疾走 第7話
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 疾走する――通学路を逆に、疾走する……っ!
 とうに昼休みは終わっているだろうが、構うもんか……っ。
 放課後の屋上に備えて、俺には家に戻って回収すべきモノがある。
「はあっ……! はあ、はあ……っ」
 膝に両手を当て……酸素を貪る。
 ――はにかんだ笑みが……素敵だった……っ。
 揺れるポニーテールは、とても似合っていると、思う。
 話していて――楽しかった。
 なのに。
「いたり……っ。先輩……」
 あの屋上で、俺が拒絶してから……おかしくなったのかっ?
 じゃあ、おかしくしたのは……俺かっ……?
 だけど俺は……ちゃんと断わったじゃないかっ! 無理ですって、言ったぞ……っ!
 確かに言い方は悪かったかもしれないけど……でも、普通わかってくれるだろ。
 不法な侵入。――鍵はどうしたんだよ、おい。
 無言の電話の奥底。ドアを蹴った、誰か……っ!
(まさか……俺のシャツを、盗ったのも……っ!?)
 ――全部、全部……先輩なのか……っ?
 俺にはもう、そうとしか思えないで、いる。
「――ガツンと……言ってやる」
 それで今後、二度と先輩とは話せなくなるとしても。
 今のまともじゃないいたり先輩を、正常に戻してやるには……俺が言うしか、ない。
 乱れた呼吸を整えると、俺は再び――疾走を開始した。

 覚悟しときなさいよ、とは言ってみたが……どうすれば、最善なんだろう。
 とぼとぼと、あたしは帰途を歩いていた。
 エー兄とあの女を――どうやって、別れさせるか。
 ……今すぐにでも殺してやりたいけど――問題は、その方法。

 なにが相応しいか――そうね。
 あらゆる血肉への道筋を、思索する。
 あいつとろそうだしね……案外どうとでもなるんじゃない?
 例えば……そう、例えば。
 圧殺や轢殺、刺殺や毒殺、駅のホームに突き落としたりも痛そうだよね、あはははははは――っ。

 ――あれっ? いや……あは、ははっ。
 いけないいけない……早まっちゃ駄目だよ、あたしってばっ……!
 今の、だいぶまともじゃなかった……危ないなあ、もう。
「だって……それって、犯罪じゃんっ……? あは、ははっ」
「――有華っ!」
 ……えっ?
 この声は……思いながら、振り返る。
「エ、エー兄……っ?」
「はあっ……! はあ、はあ……よかった、追いついたっ……!」
 薄く笑って言うと、エー兄は持っていた鞄を地面に置き、両手を膝に乗っけて、呼吸を整え始める。
 ――昨日を、思い出した。
 あたしの告白を笑って、冗談と言うことにして……あたしの悲しみを軽減してくれた、エー兄。
 そんなことするから……あたしは昨日より、もっと、エー兄が愛おしかった。
「……どうしたの。あたしに、なにか用事っ……?」
 直視できなくて、地面に視線を落とした。
 あんなとろそうな女のどこがいいのよ、とか……どうしても、そんな理不尽な非難を、
 エー兄にぶつけてしまいそうで、怖かったから。
 落ち着いたのか、エー兄はすっくと直立して、あたしを見てくる。
「聞きたいんだけどさ、お前……俺の家の鍵は、どうしたっ……?」
「――鍵っ?」
 言われて、急に答えられなくなった。
 あれ……っ? 確か昨日、エー兄の家に行った時に……開けてくれなかったときのために、
 持っていったよね、あたし……っ?
 その後――帰ってから、どこにしまったっけっ?
「多分……家にあると思うけど、どうしたのっ?」
「――多分、だって……っ?」
 ど、どうしたのエー兄……眼が、怖いよ。
 瞬時に切り替わった雰囲気に、あたしは動揺してしまう。
「お前……俺の親父に、それなりに信頼されたから、鍵貸してもらったんだろうがっ!
 だったらそれなりの責任を意識しろよっ!」
「あうっ……? エ、エー兄、どうしたの……怖いって」
「俺は――っ! お前よりもずっと怖いことに――っ」
 言いかけて、エー兄は口を塞いだ。
 明らかに……吐き出しかけた言葉を、噛み砕いている、そんな様子だった。
 斜めを向いているのが、何よりの証拠だと思える。
「エー兄っ……?」
「いや――すまん。言い過ぎた、ごめん」
 もうこの話題から逃れてしまいたい……そんな意思が滲んでいる、弱々しい声だ。
 エー兄は、忘却を願うように首を数回振ってから――。
「それよりも、有華……。お前に伝えたいことが、ある」
「――えっ」
 あたしを正面から見据えて、言ったのだった。

 階段を一つ越えるたびに、脳裏を過ぎることがある。
 ――あの、よ、よかったら、これからもお昼、い、一緒に食べませんかっ!?
 なんで俺なんかと食べたいかなあ、と最初は思った。
 けど特に断わる理由がなかったから――もちろん、いいですよ……って、言った。
 その選択が間違っていたなんて当然思わない。
 先輩の可愛いところとか……優しいところとか。話していて、楽しかったこととか。
 だが――俺の記憶の中で微笑む先輩は、それが真実か否か関係なく……もういない。
 怖かった。
 純粋に――はっきりと断わったのに、それを理解せず、あまつさえ勝手に家に入った先輩が……
 俺はっ……。
 おかしいと、変だと、普通じゃないと――思っている。
「ど、どこまで行くんだよぉ、エー兄のあほぉっ……!」
 有華の不満気に満ちた声が後頭部にかかる。
 俺は有華と繋いでいる手を強めに引っ張りつつ。
「いいから、黙ってついてこい。もうちょっとだから」
「話すだけならどこでもいいと思うよっ……?」
 滅茶苦茶行きたくなさそうにしている。
 高校の校門が見えてから、ずっとこんな感じだな……まあそりゃそうだろう。
 こいつはここの生徒じゃないし。
「……ごめんな。でも頼む……あそこで話さないと、駄目なんだ」
 言うと、有華は悩むように眉間に皺を寄せて……俯いた。
 ――俺は最低だと思う。
 この気持ちが本当はどうなのか……確信もしていないのに。
 前に向き直る。
 ドアが、待ち構えていた。


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