不義理チョコ 第7回
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        *        *        *

 義理チョコの代価としては法外な要求となったマフラーは日曜の夜に最後の一枚はとうとう終えた。
 さてミカの分、ちゃんと作ってやらないとないけない。
 『トモちゃんみたいなマフラーが欲しいです』
 ――あれは時間がかかるから多分編み上がる頃には結構暖かくなっている気もするがプレゼントは気持ちの問題だ。
 ――前のプレゼントでは気持ち届かなかったんだよな。
 そんな事を思い出していると頭の中に元気のない顔を思い出してしまった。
 電話をかけるべきか、かけないべきか。そもそも何て話せばいいんだろうか。
 携帯電話を見つめながらどうしたらいいか考えてみるが、話したところで自分ではどうしようもない気がしていた。
 ――かかってきたら愚痴ぐらいは聞いてやるかな。
「あんたさ、彼女から電話待っているぐらいなら自分から掛けなさいよ。それとも彼女とケンカでもして掛けづらい?」
 そうだ、今部屋には姉ちゃんが人の漫画を読みに来て居座っている。こいつの居る所でそういう話が出来る訳がない。
「別に――」
 彼女とはケンカなんかしていない。相手は彼女じゃない――そう、ただの仲のいい友達だから。
「――ふうん。やるか、やらないか悩むんだったらやってしまって後悔しなさい」
 達観した顔。姉って感じがした。いや血こそ繋がらないものの名実とも自分の姉ではあるものの、
 もっと抽象的な意味で庇護してくれる存在――代理母とも言うべき感じの姉って感じがした。
 多分どっかの漫画で使われていた気もする言葉だが雰囲気に飲まれていた――ちょっとだけ感動している自分がいた。
 少しだけ自分の中で時間が止まっているのに気づいて慌てて時間を動かし始めた。
「じゃあさ、さっさと部屋から出て行ってくれ」
 とりあえず、いまやって欲しい事を素直に言ってみた。
「うん、わかった」
 意外にも素直に姉ちゃんは腰を上げた。
 ――確かにやってみるものだ。
「ああ、そうだ。これ上げる」
 部屋を出て行きかけた頃思い出したように振り向いて、何か小さなものを放り投げた。
「――なんだよこれ?」
 くすんだ銀色のメダル。表はデフォルメされた二頭身の仔猫、裏は――何かで削られた後があった。
 何処かのゲーセンのメダルかなんかだろうか。
「裏か表。二択でどうしても自分で選べないなら――コイントスで決めなさい」
 ――オレそんなにギャンブラーな生き方するつもりないから。
 そう思いながらも素直に好意として受け取ることにした。
 一人きりになった部屋でもう一度携帯を見つめる。メモリを呼び出す――やっぱり止めた。
 何を話していいかわからなかったから。
 少しだけ悩んだ後、ミカへのマフラーを編み始めることにした。

 

「それでさ士郎はどう思う?」
 三沢はいつもの様に一緒に学校へと歩きながら屈託なく笑いながら話してくる。
 今朝は電車に滑り込むように飛び込んでから、こちら側に一言も話させないとばかりにマシンガンの様に喋っていた。
 先日の元気のない顔はそこにはなかった――別に悪いことではない、むしろいい事のはずだ。
 肘が隣を歩いている三沢にぶつかった。距離が近い。別に肘や肩ぶつけたからって謝るような間柄ではない。
 でも、いつもはこんなに近くを歩いてなかった気がする――そしてこの近すぎる距離は忘れようとしていた、
 忘れかけていた彼女へのある感情を思い出しそうになっていた。

 『どうせ今日もサンドイッチだよ』っと。
「……なに笑っているんだ」
 ミカへのメールを返信した後、三沢はじっとこちらを見つめて笑っていた事に気がついた。
「士郎の顔見てた」
「顔になんかついてるのか」
 今朝ちゃんと顔を洗ったはずだし、さっきトイレ行った時も鏡を見た。変なものはついてなかったはずだ。
「へへー」
 何やら意味ありげな笑いで誤魔化された。
 ――なんなんだよ、その笑い方は。

 

 よく話す。よく笑う。客観的にみれば極々普通の元気な女の子だ。それが今日の三沢だった。
 でも少し何か変な気がする。一年間一緒に遊んだ仲だから多少はわかっているつもりだ。
 うまく人に説明する自信はないが、一言で言うと元気すぎる。無理して笑っていた空元気とも違う少し異質な感じ。
 失恋で塞ぎ込んでいた反動かもしれない――そう思うことにした。

「士郎、これ読んどいて」
 本日最後の授業が終るとともに人の机の上に折りたたまれたノートの切れ端を置いたかと思うと
 人が何かを言おうとする前に三沢はさっさと教室を出て行った。
 さっきの言葉で今朝からの僅かばかりの違和感の正体に気がついた。

 『士郎』って呼ばれている――でもそれだけじゃない気がする。
 
 折りたたまれたノートの切れ端を開いてみると一言、放課後屋上に来て――それだけが丁寧な字で書かれていた。
 屋上に来いと言うことはあんまり他人に聞かれたくない話か――多分失恋の話だろう。
 屋上に来いぐらい口で言えばいいのに。
 ――ノートの切れ端。
 差出人不明のチョコが机に何時の間にか放り込まれていた事――
 あいつからのチョコをもらっていない事――
 ノートの切れ端の手紙に屋上に来てと書いてあった事――
 何故かその日あいつが屋上にいた事――
 頭の中で勝手にピースが組み足てられようとしている。何度か頭はよぎったがその度否定するように言い聞かせてきた答え。
 そんなんじゃない――そう心で呟きながら屋上へ歩き始めた。
 体が重いのか軽いのか分らない――不思議な感覚が体を包んでいた。

 

 朝からずっと不思議な気分だった。幽体離脱したみたいな感じで自分が誰か別人みたいな感じ。
 体が凄く軽い。気持ちいいぐらい動いている。まるで生まれ変わったみたい。
 昨日の夜はいつも以上に念入りに体を洗った。
 今日の朝はいつも以上に念入りに鏡を見つめて身だしなみを整えた。
 今日はいつも以上に笑って、いつも以上に士郎と話した。
 今日の私は誰より可愛らしく映っている自信があった。

 私は一足先に屋上にいた。先週の時と殆ど同じ状況だ。でも今日は先週言えなかったことがハッキリといえる自信があった。
 多分数分と待たなくていいはずなのに、彼がここに来るまでの時間がとても満たされた時間であると感じていた。
 待ち遠しい――足音が近づいてくるの聞こえる。
「よっ、三沢」軽く手を上げて来たことを知らせる士郎。
「――ト・モ・コ」
「は?」
 何を言っているのか分らないって顔――やっぱり鈍感。
「智子って呼んでよ」
 ちゃんと言わないと分らないみたいだから言ってあげる。
「いや、いいけどさ――なんでまた急に?」
「本当は気づいているんじゃないの、私がここに居た理由」
「……何のことだ」彼の顔色が変わったのが見て取れた。
 ――無理して隠す必要なんかないのに。
「まだわかんないの? あの手紙の子が私」
 ここまで言っても彼の顔色はさっきのままだ。やっぱりわかっていたんじゃない。
 あんたもずっと黙っているなんて悪い奴――でも好き。
「私の事嫌い?」
「そんなことない!」即答だった。
「じゃあ付き合ってよ。私はあなたの事好きだから」
 なんだ簡単に言えるじゃない。何でこんな簡単な事言うのに時間を無駄に費やしていたのだろう。
「――いまミカと付き合ってるし……」彼は首を俯けながら言った。
「じゃあ、別れればいいのに」――悪魔が囁く。
 彼は首をあげようとせず黙ったままだ。
「言いにくいなら私の方から言ってあげるよ」
 ――返事はなかった。
 相変わらず煮え切らない奴。バレンタインの日なんかいきなり抱きついてきた癖に。
 非常に不本意な事ではあるが、煮え切らない返事を待ってはいられないので仕方なく譲歩することに決めた。
「じゃあさ、学校の中だけ――二人きりの時だけでいいから恋人になろう。もちろんミカには黙っててあげるから」
 そう言って胸の中に飛び込んでみた。
 恐る恐る背中へと伸びて来る彼の手――なんだ。やっぱり私の方が好きだったんだ。
「……ありがとうね、士郎」
 彼の腕の中は暖かく、短い間隔で彼の存在を感じられる鼓動が心地よかった。

        *        *        *

 わかっていた。心のどこかで期待はしていた。でも別のどこかが否定していた。
 好きだった――だから気合入れて編んだ手編みのマフラーまで送った。
 しかし自分からハッキリ言い出せないまま友達という関係に甘えてズルズル引き伸ばしてきた。
 でもバレンタインに友達の仲介を受けたと言われて向こうからは、
 その気は欠片もないと無言で言われた気がして少し落ち込んだ。
 そして告白失敗して友達でいられなくなることだけは回避できたと少しだけ心のどこかで安心していた。
 ミカのことが好きかと問われたら好きだって言える。最初こそぎこちなかったが、今では全然そんな事はない。
 でも――
 でも――今もっと好きだった子から告白された。
 そしてその彼女は今自分の胸の中にいる。今すぐ抱きしめてくれと言わんばかりに。

「二人きりの時だけでいいから恋人になろう。もちろんミカには黙っててあげるから」
 聖者を誘惑する悪魔もこのように甘く囁くのだろうか。
 良識ある人間ならミカへの為彼女と距離を離すべきだ。
 しかし自分は聖人君子などではない――自然と手が彼女の背中へ回っていた。
「……ありがとうね、士郎」
 胸の中の彼女はその行為を了承と受け取っていた――そしてオレも口には出さないが答えは同じだった。

 

「シロちゃん、今日は遅かったね」
 ミカは駅のホームで待っていてくれた。
「えと……」
 ――あの時オレは何であんな行動をとってしまったんだろう。
 彼女の顔を見ていると途端に罪の意識を感じ始めていた。何を言っていいのかわからない。
「ちょっと帰り際に先生に雑用頼まれちゃってね。それで遅れたのよ。ね、士郎」
 智子の口から出た言葉は何でもない言葉だった。まるでさっきまで屋上で言った事なんて忘れてしまったように。
 でもその事を言った後にこちらを向いて目で何かを言った。
「――ああ」
 今のオレはそんな相槌を打つしか出来なかった。
 そして頷いた首はそのまま上がろうとはしなかった。
「どうかしたの?」
 考えている事が顔の方に出ているのに違いない。そんなオレを思ってかミカが心配そうに下からオレの顔を覗きこんでいた。
「いや――なんでもないって……」
「じゃあ、よかった」
 彼女はまるでスイッチが切り替わったかの様に明るい顔に切り替わった。
 オレが今言ったことを何の一片の迷いのことなく信じている――

「……また明日な」
 ホームに下りた二人に別れの挨拶。別にいつもと変わらないはずなのに。
 それだけのはずなのに――
「夜電話するね」
 手を振りながらミカはそういった。別に断ってまでするような関係ではないのに――
「――うん」
 その返事の時オレはミカではなくその隣、智子を見ていることに気づた。
 本当はミカに言わなければいけない事があるのに。
 電車が動き出す前に顔を背けた。

 嘘なんて今まで一度もついたことがない訳ではない――でも嘘をついてこんなにも心が痛くなったのは初めてだった。
 そして本当の事なんて言える訳がない――今日人を騙すという罪を犯した。

        *        *        *

 駅を出てミカと一緒に帰り道を歩いていた。ミカとは友達になって以来ずっとこうして一緒に歩いていた気がする。
「ねえ――ミカ」
「なに?トモちゃん」
「――あなたの言うとおりだった。言ってみるもんだね」
「え? ホント? よかったね!」
 まるで自分の事の様に喜んでいた。
 今日私達の思いは通じた。でもまだちょっと邪魔な事が一つある。
「関係ないけど、もし好きな人が別な人が好きだったりしたら、あなたはどうする?」
「シロちゃんだったらそんなことないよ」
 無邪気に少し笑い。決してそんなことは絶対ないと心の底から信じているから出来る裏表のない言葉と顔。
 ――放っておいてもいいか。
「それとね、明日……」ミカは何か言いたくて言いたくて堪らないって顔だ。
「何よ?」
「やっぱり秘密」恥ずかしそうに口を閉じた。
「もったいぶらないで言いなさいよ」
 いつもの談笑。
 まだ私とミカは――


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