姉貴と恋人 -裏- 第2回

 しかし、今の姉貴は……。
「タカ。お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
  こんな姉貴、見たくない。
「姉貴、俺姉貴のこと好きだよ」
「なら私の言うとおりに――」
  言わないと。姉貴の為に。
「でも。今の姉貴は嫌いだ」
「タカ……?」
「姉貴は綺麗で優しくて、格好良くて頭が良くて、俺の自慢の姉だよ。でも、今の姉貴は……汚い」
「お姉ちゃんが、汚い?」
  ゴクリ。喉の鳴る音で気付いた。
「あ、姉貴……?」
  唇が震える。冷や汗がどっとでる。
「タカ。タカはあの女に騙されてるからそんなことを言うのよね」
  落ち着け。落ち着け。落ち着け。
  姉貴はただ、ちょっと怒ってるだけだ。
  だからこんなに怖がる必要なんてどこにも――。
「大丈夫。お姉ちゃんが、タカを目覚めさせてみせるから」
「あ、姉貴?」
  ふり向こうとして――
  ガンッ!!
「ぐっ!?」
  あ、ねき――な、んで

「あ、進藤さん」
「ええと、隆史のお姉さんじゃないですか。どうしたんですか」
  お姉さんはうつむいていた。
「今日はちょっと、言わなくてはならないことがあって」
「何ですか。隆史のことですか」
「ええ。その、とても言いにくいのだけれど……」
  視線を彷徨わせ、こちらの様子を伺っている。
「言って下さい。今日は隆史が来ていなくて、気になってた所なんです」
「実は、タカ、もうあなたと一緒にいたくないらしいの」
  なっ!?
「そ、それは一体どういう……」
  隆史、そんな、なぜ、いきなり……。
「本当にごめんなさい。タカは……私とずっと一緒にいたいから、もう進藤さんとはいられないって――」
「そんな……嘘よ……嘘に決まってる……」
「本当なの」
「隆史に直接聞いてみます!」
  お姉さんは止めなかった。
  しかし……
「うそ……うそよ……」
  着信拒否。なぜ。そんなバカな。隆史はそんな……酷いことする人じゃないのに……。
「ごめんなさい」
  彼女はそれだけ言って去っていった。
  私は、その場から一歩も動けなかった。

「なんてことするんだ!!」
  家に帰ってみると、縛り上げられたタカが目を剥いて怒っていた。床を這ったのか、ところどころ汚れていた。
「なんてことって、なんのこと?」
「この……!!」
  タカはきちんと聞いていたようだ。
「分かったでしょう? あの子は、私の言ったことを信じたわ」
  ツーツーと大きな音を出している電話機に近づき、オンフックの設定を切る。
  すぐに帰ってきたけれど、五時間近く繋ぎっぱなしだったから電話代が気になる。
  まあ、これでタカが目を覚ましてくれるのなら安いものだ。
「麻妃は絶対に俺を信じてる! すぐに気付くはずだ!!」
「タカ、まだそんなこと言ってるの? あの子が信じようと信じまいと、タカは私のものなんだから関係ないでしょ」
  まだ分かってくれていない。
  でも大丈夫。私はタカのこと大好きだから、何でもしてあげられる。タカが分かるまで何度でも。
「俺は俺のものだ! 姉貴のものじゃない!!」
「ふふ、必死なのね。あの子とおんなじ」
  気にくわないわ、あの子。こんな所まで入り込んでいるなんて。
  タカは私の色だけでいい。私だけを見て、私だけと話して、私だけに微笑んで、私だけとセックスして、
私だけのタカになっていればいい。
 だから、タカを汚すような真似は許さない。
 あの子の影を、タカから追い払わなければ。
「タカ……好きよ」
 寄り添うように横になり、そのまま口づけする。
「あ、姉貴やめろ……んむっ!?」
 タカの唇。タカの舌。タカの頬。タカの耳。タカのうなじ。
タカの首筋。タカの、タカの、タカのタカのタカのタカの――!!!
 ――ぜんぶ、わたしのものだ――

 お客様の電話番号は現在着信拒否に設定されています――
  無機質な応答メッセージが再び耳に届いた。もう何度目だろうか。
「隆史……嘘だよね」
  だが隆史は答えてくれない。
「こんな終わり方嫌だよ……」
  唯一の望みは、まだ直接聞いた訳ではないということ。
  あの人経由で伝わった情報でしかないということ。
  しかし着信拒否になっているということは、つまりはそういうことじゃないのか。
  いや、でも、まだ。
「返事してよぉ……たかし……」
  あの日から大学へ行っていない。
  私が行かなければ隆史が行けるかも知れない。そういう考えがあるにはあった。
  しかし一番の理由は、行くだけの気力がないことだった。
  視界が歪む。
  さっき一気に飲んだウイスキー……グラスで三杯?四杯?覚えていないけど――が効いてきたんだろう。
  やけで一杯まで注いでしまって、こぼしてしまったのが無性に悲しくて悔しくて嫌だった。
  なんでそんなことで高ぶるのか分からなくて、またそれが堪らなく苛立たしくて……
  ヒュッ――ガシャンっ!!!
  いつの間にか投げ捨てていたウイスキーグラスがクローゼットに当たって砕け……
その音が、破片が耳の奥まで突き刺さった。
「いたい……いたいよたかし……」
 本当にガラスが刺さったわけでないことくらい分かってる。でもいたい。さみしい。
くるしい。いたい。いたい。いたい。いたい。
 なにがなんだかわからない。
 ぐるんとせかいがまわった。
 ひょうしにすがったボトルがあまりに頼りなく落ちてきて、めのまえにおちてはねた。
 あ、まずい、のみすぎ――たかし、たすけて。
 たかし、たすけ――

「ああ、岸本君。弟さんの具合はどうかね」
  教授が手招きしていた。
「まだ良くならないみたいです。本人は大丈夫だって言ってるんですけど、危なっかしくて」
「岸本君みたいなしっかりした人が見てくれているなら、安心だよ。弟さんに言っといてくれ、
お姉さんの言うとおりにしてれば間違いないって」
  本当、その通りなのに。
「言いすぎですよ、先生」
  ハハハと笑って退室していく。
  まったく、隆史ったら先生にまで心配かけて。
  いつになったら分かってくれるのだろう。

「うえぇ……」
  洗面所は酷いことになっていた。これ全部、私の中から出てきたのかと思うと自分のことながら信じられない。
「はぁ、はぁ……うっ」
  出てくる出てくる、朱色に染まったウイスキー。もとは綺麗な琥珀色なのに、汚い色だ。
  昨日からキリキリと胃が痛んだけど、やっぱり出血してたんだ。
  よく考えれば、ここ数日まともな食事をしていない。いや、何も食べていなかった。
  酔っては寝て、酔っては寝て。
「まるで、あの時みたい――っ」
  あの光景がフラッシュバックする。アルコールが入ると、こういうことが多い気がする。
「キツイの思い出しちゃった……ひっ」
  肺がヒクンヒクンと震える。しゃっくりの酷くなったようなものだ。
「っく……っあ……っう……」
  ひどい――こんな飲んでたのか。
  これが出たのは生まれて二回目だ。
  一回目は、二十歳になったときに好きなだけ酒が飲めると喜んで、羽目を外しすぎたとき。
あれは失敗だった。アルコールに慣れてなくて、ペースを知らないないこともあって、その上、
ボトル一本開けてやると無駄に意地を張ったのも悪く作用して……朦朧としながらも救急車を
呼べたから良かったものの、医者の話では、下手をしたら死んでいたという。
  今は……まあ、いいか。死んでも。誰も悲しまない。親は私に興味がないし、大学での友人も
広く浅く作っているから、きっと一日で忘れ去られる。隆史は――
「ひっく……っく……あれ?」
  ぴちょん、ぴちょん。シンクにアルコール以外の液体が落ちていく。
  何だろう。
  どうでもいいや……たかしだって、きっとあの人の方がよかったんだから。
  グッと胸の奥が締まり、むかつきが酷くなった。
「なんで、たかしのこと考えると気分悪くなるのよ……もうやだぁ……」
  たかし。どこにいるの。やめて。私はこんなに辛い思いをしてるのに。もう隆史なんか考えなくていい。
助けに来てよ。はやく。ねえ。たかし。やめて、やめてやめて。私はここにいるよ。ほら、こんなに苦しんでるよ。
隆史なんか忘れて! だから助けに来てよ。はやく。いますぐ。
嫌っ!! おねがいだからたすけにきてよたかしっっ!!!

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