無題 第2回
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「青木君……時間いい?」
 携帯から鳴った。だから出た。そして相手は平田だった。
「え、と……」
 自分で声が少し震えているのが分った。目が泳ぐ。
 あれ以来、会話は全くしていなかったが、その代わり感じる視線だけは段々と強くなっていた。
 ――怒ってるのだろう。
 自分はやりなおそうとは思っていない。現に今由香と付き合っている。
 しかし、彼女の視線を感じる度、何度も浴びせかけられていた金切り声が何時飛び出てこないかビクビクしていた。
「ごめん、もう直ぐ映画始まるから」
 それだけ言って一方的に切った。
 心臓の鼓動は早かった。

「健司、誰からの電話?」
「な、なんでもないって」
「――ふうん。……もうすぐだからちゃんと電源きっときなさいよ」
「わかってるって」
 そういって電話を切った。
 ――次に電話かかってくる瞬間が怖かった。何て言おうか……

 

 教室でぼんやりと携帯のメールを再び確認する。
 『放課後屋上で話したいことがあります』――平田からのだ。それ以外は何も書いてない簡素なメールだった。
 昨日の映画の前以来、いつ次が来るのかビクビクしていたが、とうとう今朝来た。
「どうかしたの?」
 人の不安そうな顔に気づいたのか由香は心配してくる。慌てて携帯を閉じる。
「……放課後ちょっと用事入った。でも多分すぐ終ると思うから、お好み焼き屋には一緒にいけると思う」
 この機会にキッパリ言っておこう。もう別に付き合っている人がいるから別れるって。
 ――少し自信ないけど。
「――ふうん。早く終らせてよね」
「ああ……うん」
 やっぱり自信ない。

 

 今朝から――いや、昨日映画を見る前辺りから健司の調子がおかしい。
 まあ原因なんて簡単に想像つくのだけれど。そして最近の彼女の纏っている空気。
 ――もう一度釘さしといた方がいいかな。
 そんな事を考えていると都合よくトイレの前で彼女と会った。
「平田さん――」
「なに?松岡さん」
 ふうん――やっぱりだ。
 彼女の瞳は以前見たときにあった、あきらめの色のではなく、迷いの色。
そしてその奥には吹けば飛ぶほど微かではあるが決意の色。
 ――そして充血していた。
「この前の忠告はありがとう。確かに彼、彼女はいたわ」
「――私付き合っている人いるって知ってた?」少しだけ震えている彼女の声。
 彼女の言葉は無視して話を続ける。
「――でも『別れた』って。その前の彼女って酷い人らしくてね、
その時散々言われた事が未だにトラウマになっているんだって
 多分二度と顔も見たくないんじゃないかしら」
 彼女は押し黙ったまま何も言わない。
「あと、私放課後『健司』と一緒に遊びに行く予定あるから――」
 ――釘はさしておいたわよ。

 

 踊り場の時点で一息をつく。体力的に問題があるわけではない、ただ足が重い。
 何を言われるのか想像しただけで、屋上へと近づくだけで、胃がしめつけられる。
 大きく深呼吸をして再び階段へと足を進める。
 ――死刑囚が上る十三階段って感じなのだろうか。
 背中は汗がベッタリと、体はかすかに震えているのがわかった。
 ――バックレようかな……。
 心の中の弱い考えがムクムクと大きくなる
――が、逃げたら何が起こるかわからないという更に弱い考えが足を進めさせた。

「ごめんなさい……」
 屋上で待っていたのは彼女の金切り声だとばかり思っていたが、涙を溜めた平田がいた。
 ――なんだよ、この展開。
 受験の面接時の様にいくつかやりとりは想定していたが、全部吹き飛んだ。
「私ずっとわがまま言ってた、付き合ってくれって言われて有頂天になって
青木君に甘えて青木君のこと何も考えてなかった。
 ずっと好き勝手やって傷つけるなんて思ってなかった。
 この前のときだってつい口が滑っちゃったけど……」涙で言葉を飲みこんだ。
 両手をグッと握り締め泣きながら、それでいてこっちを真っ直ぐ見つめてくる。
 ――なんだよ、今目の前にいる女の子は。
 自分の知っているのはもっと高圧的で、デート中は常にこっちが気を使っていないと癇癪を起こす――
でも好きだった子。
「いつも見たいに直ぐ謝りに来てくれると思ってたのに、中々謝りに来てくれなくて……。
 今回は……ううんいつも私が悪いから私から謝る。
 許してくれるんだったら青木君の言うこと何でも聞く。
 青木君好みの女の子になるから――」
「いや……今別に付き合ってる人いるし、だからもう――」
 ――雰囲気に飲まれそうだ。視線を合わせていられない。
 屋上を上っていた頃に決めていた意志をかろうじて搾り出す。
「そんな事知らないわよ!私は青木君が好きで、青木君は私が好きなんだから……」
 ヒステリック気味に声を荒げる。
 携帯がなる。平田の視線を避ける理由に携帯を覗く。由香から早く来いとメール。
「ごめん――人待たせてて、もう行くから……」
 メールが来たのを言い訳に逃げるように屋上を出た。
 何か背中に言葉をかけられた気がしたが文字通り走って逃げた。

 彼女のあんな顔を見たのは始めてだった――少し困った。困っている。心が少しだけ揺れた。

 

 鉄板の上で焼ける音がする。
 ボクと由香は約束どおりお好み焼き屋にいた。
 ――言うか、言わざるべきか。先程屋上で起きた事について。
 決めた――言う。目の前の彼女に後ろめたいものを持ちたくないから。
「なあ、今日の放課後、より戻さないかって言われた」
「知っている……」
 彼女の声には抑揚はなかった。
「……なんで?」
「女の勘……」
 相変わらず抑揚のない声で、行き場のない感情を自分の豚玉にぶつけるように睨み付けていた。
 小皿にとって小さく切り分けていく。
「怒ってる?」
 彼女は小皿の上のお好み焼きを原型を残さないほど潰されいた。
「怒っているわよ、本当なら目の前の鉄板で顔焼いてやりたいぐらい」
 繭一つ動かす抑揚のない声――冗談に聞こえない。
「でも許してあげる」
 その言葉を言いながら、いつもの顔で笑っていた。
「その事私に話して、私とこうしているって事はちゃんとケリつけてきたんでしょ?」
「うん――まあ」
 もしこのタイミングで冗談でもノーと言ったりしたら本当に鉄板で焼かれてしまうのだろうか。

「あんた馬鹿正直って言われない?普通黙ってたら大抵はわかんないわよ」
 呆れてものも言えないって顔をしている。
 ついさっき自分では女の勘でわかっていたとか言ってた癖に――。
「前落ち着ける関係って言っただろ?嘘ついてるのに落ち着いてるのなんて何か嫌だからさ」
「ふふ、私って信用されてんだ。――でも遅れた分のツケはもらうわよ」
 そういうなり彼女は鉄板の上の人のイカ玉を真っ二つにしようとしていた。
「なにやってんの?」
「遅れた分のツケ。イカ玉半分」さも当然の事のように言ってくれる。
 彼女のヘラを自分のヘラで受け、金属音をさせ止まった。
「君が太って悲しむ姿を見るのは嫌だ。だから自分の分はきちんと処分する」
 何と言うか素直に取られるのは癪に障る。
「大丈夫、私いくら食べても太らない体質だから。
 むしろうっかり奢るなんて言ってくれてたら、後二つは頼むつもりだったから」
 結構食い意地はってんな。平田はいつも小食で――って何考えているんだ。

 その後お好み焼き交渉はイカ玉半分と豚玉四分の一とのトレードで決着はついた。


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