着に着替えると、僕は芹の家へと向かう。

 

 ノック。今回は穏便にドアを開けてもらおうと思う。前回は少し手荒にしたせいで、
 しこたま殴られたからだ。
 数分。
 やはり少し激しい方が良いかと思い、片足を上げた瞬間、ドアが開いた。
「はい、どちらさまで…おはよう伸人。何故片足を上げてるんだ?」
 超寝起きだった。
 髪の毛とか服の皺とかがかなり酷い状態になっていた。表情も、いつもの鋭さが欠片も無い。
 こんなの僕の芹じゃない!!
「寝起きだな」
 僕が呟くと、芹は顔を真っ赤にしてドアを閉める。
「五分…いや三分待ってくれ」
 三分後。
「おはよう伸人、どうしたこんな朝っぱらから。まぁ上がれ」
 余裕の表情でいつもの芹がそこに居た。どうやら、さっきの事は無かった事にするらしい。
 それでこそ、『暴君』釜津・芹だ。
 僕は芹に続いてリビングに入る。座るのは、いつもの豪華なソファ、家にも一台欲しい逸品だ。
「珈琲で良いか?」
「僕がやる」
「…ありがとう、こんな作業も大変でな」
 立ち上がり、芹と入れ替わりにキッチンへ。珈琲メイカーをセットすると、芹の向かいに座った。
 芹は薄笑いを浮かべて、
「一人で来て良かったのか? どこぞの女におっかない目で見られたり…」
 獲物を見付けた爬虫類のように、舌舐め擦りをして前に体を乗り出し、
「襲われるかもしれんぞ?」
「今の僕にその手の話は通じない。冗句ならよそをあたれ」
 芹は溜息を一つ。
「で、どうした? 告白の返事にでも来たのか?」
「そうじゃない。いや、そうと言えばそは煙草を大きく吸った。肺に煙が溜っていくと同時に、
 思考がシャープになっていくのが分かる。
 煙を一気に吐き出し、
「僕はこの前までの状態が一番好きだ。だから、それを崩したくない。悪いとは思っているし、
 何を言われても構わん」

 

 僕は喋るのを一旦止め、芹を見た。
 芹本人は否定するが、こいつだって馬鹿じゃない。むしろ良い方だ。どんな言葉が出てくるかと
 思ったら、無言だった。
「代わりに、ある程度の要求には答えよう。只で事を済まそうなんてムシの良い話は僕も嫌いだ」
 芹は少し考えていたようだが、ある程度まとまったらしく顔を上げると薄い笑みを浮かべた。
「良いだろう、いつも通りに過ごしてやる。ただし、その日常に私とのセックスが入っていた事や、
 ほぼ毎日二人で話をしたことも入っているんだよな?」
 この程度なら予想済みだ、答えも当然用意してある。
 僕は軽く笑みを作ると、
「僕はいつもの、と言った筈だが? それも当然だ」
「そうか。なら私からの要求は只一つ、私が伸人を好きだと言う事実を片時も忘れるな」
「交渉成立だな」
 丁度珈琲が出来上がったらしく、僕はマグカップ二つに珈琲を注いでテーブルへと置く。
「芹、忘れるな。お前が少しでも緑と昨日みたいな事したり、色恋沙汰を口に出したら絶縁するぞ」
「分かっている。そっちも契約は守れよ」
 互いに言い合い珈琲を飲む。
 これで取り合えず、一時凌ぎだろうが日常と時間を手に入れた。
 次はいよいよ策士の相手だ。

 次はいよいよ策士の相手だ。
 そう僕が考えていると、芹が思い出したように僕の顔を見た。
「そうだ伸人、これから買い物に付き合ってくれ」
「…何でだよ」
「片手が使えなくて不便なんだ」
 そう言えばすっかり忘れていたが、今日来た本来の目的は芹の補助だった気がする。
「それに…」
 芹は少し間を置き、
「『友達』だろう?」
 残酷な笑みを浮かべた。


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