姉貴と恋人 前編 第8回
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「隆史、ちょっといい?」
 2コマ目の講義が終わったところで、麻妃に声を掛けられた。
「ん、なに?」
「その、お姉さんのことで少し」
 思わずつばを飲み込んだ。
「……いいよ。どこで話そうか」
「カフェに行きましょう。隆史は今日はこれで終わりよね」
「ああ。木曜は2コマだけだ」
 麻妃は頷くと先に歩き出した。
「しかし、まさか麻妃の方から話があるとは思わなかった」
「どういうこと?」
「いやさ、麻妃と姉貴には……その、色々あったじゃないか」
 彼女は一拍おいてから「そうね」と答えた。
「でも、別に私は気にしてないわ。私にとって彼女はライバルでも何でもなく、届かない人だから」
「届かない?」
 返事はない。
「麻妃?」
「ところで隆史、何でお姉さんのこと好きになったの?」
「なっ……いきなり、いきなり何を」
 そんなの、麻妃に言いたくない。
「そんなに驚かないでよ。別に嫉妬してる訳じゃないし、聞いたから私が何をする訳でもない。ただの興味よ」
 いや、でも。
「言えない」
 彼女の眉が動いた。
「言えない? なんで?」
「それは、分からないけど。言いたくない」
「そう」
 沈黙が降りた。
 しばらく歩き、屋外に出たところで彼女はふり返り、口を開いた。
「私は、隆史がお姉さんのことを好きならそれでいい。でも」
 そこまで言って、麻妃はかぶりを振った。
「ごめん。いい。私が口出しすることじゃなかった」
 一体何なんだ。
「何だよ。言えよ」
「言っていいの?」
 深い鳶色の瞳に吸い込まれそうになった。
 堪らず目を逸らす。
「……いや」
「そう」
 麻妃は再び歩き出した。
 胸の奥がぐつぐつ煮えたぎるような不快感。
 足取りが重くなる。
 麻妃はふり返ってくれない。
 そして、麻妃との距離が10mにもなりかけた頃、彼女はようやく俺の所へ来てくれた。
「もう、しょうがない人」
 麻妃は微笑んでいた。

 カフェに着いて席を取り、オーダーし終わったところで麻妃は口を開いた。
「話っていうのは、この前言っていた、門限についてよ」
「門限?」
「ええ。分かっているとは思うけど、おかしいわ。今でも寮なら門限はある。
でも隆史はお姉さんと賃貸マンションで二人暮らしでしょう?」
「それは分かるよ。でも、何で今更」
「隆史、本当にそれでいいと思ってるの?」
 強い口調だった。
「いや、思ってはいないけど」
「お姉さんは昔からそういうのに厳しかった?」
「いや……むしろ姉貴の方がよっぽど奔放な生活をしてたな」
「ならやっぱり異常よ。このままだと、いつかお姉さんは隆史を監禁、とまでは
いかないと思うけれど、何らかの形で隆史を拘束してしまうわ。隆史のことだから
私がとやかく言うべきじゃないとは思うけれど、それでも隆史、お姉さんを
止めるなら今のうちだと思う」
 麻妃は必死だった。
 彼女の言うことはもっともだ。最近の姉貴は普通じゃない。
 恐らく彼女の言うとおりにするのが正しいのだろう。
 だが、それは聞けない。
「いや……大丈夫だ」
「隆史」
「拘束されても仕方ないよ。俺は姉貴のことを」
「好きなの?」
 胸の奥にじんわりと熱がこもる。さっきの不快感があふれ出しそうになる。
 それら全てを振り切って、俺は言った。
「好きだ」
 麻妃は何も言わなかった。ただ、揺れる瞳で見つめるだけだった。


「ただいま」
「お帰りタカっ! 今日は早かったじゃない」
 喜色満面。
「うわっ」
 案の定抱き付かれ、口づけされる。
「タカ、タカっ……好きよ」
 ついばむように。次第に深く。
 それに応えながら俺は、頭の奥では別のことを考えていた。
 どうして姉貴なんだろう。いや、どうして麻妃じゃないんだろう、と。
「どうしたの、タカ。元気ない?」
 ぎゅっと密着する身体。
 熱い。
 くらくらする。
「そんなことないよ」
 姉貴の背中を撫でまわす。曰く、これが好きなのだという。
「あ……ん。ゾクゾクする……」
 とろけた瞳で見つめられ、思わず首筋に顔を埋め、唇で愛撫していく。
 こうしていながらもやはり、どこかで冷静な自分が麻妃の姿を探す。
 こんな所にいるわけないのに。
 そもそも、俺は姉貴を選んでいるというのに。
 今腕の中で震えている女性は紛れもなく俺の姉だ。
 そして、間違いなく恋人でもある。
 俺は姉貴を選んだ。
 なぜ。
 ――綺麗だから――。
 ――頼りになるから――。
 ――魅力的だから――。
 違う。
 姉貴に、求められたからだ。
 思えば今まで俺は姉貴に従いっぱなしだったし、それが当然だった。
「タカ……タカ大好きだよ」
「ああ、俺も、だ」
 姉貴は熱っぽい吐息を漏らした。淫靡な瞳で見つめてくる。
「行こう?」
 俺は答えずに姉貴を抱き上げ、ベッドへ連れて行く。
「あん……」
 横たえる時にまた、悩ましげな声を漏らす。
 我慢できず、姉貴にむしゃぶりつく。
「あはっ」
 乱暴にさえ思われる俺の行動を嬉しそうに受け入れていく姉貴を見て、思った。
 俺は姉貴のことを、何の為に抱いてるんだろう、と。


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