姉貴と恋人 後編 第3回
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 テレビを見ていると、姉貴に肩を叩かれた。
「ねえタカ。話があるんだけど」
「ん?」
 ちょうどテレビ番組が終わったところだった。時間は空いている。
「あのね。明日から一緒に帰ろ? 高校の時みたいに」
 いきなりガバッと首っ玉に抱き付かれた。
「何だって? ちょっと待てよ。いきなり、それはさすがに無理だろ」
「どうして」
 耳元で囁かれた。声が笑っていない。
「何かあるの?」
 寒気がした。
 何もないから大丈夫と言いそうになる。
 だが……これ以上姉貴の言うままにはなれない。
「何もないけど、まず第一に時間が合わない。講義の終わる時間バラバラじゃないか」
「そんなの、どっかで暇つぶしてればいい」
「そんなことするくらいなら家に帰ってた方が――」
 首に回された腕に力が込められた。
「タカは、意見しなくていいの」
 苦しい。少しずつ拘束が強まっていく。
「タカは私の言うとおりにするんだから。ずっとそうしてきたでしょ? 私はタカが心配なの。
私はお姉ちゃんなんだから弟の面倒はしっかりみなくちゃいけないの」
「あ……」
 古い景色が見えた。
 まだこの家に越してくる前。昔の街の十字路で、姉貴が俺の手を引いていた。
「もうケンカなんかしちゃだめ。タカはお姉ちゃんが守るんだから、お姉ちゃんに言いなさい」
「でも、あいつら公園をひとり占めしてて」
「そんなの、お姉ちゃんに任せなさい」
「でも、お姉ちゃんが怪我したらイヤだよ」
「大丈夫。私がお姉ちゃんなんだから弟のめんどうはしっかりみなくちゃいけないの」
 にっこり微笑んだ姉貴は誰よりも頼もしかった。

 

 しかし、今の姉貴は……。
「タカ。お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
 こんな姉貴、見たくない。
「姉貴、俺姉貴のこと好きだよ」
「なら私の言うとおりに――」
 言わないと。姉貴の為に。
「でも。今の姉貴は嫌いだ」
「タカ……?」
「姉貴は綺麗で優しくて、格好良くて頭が良くて、俺の自慢の姉だよ。でも、今の姉貴は……汚い」
「そんな、タカ……そんな」
「姉貴はもっと清らかな人のはずだ。なのに、麻妃にやきもち焼いて、俺を強引に奪った」
「それは違う! 私は、お姉ちゃんはタカのこと大好きだから、だから!」
「姉貴は、俺が離れていくのが恐かったんだ」
「違う!」
「俺が姉貴の手の届かないところに行くのが嫌だったんだ」
「違うっ!」
 余韻が耳に残る。
 鼻をすする音が聞こえた。
「どうしてそんなこと言うの……お姉ちゃんは、タカが大好きなだけなのに……タカとずっと一緒だと
思ってたよ……ううん、ずっと一緒よ……なのに、どうしてそんな酷いことを言うの……」
 首筋にぽたりと、冷たいものが落ちた。
「ごめん」
「どうして!」
「俺は、姉貴を、姉として以上に見られない」
「ならどうして今まで!」
「姉貴を、泣かせたくなかったから……」
「だったら私を泣かせないでよ!! 私の側にいて!」
「それは無理なんだ」
「どうして!! ……まさか、あの女……!!!」
「待て! 麻妃は悪くない」
 ギリ、と噛みしめる音がした。
「どうしてあんな女かばうの! 隆史を騙して!!」
「違う! 麻妃を選んだのは俺の意志だ。姉貴を選んでから、ずっと麻妃のことが頭から離れなかった。
麻妃を忘れられなかった。だから、姉貴には期待させるようなことになって本当に悪かったと思う。だけど、俺は」
「やめて、言わないで……」
「俺は、麻妃が好きなんだ」
「いやっ!! 聞きたくない!!」
「姉貴、聞いてくれ! もう決めたんだ。姉貴は姉として好きだ。でも、女性として好きなのは麻妃なんだ」
「いやあぁぁっ!!」

 姉貴との関係はもう元には戻らないだろう。
 きっと、ずっと遺恨は消えない。
 その代わり麻妃を。
 本当に好きな人を幸せにできるなら。
 これが一番良かったんだ。
 そう信じたかった。

「麻妃っ!」
 朝一番、麻妃の姿を探して名を呼ぶ。愛しい名を。
「あ、隆史……」
 しかし、麻妃の顔が浮かなかった。なにかあったのだろうか。
「麻妃、話があるんだ。聞いてくれ」
「あの、私も聞いて欲しいことが」
 おずおずと切り出す麻妃。
「いいよ。先に」
 嬉しいニュースは後に取っておくのがいい。
「あの……私、迷惑?」
 目を逸らして彼女は訊いた。
「そんなわけないだろ、一体どうしたんだ?」
「私、隆史に気持ちを押しつけてたんじゃないかって思って」
 下を向いたままポツポツと麻妃は語る。
 そんな姿は麻妃に似合わない。
「何があったかは知らないが、そんなのは杞憂だよ」
「でも」
「いいんだ。それより俺の話を聞いてくれ」
「……いいよ」
「俺は麻妃が好きだよ」
「うん」
「ずっと麻妃と一緒にいたい」
「私もそう思うけど……お姉さんが」
「昨日、話をした」
「えっ?」
「姉貴と話したんだ。それで……もう、姉貴とは元の姉弟に戻ることにした」
「じゃあ……」
「ずっと一緒だよ。麻妃だけとずっと一緒にいられるんだ」
「うそ」
「本当だ」
 麻妃は呆然として、それからじわっと目尻に涙が浮かぶ。
「隆史……嘘じゃないね……?」
「嘘じゃない。もう、俺の恋人はお前だけだ」
 その時の麻妃の笑顔は、俺の胸の中だけにしまっておこう。
 ごめん、姉貴。そしてありがとう。
 姉貴は、最後には分かってくれたのだ。
 もっとも、しっかり釘は刺されてしまったが。
「そういえば、姉貴から伝言が」
 言いたくないんだけどな……。
「えっ」
 麻妃は眉を寄せた。
「浮気には気を付けて、だそうだよ」
 居心地が悪い。いや、そもそも姉貴が悪い。こんなデリケートな話題を伝言にしなくたって良いだろうに。
 ちらっと見ると、麻妃はむっと唇を締めていた。
「バカ。そういうのは言わなくていいの」
「でも、姉貴が言えって」
 麻妃は目くじらを立てようとして……笑っていた。
「なによ、結局お姉さんの言いなりじゃない」
 思わず微笑み返す。
「でも、仕方ないだろ」
「また「でも」って言った。「でも」は禁止ね」
「そんな」
「「そんな」も禁止!」


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