不義理チョコ 第6回
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 ――負けている。
 ミカちゃんにビリヤードで負けている。現在二連敗中――多分今のゲームもヤバイかもしれない。
 彼女の方からビリヤードに誘ってきたからてっきり得意かと思ったら、初めてだと言った。
 その為、今日ルールの説明までした。
 ビリヤードは物理だ。多分偉そうな誰かがそう言っている気がする。
 基本は入射角と反射角を考え、突く――それでいいはずなのだが球の真芯を狙っても、
 何故か球は明後日の方向へ飛んでいく事がある。
 そして今日はその明後日の方向へ行くのが連発している。
 ――三沢の奴からはよく四球続けて外したら一塁へ歩かなきゃいけないよとか言って笑われていた。
「シロちゃん、ビリヤードって面白いね」
 悪意はない。悪意はない無邪気な彼女の一言。でもそんな言葉がわずかばかりの男のプライドを崩す。
 彼女のビリヤードの腕前は初めてというだけあってオレから見ても明らかに下手だった。
 そしてそんなド下手に全力で向かっていっても負けている自分。少しだけ泣きたくなった。
「これ終ったら何処か行きたいとこあるかな?」
 そう言いつつ突いた手球は意思に反して見事ポケットに直行した――このキュー歪んでいるじゃないのか?

 結局、初心者相手に連敗という情けない記録を打ち立てた後、その場を後にした。

 外に出るなり背中に抱きつかれた。抱きつかれた途端電流でも走ったかの様に体中が一瞬ビクッっとする。
「あったかーい」人の背中で甘えた声でそんな事を言う。
「……なんだよ」
 今日は日も出ていてそれほど冷え込んでいる訳ではない。
 そしてこれは昨日の放課後を思い出す――人にしがみついて泣くだけ泣いてたあいつ。
「えっ? こうすると喜ぶってシロちゃんのお姉さんが――」
「……姉ちゃんの言っていた事は忘れてくれ」
 確かに嫌いじゃない――でも今は背中にいる彼女ではなく昨日背中で泣いていた女の子が頭の中にいた。
 ――今はデート中だ。
 そう心の中で呟き、頭を大きく振るい頭の中からその事を追い出そうとした。

 遠く三沢と深井さんが並んで歩いているのが見えた。
 ――タイミング悪いな。
 何故だかわからないが、頭の中にそんな考えが頭に上った。
 それはミカと一緒にいるからか――それは違うはずだ。二人ともオレ達がそういう関係だというのは知っているから。
 それとも今背中に彼女が抱きついているからか――あまり見られたくない。
 恥ずかしいから――何か少し違う。……何か心が後ろめたい、そんな感じがした。
「ミカ達デート中?」半ばからかうような感じで向こうから深井さんが声をかけて来た。
「うん、そうだよ」人の背中に張り付いたまま恥ずかしげもなく言うミカ。
 三沢と目線が会うが、彼女はすぐさま視線を下に落とした
 ――何がスッキリしただよ、また逆戻りしてるじゃないか。
「どうせだから一緒に遊ぼうよ」背中から出る屈託のない声。
「いやデート邪魔しちゃ悪いから、私達は退散するよ」
 そういって深井さんは去ろうとしたが、三沢の奴は足元に視線を落としたまま聞こえていなかったらしく
 立ち止まったままだった。
「ほら、行くよ」
 立ち止まったままだという事に気づいた深井さんは三沢の手を掴んで引っ張られて歩き始めた。
 引っ張られて歩く三沢の背中は酷く力がなかった。
 ――重症じゃねえかよ。

「――なあミカ、そろそろ離れてくれないかな」
 二人が遠くに消え去るまで見送ってからようやくミカが背中から抱きついたままだということを思い出していた。
「あ――うん」彼女は名残惜しそう呟きながらようやく背中から離れた。

「――あのさ、三沢から何か聞いてるかな?」
 友達になら何か言っているかもしれない、そんな期待をこめて歩きながらミカに聞いてみた。
「何かって?」
 何も知らない顔。普通に雑談している時となんら変わらない愛らしい顔の彼女。
「……なんか失恋したらしい」
 言うか言うべきか迷ったが結局言う事にした。
 あいつとはオレ以上に長い付き合いの筈だからきっと力にはなってくれる――そう思ったから。
「……トモちゃんがそんな事になっているなんて知らなかった……」
 急に顔を曇らせる。自分の事ではないというのにまるで今自分が失恋したと言わんばかり
 今すぐ泣き出しそうな感じすらしていた。
 ――デート中の話題としては不適切だった。
 そう思いながらも今思っているのは目の前にいる彼女ではなくて昨日背中で泣いてたあいつだった。
「まっ、お前からも何か言っといてくれ――」
 そんな事をいいつつ、今の空気を払拭すべく、頭の中の三沢を追い出すべく何か適当な話題がないか考え始めていた。
 ――でも何故か背中は熱かった。

「ミカはデートだって。意外と男が出来ると付き合いの悪くなるタイプだったね」
 昨日ヨーコから電話がかかってきた。前に言ってたパーっと遊ぼうと言ってた話だ。
 そして今日はミカ抜きでヨーコと一緒に遊びに来ていた。
「中学の頃はいつも三人一緒に遊んでいたのにね」
 そんな事言いながら私自身、随分ヨーコ達と一緒に遊んでいないのを思い出していた。
 ――そうだ、いつも神崎達と一緒に遊んでいたから。
 そんな事を思い出すと、つい先週も神埼達と一緒に遊んでいたのに、その事が凄く昔みたいに感じられた。
 ――距離できちゃったのからかな。
 多分あいつはそんな事を意識していないに違いない――そしてミカも。
 昨日の時点でそれは確信に変わっていた。
 二人きりで居る時は私なんか見ていない――ミカが居なくなれば私だけを見てくれるかな。
 そんな事ばかり考えていて、ヨーコの話には生返事をしていて気づくのが遅れた。
 目の前に神崎がいた――そしてミカが抱きついていた。
 ――そうだよねこいつら付き合っているんだもん。
 その事は認めても見ていたくはなかった。だから視線を落とし見ないようにした。
 何であそこで抱きついているのは私じゃないんだろう。
「行くよ」
 ヨーコに手を引っ張られた。
 ――ああ、そうか。もうここに居なくていいのか。
 引っ張られるまま足を進めた。このままこの場所にいたら自分が矮小で惨めな存在に思えてくるから。

 カラオケボックスに入ったというのに私もヨーコも歌わない。
 私は歌いたい気分じゃなかった。ヨーコも何故か自分から入れようとはしなかった。
 ただ密室でお互い黙っているだけ。
 ――変なの。
「……トモ、あんたが好きだった相手って――もしかして神崎君?」
 長い沈黙を破ったヨーコの私を覗き込む顔は少し険しかった。
 私は何も言えなかった――いや言わなかった。何か言い繕おうかとも思ったが、
 どうせ口から出る見え透いた嘘なんて簡単にばれるから。
 少しの沈黙の後ヨーコは深い溜息を吐いた。
「――黙っているってことは当たりか……。
 ミカがいないのは幸いというか何と言うか……」
 ヨーコは少し困ってて少し呆れてて少し優しい顔だった。
 多分さっきの時誘えばミカはそのままついてきたに違いない――きっと何も考えていないから、何も疑っていないから。
「――いつから?」
 それだけ言ってからヨーコはまた黙った。
 その顔は言いたければ言って言いよとでもいう柔らかい感じで、じっと私の返答を待っていた。
「……気がついた時にはもう好きだった。……でもずっと言えなかった」
 また沈黙が訪れる。
 そしてヨーコの深いため息。
「あんた馬鹿だね。無理して友達だからって好きな奴との仲介役なんてやらなくていいのに。
 ミカだっていい子だからさ、あんたが先に好きな相手って一言言っとけば、
 それ以上どうこうしようなんて思わなかった筈だよ」
 ――そう馬鹿だよ私。あきらめるつもりで仲介したのに全然あきらめず気持ちばっかり大きくなっていった。
 そんなことばかり考えていると涙が溢れていた。
「言えないよ……もう言えるわけないよ……」
 駄目だ、もう涙が止まらない。
「……仕方ないか」
 ――そう仕方ない。
 ヨーコはもう泣くことしかできなくなった私の頭をずっと優しく撫でてくれていた。

 結局今日は遊びに行くって言ってもずっと泣いててヨーコに慰めてもらっていただけだった。
「――士郎」
 誰も居ない部屋で彼の名前を呼んでみる――少し変な感じ。
 その呼びかけに答えるように突如電話がなった。まるで私の呼びかけに答えるように。
 反射的に電話に出ていた。
「トモちゃん、私だけど……」
 ――なんだミカか。
 どうせ惚気話だろう。
「ごめんね、私失恋したなんて全然気づかなくて……」
「あんたにまで心配されるなんてね――あんたは彼と適当にやっていればいいのよ」
 少しだけ無理して強がってみる。
 明日から乗る電車一本ずらそうかと思っていた。二人を見ているときっとまた悲しくなるから。
「ねえ――なんて言ったの……」少しだけ遠慮がちの声。
「ううん、言ってない。そしてもう言わない事に決めた」
 ――私あなたの為に我慢する事に決めたから。
 自分の瞳に涙が溜まっているのに気がついた――最近私泣いてばっかりだ。
「駄目だよ。ちゃんと言わなきゃ。私応援するから」
 ――応援してくれるの? じゃあ言っていいんだよね? 士郎に好きだって。
 何故かその時、私の頬は緩んでいた。


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