姉貴と恋人 前編 第7回
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「はい、コーヒー」
 行為を終えて一息つくと、門限まであと一時間を切っていた。
 もうここを出なければならない。
「ありがと」
 麻妃は微笑んでカップを受け取ると、そっと口を付けた。
「なあ、麻妃。香水使ってるか?」
 いきなりだったからか麻妃は目を見開いている。
「なんで?」
「いや、例の心当たりってやつなんだけどな。あの日俺が帰った後、姉貴に……
なんていうか、匂いをかがれたんだと思うが、その時、俺の知り合いにオレンジの
香りの香水を使ってる奴がいないかって聞かれたんだ。もし麻妃がそういうのを
使ってたら、そこからバレたんじゃないかと思って」
 麻妃はうつむいた。
「……そうね、あの時までは使ってたわ」
「あの時まで『は』?」
「ええ。変えたの。というより、使わなくなったのよ」
 麻妃は何故か、斜め下を見て恥ずかしそうにしている。
「なんで変えたんだ?」
「……隆史が言ったから」
「は?」
 麻妃は俺を恨めしそうに見た。
「あの日、その、終わってシャワーを浴びた後、『いい匂いだ』って」
「あー、そんなことを言ったかも知れないな」
 というより言ったんだろう。
 確かに香水の匂いよりは石けんの香りの方が好きだった。
「前の方がいい?」
「いや、今のままでいいよ。……さて、そろそろ行かないと本当に遅れるな」
 麻妃は何も言わず、その柔らかい手を俺の手に添えた。
「麻妃?」
「あ、ごめん……」
 麻妃はパッと手を離した。
「いや」
 気まずい空気を紛らわすかのように麻妃は微笑む。
「バイバイ。また明日」
 その微笑みは、泣いているようにも見えた。


「ただいま」
「どこ行ってたの」
 帰宅するなり姉貴に詰問され、思わずどきりとした。
「えっ? 駅ビルにずっといたけど」
 用意しておいた答え。
「何をしてたの」
「CD探してた」
 姉貴はまだ納得しないようで、じーっと見つめてくる。
「本当? 何のCDを探してたのよ」
「えっと、ポップスを」
 さすがにこの先は用意していない。
「ポップスねえ……タカ、そういうの聞く方?」
「いや、聞かないけど……たまたまっていうか、ちょっと気が向いたから」
 沈黙。姉貴は探るような視線を投げかけた後、ため息をついた。
「まあ、門限まであと10分残ってたからいいけれど。次はあまり遅くならないようにするのよ」
 助かった。どんな曲を探したのかまで聞かれたら答えられなかった。
 しかし、明日からはどうしようか。
 きっと、姉貴はもう疑っている。講義に紛れ込んでくるような姉貴だから、
ひょっとしたら後を付けられかねない。
「タカ、早く」
「分かってる、今行くよ」
 重い。
 姉貴の存在が重かった。


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