お願い、愛して! 第7回
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 ――定刻。カーテンを覗いてみてもまだ淡く青白い光しか入ってこないような時間。
 枕元の目覚ましがまだ鳴っていないにも関わらず、俺はふと目を覚ました。
 だけど以前のように二度寝はしない。
 人間の慣れというものはなかなかに凄いものなんだなと思う。朝生と知り合って一週間。
 この一週間で随分と早起きが身についてしまったのだ。
 俺は、身体を起こして、半開きのままのカーテンを一気に全開にした。
 そうして部屋を出て、キッチンに向かい、昨夜仕込んでおいたおかずをレンジに入れて、
 その間、寝癖直しついでに風呂場で軽くシャワーを浴びる。終えて戻った頃には
 温まっている料理を皿に移し、その残りを弁当箱に粗雑に放り込んで、鞄に入れた。

 夏休み前なら考えられなかったな、こんな朝。

 シャワーが長かったのか、少し冷えてしまっている料理を口に運びながら、そんなことを思った。

「お、おはよ〜。はぁ、はぁ……」
 軒先で待っていた俺に、瑞菜は汗を拭いながら微笑みかけてくれた。
「おはよう。息切れするほど急がなくても良かったのに」
「で、でも、はぁ……待たせちゃったら……いけないと思って」
 急かせちゃったか……。

「ごめんね? いつも迎えに来てもらって」
「いや、こっちこそ時間余ってるのに急かせちゃってごめんな」
「ううん、わたしは全然だいじょぶだよ!」
 そう言いながらも、瑞菜の髪にはぴょこんと軽い寝癖がついていた。少し無神経だったかも知れない。
 次からは少し遅れてくるか。
 瑞菜に手間を掛けないために先に迎えに来ているのにこれじゃ本末転倒だ。

 

「ふぅ……」
 俺は瑞菜の息が落ち着いたのを確認して、
「そろそろ行こうか」
「うん!」
 瑞菜は返事すると、もう一度ふわりと柔らかく微笑んだ。

 道の脇を二人並んで、通学路に沿って歩き出すと、ゆっくりと風が頬を撫でていった。
 夏のまっ最中と言っても、他の学生が登校するより更に早い朝。もちろん、もうすぐ経てば、
 夏のあの開放的な熱でこの道路も燻されるのだろうが、この時間ならまだ夜の冷気が
 取り残されていて、涼やかだった。
「キョータくん、朝早くなったよねぇ」
「そうか?」
 歩を休めず、首だけを瑞菜に向けながら言う。
「うん。だから今度はわたしが迎えに行くからね?」
 瑞菜の言葉に、俺は思わず苦笑した。
 そんな俺の様子を不思議に思ったのか、瑞菜が「え? え?」と、大きな目を丸くする。
「あ、いや。夏休み前とは立場が逆転したなって思ってさ」
「! あ……う、うん。そうだね……」
「……?」
「…………」
 不意に、瑞菜が俯いて口を噤んでしまった。
 な、何か悪いこと聞いたかな……。
 俺なんかと一緒にされた事に怒ったとか……?

「……キョータ……くんは――――……?」

「……え? 悪い、聞こえなかった。今なんて?」
「う、ううん! なんでもないっ!」
 俯いていた顔を上げ、強くそう言った瑞菜に、俺はそれ以上追及することができなかった。

 

 

「きりつっ、れいっ」

 ――――。

 終礼後、鞄に手をかけて帰ろうとした時、ふと思い出した。
(っと、彫刻刀、朝生に返しにいかないと)
 午後に芸術で彫刻が行われることを忘れていた俺は、昼放課に朝生から彫刻刀を借りていたのだ。
 基本的に合同で行われる芸術の授業は当然、別のクラスに在籍する瑞菜も受けるため、
 瑞菜に借りる事はできない。だから学年の違う朝生に昼食を一緒にとったときにお願いし、
 放課後に屋上で返すことを約束して借りたのだった。

 屋上の扉を開けると、途端に少し蒸し暑い風と、夕焼けの紅い光が差し込んできた。
 その夕焼けを放つ太陽を手すりに身を任せ眺める少女が一人。
 ――朝生だ。
 姿を確認した俺はその影に向かって歩み寄って行った。
「危ないぞ」
 後ろから声を掛けると、瞬間、びくっと身体を震わせた。
 朝生がゆっくりとこちらを振り返る。
「……先輩」

 

 心臓が……高鳴った。
 夕焼けに髪を染めた少女の横顔が、瞳が、唇が、身体が……あまりにも儚げで。
「なにしてたんだ?」
 決まってる。彫刻刀を返してもらうために俺を待っていたんだ。
 そんなことは分かっているのに、普段と違う朝生の姿に動揺しているのか、
 そんな事を訊いてしまった。
 だけど、返ってきた答えはあまりに予想外で――。

「夕暮れがあんまり綺麗だから、自殺……しようかなって、思ってました」

 全身が震えた。

 固唾を飲み込んだ。

 自殺……?
 光の加減かも知れないけれど、その時、俺には朝生が泣いているように見えた。


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