二等辺な三角関係 第1回
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 「お父さん……もうきっとわたしのこと忘れちゃってるんだろうな……」
 自嘲的な響き。
 でも、泣き顔でないし、現実を受け入れつつある分、半月前よりマシだ。
 「あーー、その、大丈夫だろ」
 俺は悩めるクラスメイトを慰めるため、気恥ずかしさを押し殺す。
 「……竹沢みたいな可愛い娘のことを簡単に忘れられる親父なんていないって」

 とびっきりの甘言だ。
 脳が蕩けてそうな台詞を自分が吐いていると思うと眩暈がする。
 しかし、その効果は絶大。
 竹沢はびくりと全身を震わせると、鮮やかな朱色に染まった。

 「……こ〜ちゃんはやっぱり優しいなぁ。ありがとう。わたし頑張るよ」
 溢れる喜びを隠そうともせず、竹沢は嬉しそうに円らな瞳を俺に向ける。
 そんな純粋なリアクションをされたら、逆に俺のほうがその顔を直視できない。
 むずかゆい気持ちを紛らわせるように、竹沢のか細い肩をポンポンと叩いた。

 「撫でて」

 その手を取られ、両端で括られた髪の根元に導かれる。
 「……またか……。お前、ちょっと現金すぎないか?」
 「だって……」
 「あー落ち込むな、涙ぐむな、自分に自信を持て、…………わかったよ」

 竹沢を元気付けるには激甘の口説き文句まがいと、べたべたのスキンシップが有効。
 経験則でわかっているため、俺は文句を垂れるのを我慢する。
 機械的に手を動かすだけの俺の撫で方でも、竹沢は眼を閉じて恍惚そうにされるがまま。
 お互いに無言で時を過ごす。

 

 竹沢雫。
 その父親が蒸発したのは一ヶ月前のお盆。夏休みの真っ最中。
 俺が誰もいない教室で泣いている竹沢を見つけたのが半月前の始業式の日。
 天真爛漫で小柄、その上童顔ときてみんなに可愛がられている。
 そんなクラスのマスコットの素顔を俺は垣間見てしまった。知ってしまった。
 以来こうして放課後に竹沢を慰めるのが日課になっている。

 下校時間一時間前を知らせるチャイムが鳴り響き、俺は撫でるのを止めた。
 竹沢が上目遣いで帰り支度を始める俺の様子を窺っている。
 名残惜しそうな寂しそうな、簡単に言えば見る者の保護欲を駆り立てる目付き。
 まるで一人家に残されるのを嫌がる幼児が親に縋りつくように。

 これは正常な関係なんだろうか?

 ――愚にも付かない質問だ。

 「行っちゃうの?」
 「……そんなこと言っても俺は消えたりしないから。また明日だ、また明日」

 こいつを見捨ててはいけないという身勝手な義務感に俺は囚われている。
 仮面を外した儚い素顔を見てしまった者として。
 竹沢の支えになってやるだけだと、俺は自分に言い聞かせた。

 

 廊下を挟んで職員室の対面にある教室の半分くらいの部屋。
 印刷室は大型のコピー機が三台並べてあるので実際の広さより手狭に感じる。
 「いつもお勉強ご苦労様です」
 抑揚のない声は、しかし毎度毎度遅刻する委員長に対しても丁寧至極だ。
 長髪黒髪の見目麗しい後輩が俺の気配に振り返る。

 中央委員副委員長こと、椎名麻衣実ちゃんだ。

 「敬語なんか使わないでくれ。麻衣実ちゃんのほうが俺なんかよりよっぽど偉いさ」
 役職上なら委員長である俺の部下だが、実際の権限は彼女のほうが強い。
 生徒会の雑用係と揶揄され、俺も含めてやる気のない委員どもを纏め上げる手腕が、皮肉にも
 その生徒会から評価されているからだ。
「先輩が嫌ってる生徒会の評価でそう言われても嬉しくないですね」
 淡々と言う。
 ……そこまでストレートだと責められてるみたいだな。
 「……印刷とか業務連絡とか単純労働ばかり押し付けられれば、嫌いにもなるだろ」
 「じゃあそんな先輩に、これどうぞ。50部丁度お願いします」
 すまし顔で、A4用紙を一枚手渡される。
 「50も? そんなに何に使うの」
 「先輩……? 明日の放課後の定例会議、忘れてるんですか?」
 感情の起伏に乏しい麻衣実ちゃんだが、語尾が微かに震えている。
 そのことに焦った俺の脳は、なんとかスケジュール表を海馬から引っ張り出した。
 「……思い出した。会議室でだったかな」
 「サボらないでくださいね?」

 月一で行なわれる定例会議担当の中央委員は何度注意しても欠席する。
 そのしわ寄せが来るのは責任者である俺と麻衣実ちゃんだ。
 俺がいないと麻衣実ちゃん一人がこき使われてしまいかねない。
 不安になる気持ちはよく理解できた。

 

 「心配しなくてもちゃんと出席するよ。今月は麻衣実ちゃんに迷惑かけっぱなしだし」
 「そう……ですか。……なら、いいんです」
 俺は竹沢の相手をするために、下校時間一時間前までを自由時間にしてもらっていた。
 受験勉強という名目で麻衣実ちゃんに無理にお願いしたのだ。
 彼女は文句一つ言わずに承諾してくれた。
 日頃のお礼も兼ねていつか恩返しをせねばなるまい。

 「久しぶり……本当に久しぶりに先輩とずっと一緒の放課後ですね……」

 「何?」
 俺の使う旧式の印刷機はガタガタと稼動音がうるさい。
 彼女の小さな科白は聞き取れなかった。
 「いえ、インクが切れそうなので取り替えようかと」
 赤く点灯したランプを指差して、麻衣実ちゃんは静かに微笑んだ。


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