妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第11回
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 三日間の出張を命じられた先輩、もとい元樹さんにひっついて、私は大阪行きの新幹線の中にいた。
「樹里はいいさ、おれはあくまで仕事だぜ……?」
「まさか遊びに連れてって、なんて言うつもりはありませんよ」
「たかだか三日だろ? 親父さんに頭下げて休みを貰うほどのことかね……」
「そんなこと言わずに、旅行気分だけでも味わいましょうよ、ほら、駅弁も買ってあります」
「おわ、いつの間に」
 
 例の一件以降、元樹さんは楓さんには会っていないらしい。
 部屋に帰っても、いつもいない。
 パート先に連絡すると、辞めたのだという。
 ただ部屋が定期的に掃除されているところからすると、
 楓さんは彼が部屋にいる時間帯だけどこかへいなくなり、
 会社に行くと部屋に戻ってくる、といった意図的なすれ違いをやっているらしいのだ。
 ご苦労なことだ。
 そんなに顔を合わせたくないのなら、実家にでも帰ってしまえばいいのに。
 
“まあ、楓さんがどこにいようと、私の知ったことじゃないんですけどね。”
 
「そうだ、お茶ある?」
 ぬかりはない。別の袋から、五百ミリリットル入りのペットボトルを取り出す。
「烏龍茶と緑茶、どちらがいいですか」
「緑茶で。―――樹里は本当に気が利くなあ」
「愛です」
「……真顔で言われると、その、なんか、こう、照れるなあ」
 あれから元樹さんはかえって初々しくなったというか、変に老けたところがなくなった。
 楓さんがどれだけ彼に心労を掛けていたのかと考えると殺意さえ沸いてくるが、もう心配はいらない。
 彼の身も、こころも、すべて私だけのものだ。
 
「樹里、唐揚げ一個くれ」
「いいですよ、……はい、あーん」
「あ、あーん……」
 雛鳥のように口を開けたまま待つ、間の抜けた顔さえも愛おしい。
 
 ぐしゃり!
 
「……?」
「どうかしましたか?」
「いや、聞こえなかったのか? 何かこう、空き缶が潰れるような―――」
「全然。空耳じゃないですか? 耳掃除してあげましょうか」
「……揺れが怖いから、後でな」

 

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 大阪の支社に向かうという元樹さんと別れ、せっかくなので観光してまわることにする。
 彼が仕事をしている時間に遊びまわるのは正直なところ申し訳ない気もするが、
 お土産でも買っていって許してもらおう。
 奈良・京都は中学生の時に修学旅行で行ったきりだから、
 大人の感性で観ればまた違った感慨があるかもしれない。
 
「―――で、いつまでそうしてるつもりですか、楓さん」
 振り返る。
 
 白のワンピースに白い幅広のぼうし、エナメルの小さなショルダーバッグという、
 どこかの避暑地から抜け出してきたお嬢様のような格好。
「……なかなかお洒落ですね」
「……っ」
 大阪は日本の中でも相当暑い都市だし、今の時期なら風邪を引く心配はないとしても、だ。
 それで変装したつもりだというならやはり、頭がおかしいとしか思えない。
 どう考えても人目を引くのはわかりきっているのに。
 ……あ、彼に気づかれさえしなければいいのか。あの人は基本的に他人に興味のない人だからね。
 
「……泥棒猫が、随分とまあ偉そうなこと」
「……数年ぶりの再開だっていうのに、第一声がそれですか?
 どうでもいいですけど、そんな怖い顔してたら可愛いお洋服が台無しですよ?」
「……。そうね、貴女をズタズタに切り刻んでそこのドブ川に投げ捨てたら笑えるかもしれないわね」
 道頓堀を指差す。あらあら、地元住民の方々がニラんでますよ?
「私を殺した貴女を、元樹さんが愛してくれるとでも?」
「兄さんの名前を軽々しく呼ばないで……ッ!」
 ヒステリックに叫ぶ楓さん。やめてください、そこの子供が怯えてますから。
「嫌です。――彼が言ってくれたんですよ?
『おれのことは元樹でいい。いつまでも先輩、じゃ他人行儀だからな。
 そのかわり、おれも樹里ちゃんのこと、樹里、って呼んでもいいか?』
 ……って。嬉しかったなあ……」
「……」
 ……よく耐えましたね。でも、そんなに噛んだら綺麗な唇が台無しですよ?
 
「……どうして、兄さんなの?」
「好きなものは好きだから、今さらどうしようもありませんね。
 極端な話、貴女と先輩が兄妹であることに対して関心は全くありません」
「……結論から言うわ。兄さんと別れてくれない?
 知ってるでしょう? わたしはね、兄さんがいないと駄目なの。
 兄さんじゃないと駄目なの。
 貴女にとってワンオブゼムでしかないひとが、わたしにとっては一番大切なのよ」
 にっこり。
 私は満面の笑みを浮かべ、
「―――お断りします。気に食わないっていうなら、また体を使って誘惑してみたらどうですか?
 ただし、今の先輩が貴女を抱く気になるかどうかは、また別の問題ですがね」
「こ……のッ……!!」
「とにかく、私から先輩に対して何を言うつもりもありませんから。
“言いたいことがあるなら、はっきり面と向かって言わないと、伝わりませんよ?”」

 

 どくどくと、快楽物質が、のうみそから、どろどろと、あはは、あははは……
 下着に恥ずかしい液体が染み出していくのがわかる。
 今夜、彼はしっとりと湿ったそれを見咎め、サディスティックな笑みを浮かべるだろう。
 いやらしい言葉で私の耳朶を乱暴に愛撫するうち、ますます溢れ出すそれを指に取り、
 私の目の前で糸を引かせるだろう。
 侵入を許した瞬間の被虐的な快感、獣のような吐息、滲む汗、彼自身の匂い、筋肉の躍動、
 社会通念上まだ貰えないはずの暖かさが、私の一番奥にじんわりと広がる感覚、
 それらすべてが、この先ずっと、この女に与えられることは、無いのだ。
 
 私は背を向ける。
「さようなら、楓さん」
 ……いい加減、こみ上げてくる笑いが堪えきれなくなってきていたから。
 
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 携帯が鳴った。
「結婚してください」
(―――それは、その、前向きに検討ということで。今どこ?)
「日本橋です。父が脳の衰えを真面目に気にしているようなので、
 例のあれをお土産に買って帰ろうかと思ったんですが。どこも品切れみたいですね、残念です」
(―――そっか。仕事が片付いたから、どっかでご飯食べてからホテルに行こうと思うんだけど、大丈夫?)
「おなか空きました」
(―――てっきり食いだおれているものかと思ってた)
「……元樹さん、私をどういう人間だと思ってるんですか?」
(―――いやいや冗談。支社の人間に美味しいお好み焼きの店を聞いておいたから、そこに行こう)
 最寄りの駅で落ち合う約束をする。
 こんな何気ない、冗談交じりの会話ですら幸せでたまらない。
 結婚してくれ、なんて軽々しく言ってしまったが、
 本当に結婚したら、私は幸せすぎて死んでしまうのではないだろうか。
 本気で心配になってくる。
 
 会社の人のお墨付きだけあって、素晴らしい味だった。これが本場ってやつだろうか。
「ほら、こっちのも食べてみな」
 箸で割って、私の皿にひとかけら置いてくれる。
「元樹さん、何だかうちの父に似てます」
「え、そう?」
「家族で鍋でもやろうものなら、何が何でも自分で仕切らないと気がすまない人で、
 私の器に勝手に具材を放り込んでくるんですよ」
「ああ、あるある。うちもそうだった」
「それが駄目、ってわけじゃありませんよ。
 ただ、もう少しこちらの食べるペースも考えて欲しかったなあと」
「……ごめん、押し付けがましかったか?」
 しゅんとなる彼。ちょっとかわいい。
「いえ、かまってもらえるのは嬉しいです」
「……そっか」
「それにしても、“好きな人とふたりで食べるご飯はそれだけで格別ですね”」
「ん……、ああ、そうだな」
 ……貴方が笑ってくれるなら、私はそれでいいんですよ。

 元樹さんがホテルの部屋の鍵を指先で振り回しながらやってくる。
「さて、経費ではシングルの部屋しか取れなかったわけだが」
「まさかこの期に及んでベッドが狭いとか言わないですよね?」
「おれと同じ部屋に泊まるのは決定事項なんだ……」
「そのつもりだったので、部屋は予約していませんでしたが」
「いい根性してるよ」
 手招きして、彼の耳元で囁く。
(その代わり、御代は身体でおつりが出るくらい払いますから)
 ……。
 まだまだ若いですね。その方が嬉しいですけど。
 
 思う存分ご奉仕させていただいた。
 双方息も絶え絶え、といった様子でベッドに重なり合って寝転ぶ。
「どう、でし、たか?」
「……すごかった、気絶するかと思った」
 満足していただけたようだ。
 具体的に何がどうすごかったのかは武士の情けということで、訊かないことにしておく。
「それにしても……その、なんだ」
「……?」
「いや、いつもより声が、その、結構出てたなあ、と」
「……。“そうですね、誰に遠慮することもありませんから。
 でも、こういうホテルの壁って薄いですから、
 隣部屋のお客さんに迷惑掛けちゃったかもしれませんね”」
「……。謝りに行ったほうがいいのかなあ……」


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