煌く空、想いの果て 第3話
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 猫崎猫乃の交際を始めてからすでに一週間も経っていた。
 恋人というよりは仲のいい友達同士って感じだが、徐々にお互いの距離は縮まっているように思える。
 昨日は、俺が一人暮らしと聞いて、猫乃は「じゃあ、わたしが夕食作ります。一緒に食べましょうね」
 と言って、
 見事な料理がテーブル上に並んだ。あの梓とは劣るとも勝らない料理は全て俺の腹の中に収まった。
 今日は、朝から迎えに行くと断言していた猫乃がやってくる。
 それまでにちゃんと歯を磨いて、朝ご飯を食べなきゃ。
 学校の制服を身に纏い、鞄に教科書の代わりに暇つぶしの漫画を押し込んでいるとインターホンが
 鳴り響く
 案外、早い時間だな。
 俺は急いで玄関に向かって、ドアを開けると驚愕した。
 そこにいたのは、幼なじみの梓がニコニコと笑顔で立っているのだから。
「おはよう。翔太君」
「お、おはよう」
 さすがにこの事態は予測不可能であった。梓が家に迎えに来るのは日常茶飯事だったが、
 俺が断固に梓を拒否し続けたおかげで、ここ最近来ることはなかった。
「どうしたの、翔太君。さっきから、おかしいよ」

 おかしいのはおまえだっての。

 脳裏に恋人である猫乃の姿が浮かんだ。迎えにやってくるという、
 猫乃と梓が鉢合わせするという最悪の悲劇を防げるかどうかが俺の生命線を握っているだろう。

 1・梓と猫乃の運命の鉢合わせ。誤解した猫乃は泣きながら、俺をフッてしまう。
   現実的にありえるってか、何もしなければ最悪の修羅場を迎えるパターン。
   あれ? これは確か梓の彼氏が誤解する時の状況と物凄く似ている感じが。

 2・ここはなにがなんでも梓にお帰りいただいてもらう。
   直情で思い込みが激しく頑固である梓を説得させる材料がない。
   俺を迎えに来るのが最優先のため、何が何でもやり抜くことだろう。

 3・猫乃の携帯に電話して、今日の送り迎えはやめてもらう。
   付き合っている彼氏がいきなり、今日は送り迎えはいいわ。
  と、言ったら、フツ−に彼女は傷つくぞ。理由は特にないわけだし。
  あう−。どうすれば。
 
4・正直に梓に事情を説明して、俺と猫乃の恋の行く末を応援してもらう。
   昨日のホームルーム後に咄嗟に現われた猫乃のおかげで、
  クラスの空気が10ぐらい下がった気もしなくはないが。そのおかげでさすがに鈍い人間でも、
 猫乃と俺が付き合っているのが梓にもわかっているはずだ。優しいから、丁寧に説明したらきっと……。

「梓。お願いだから、俺の話をよく聞いてくれ」
「うん? 何かな?」
「俺はあの昨日のホームルームに現われた女の子と交際している。
 そう、今から一週間前ぐらいにな。その子が迎えにやってくるんだよ。
 もし、お前と鉢合わせしてしまうとその子が誤解するかもしれないだろ?」
「だから、何かな?」
 いや、お前。その辺はいろいろ気を遣う場面じゃないかな。
「今すぐ帰ってくれないか?」
「嫌だと言ったら?」
 梓が優しく微笑して言う。
 俺の頼みを最初から聞く気はないらしい。
 更に、俺が梓を強制的に追い出そうともしないことも計算済みであるようだ。
 そんなやり取りを繰り返しているうちに、最悪はやってきた。

「先輩。おはようございま、す?」
 滑らかな可愛らしい声と共に現われたのは、恋人の猫乃である。
 戸惑いながらも、視線は真っすぐに俺の方を向いていた。
「先輩。この人誰なんですか?」
「あ、あ、」
 想像していた最悪な場面に俺は声を出すことができない。
 幼なじみの梓と恋人の猫乃が遭遇するという絶対的な状況に追い込まれて、普段なら冷静に
 立ち回ることができるのに。
 今はオロオロと二人のご機嫌をうかがうのが精一杯であった。

「私は翔太君の幼なじみの風椿梓って言います。あなたは?」
 この冷たい声を聞いただけで、男の諸君は誰もが背筋に悪寒を走らせるだろう。
 女の殺気は声だけで男を脅かせることができる。野蛮な男の暴力よりも数十倍の効果があり、
 その威力は絶大だ。
 そのような殺気を向けられても、猫乃は表面上では笑顔を絶やせない。

「そうですか。先輩の幼なじみさんですか。私は水野先輩の恋人の猫崎猫乃と言います。
 よろしくお願いしますね」

 と、猫乃は梓に握手を求めるかのように手を差し出してきた。
 梓と猫乃の両者は笑顔だけど、目が全く笑っていないまま、がっちしと握手を交わした。
 余計に力が入っているように思うけど。
 たぶん、気のせいだ。うんうん。

「じゃあ、さっさと行きましょうよ。先輩。遅れちゃうよ」
「ああ、そうだな」
 表面上の社交辞令が終わって、梓の存在を無視してせがむように猫乃は俺の腕を引っ張っている。
 まだ、学校の仕度ができてないんだが……。
 
 あっ。
 梓がジト目でこちらを睨んでいる。嫉妬する女の子は可愛いんだけど、それは梓の彼氏に
 みせてあげてくれ。
 って、なんで、梓は俺に嫉妬してるんだ?
 そんな事を思いながら、俺の部屋に鞄を取りに戻ってきた時には、すでに梓の姿は消え去っていた。

 昼休み。
 猫乃が作っていたお弁当をごちそうになるために待ち合わせしていた屋上の階段を登っていた。
 相変わらず、この階段を登ると梓と彼氏がキスをしていた嫌な記憶が脳裏に蘇るが、
 その痛みはどんどん小さく鈍い痛みと変わりつつある。
 心地良い風が吹き、猫乃は長い猫のような髪型がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「よぉ。待ったか」
「ううん。今、来たとこですから」
 嬉しそうな笑顔を浮かべる度に俺はこそばゆい気持ちになってゆく。
 彼氏彼女の関係になるのはこれほど心が癒される物とは、猫乃と付き合うまでは何にも知らなかった。
 少なくても、梓に彼氏ができたと知ってからは情緒不安定になっていた分、今はとても幸せのような
 気がします。
 作ってくれたお弁当を受け取ると、無我夢中に食べる。その姿をずっと見つめている猫乃。
 他人が彼氏が自分の作ったお弁当を食べてくれるのは純粋に喜ばしいことだ。頬を赤くして、猫乃が
「先輩。は−い。あーん」
 恋人の王道パターン。彼女の手作りお弁当を彼女の手で食べさせてもらうという常套な手段。
 これで参らない男の子はいない。
「まだまだ、一杯ありますから。味わって食べてくださいね」
 果たして、俺は正気を失わずに昼休みを乗り越えて行けるのか……。

 そんな感じに昼休みを過ごした俺は心と気力と腹の中身は最高潮になっていた。
 梓について、あれこれと考えていた頃が嘘のように心身とも軽い。人生は苦もあれば、
 楽もあるって言葉は現実にあるんだなと一人で納得しながらも、
 我が教室の前に辿り着く。
 中が騒動しいが、気にすることなくドアを開ける。
「………」
 俺が教室に入った途端にクラスにいる生徒全員が急に静まり返った。
 これは新手の苛めか? 重々しい空気の中、自分の席に辿り着くと携帯のメールチェックを見る。

 着信が一件。
 あ、猫乃からだ。

 愛しい愛しい水野先輩へ。
 今日、一緒に帰ると約束していましたが、
 美術の課題が終わらずに居残決定していたのを忘れてしまいました。
 遅くなるかもしれないので、先輩はもう帰ってくださいね。

 PS 
   幼なじみの梓さんと浮気したらダメですよ。そんなことしたら、先輩の胸の中で泣きますから。

 OK。
 了解と返信メールを送ると周囲の異変に気が付いた。

 まだ、クラス内の空気は冷たく沈黙していた。しかも、愛すべきクラスメイトの視線が
 見事に俺に向けられている。うーん。俺は何かしたんだろうか?
 やっぱり、虐めかな? これ。
 冷静に状況を把握してみた。
 悪友の山田は梓の友人グループに入って、俺なんかヤバいこと言ったよという感じに
 額から汗が一杯流れているのを確認できた。
 また、あの阿呆は女子相手に何かをやらかしたんだろうか?
 肝心な梓は真剣な眼差しでこちらを見つめている。
 その瞳は何を訴えているのか、俺にはもうわかることができない。
 ただ、幼なじみとして過ごしてきた俺が全く見せたことがない真面目な表情を浮かべていた。
 
 だが、状況を理解する前にチャイムの音が鳴り響いた。
 本玲のチャイムと同時に担当教科の先生が入ってきた。
 おかげでこの昼休みに何が起こったのか、さっぱりとわからずじまいであった。

 そして、放課後。
 猫乃は居残りの課題で一緒に帰れなかったので、俺は夕食のおかずを買うためスーパーに寄って
 帰っていた。
 一人暮らしは何でもかんでも俺一人の力でやらないといけない。食料の買い出しや生活品を買うのに、
 一度家に帰ってから、また出掛けるのは正直めんどうだった。
 買い出しを終わらせてから帰るとそれなりの時間になっていた。
 家に帰って、夕食の仕度に取り掛からなければならない。ポケットに入れている鍵を穴に差し込む。
 ここで異変に気付く。
 ドアが開いている……。
 家を出る前にちゃんと鍵をかけたので、ドアが開いてるはずはないのだが。
 恋人の猫乃には、まだ家の合鍵を渡してはいない。唯一、持っているのは梓だけ。
 そこで閃いてしまった。
 この家の中にいるのは、梓だと。
 最大の警戒心で恐る恐る静かにドアを開くと、玄関に見慣れている梓の靴が置いてあった。
 やはり、来ているのだ梓が。
 もう、以前のような幼なじみの関係ではいられない。
 おとなしく、合鍵を没収するか、鍵を変えてしまえば良かった。
 前は家に上がって、夕食を作ってくれたことが嬉しいと感じた事もあったけど、今となっては、
 不気味に思えてしまった。
 リビングに近付かずに階段を忍び足で登る。とりあえず、俺の部屋で作戦会議を開かないと
 梓を撃退することは無理だ。
 だが、その判断はまちがっていた。
 俺の部屋に、俺のベットの上で梓は電気もつけずに待っていた。
「翔太君。翔太君。翔太君。翔太君」
 俺の名前を連呼して、どこか虚ろな瞳で上目遣いで見ている。
 それは、今まで見知っていた梓はどこにもなく。
 目の前にいる少女は、ただ壊れていた。
 俺は恐怖で足が震えているのを抑えていた。
 一体、何があったんだよ。梓!!


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