合鍵 第19回
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「ねえ、元也君、このまま、泊まっていってよう」
サキが甘えた口調で元也に身を寄せる。
元也「でも、明日の学校の準備もあるし、やっぱり、帰んなきゃ」
サキ「うう、ひどいっ!
   おねえさんのこと、弄んだだけだったのね!」
元也「なに言ってんですか!」
サキ「じゃあ、愛の証拠に、お別れのチュウね」

元也「うう、さむい」
外に出ると、冷気が身を刺す。コートの前を閉じる。

未だに信じられない。
サキさんから、告白された。
美人の、サキさんからだ。しかも、美人なだけでない、明るく、素敵なサキさんだ。

心が弾む。足取りも軽い。
最初、美術部の性格の悪い奴らのドッキリかと思った。
だが、サキさんから、真正面からみつめられ、サキさんの吐く息の湿り気が伝わると、
ほんとの事だと分かった。

速攻で、返事した。もちろん、OK。

まだ、体が重い。
だが、満たされた思いだ。
元也の事を想う。こんなに幸せを感じた事は、無かった。
明日、学校で会うと、どんな感じかしら?
みつめ合う二人、燃え上がる情熱。
ああ、だめっ!ここは、教室よ、誰が来るかわかんないのに。ああ、そんな、
いじわるぅ、でも、でも、やめちゃ、だめぇ!
自分の空想に頭を抱える。

もう、元也君は私のものだ。藍子ちゃんのものでは無く、私のものだ。
幼馴染ってだけで、もう元也君に近づかないでね。
あなたの場所は、もう無いの。サヨナラ、藍子ちゃん。

そうだ、電話しときましょう、元也君のおうちに。もし、用も無いのに元也君のおうちに
いるような娘がいたら、さっきまでの事、教えといてあげましょう。

サキの事を思い、ニヤニヤしながら、元也は自分の家の鍵を開け、入る。

何か、違和感を感じた。
訝りながらも、リビングへと進む。
蛍光灯のスイッチを入れる。
息を飲んだ。
テーブルの上には、焼きサンマと、煮物が乗ってあった。
藍子が、灯りも付けず、テーブルに座っていた。

「おかえり、おそかったね」
笑顔でそう言うと、藍子は席を立った。
「お味噌汁、温めるから、その間、手を洗っといて。うがいも忘れないでね」
元也「…あ、藍子?」
呼びかけても、聞こえないかのように、食事の準備を進める。

藍子「さあ、冷めない内に、召し上がれ」
準備を済まし、元也に席に座るよう促す藍子。

元也「ごめん、今日は、いいよ」
藍子「食べてよ、ね?」
元也「もう、食べてきたんだ」
藍子「一口だけでも」
元也「おなか、一杯なんだ」
藍子「お願い」
元也「…だから、サキさんの
藍子「いいから!!!!!!
   食べてよ!!!!!!!!」

席を立ち、料理を手で掴み、元也の側に行く。
そして、掴んだ料理を元也の口元になすりつける。

元也「な、止めろって、藍子」
藍子の手を押さえつけ、なだめようとする。
だが、藍子に声は届かない。その表情は、元也が今まで見た事の無いものだった。
ふと気が着くと、藍子と密着している事に気がついた。
サキのかおりが残っていないか、急に気になった。

藍子の顔を伺う元也。藍子は、泣いていた。
泣いて、謝ってきた。

泣いて、謝りながら、かかとをあげ、元也の顔に、自分の顔を近づける。
そして、元也の頬につけた、御飯の汁を、舐め始めた。
丁寧に、念入りに。
藍子の吐く息の音と、頬を撫でる藍子の舌の感覚に、思考を奪われる。
 
そして、藍子の舌が元也の唇に触れた。
舌を、その口に入れようとする藍子。
しかし、元也はそれをとどめた。 それを許すのは、サキに対して、余りにも失礼だ。

藍子「…な、んで?なんで、なんで?なんで?どうして、どうして、えええ」
泣き崩れる藍子。

どうしたらいいのか、分からず、元也は藍子の側で、佇んでいた。
今の自分は、いつものように、藍子を抱きしめてやるわけにはいかないのだ。

元也が、いつものように抱きしめてくれない。
サキさんからの電話、信じていなかった。信じたくなかった。
けど、分かってしまった。
もとくんは、私のところから、離れていった。
あの女の所に、行ったのだ。あの女が、奪っていった。
返せ。返せ。返せ。返して。返して。お願い、返して。
帰ってきて。帰ってきて。お願い、帰って来て。

サキへの憎悪より、胸を占めているのは、ただ、悲しさだった。


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