過保護 外伝(前)
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このお話は『過保護』本編から約二ヶ月前のお話です。
倉田健斗と黒崎栞が付き合い始めてまだ一ヶ月の頃です……

 

秋は学園祭の季節、それは昇龍高校に代々伝わる伝統の一つらしい。
当然今年も例外ではなく、現在僕……倉田健斗は学園祭の準備の真っ只中。
クラスの出し物は演劇に決定し、僕達は学園祭に向けて稽古を繰り返していた。
けど……これだけなら去年と同じく何の変哲も無いごく普通の学園祭として、
僕の記憶の奥底に留められるだけで終わった事だろう。
だけど去年までの学園祭とは大きく異なる点が二つ。
一つは僕に念願の恋人が居る事。
もう一つは、何故か僕がその演劇の主役を演じる事になった事だ。
どちらも一つ一つは大事な事だけど、世間から見れば良くある事だと思う。
だけど僕の場合は……この二つが化学反応を起こして、決して忘れられない学園祭になったんだ。

ある日の昼休み、僕がいつものように黒崎先輩と昼食をとっている時だった。
ふとしたきっかけで学園祭の話題になり、そのまま出し物の話題に話が展開していった。
「先輩のクラスでは何をするんですか?」
「私か?私達は出店をすることになった」
黒崎先輩、エビフライを咥えたまま喋らないでください。行儀が悪いですよ。
「大変そうですね」
「そうでもない。私達は一応三年生だし、学園祭の直前に軽く準備をするだけでできるって理由で
選ばれたようなものだから」
「先輩は何かやるんですか?」
「ウェイトレスだ。健斗も是非来てくれ、渾身の力で接客させてもらうよ」
その瞬間、脳裏にこの間のマッサージがフラッシュバックした。
あれはマッサージと言うより……整体?
黒崎先輩に悪気は無いのはわかってるんだけど……
正直に言って恐怖以外の何物でもない記憶が蘇った。
「渾身の力はやめてください。行ったら全身の骨が砕かれそうで怖いです……」
そう言うと黒崎先輩はみるみる内に萎んでいって……
「そんな顔しないでくださいよ。ちゃんと行きますって」
「本当かい!?」
……すぐに復活した。
「やっぱり制服とかも着るんですか?」
「もちろんだ、期待していてほしい」
うん、それは楽しみだ。
「健斗はどうなんだ?学園祭では何をやるんだ?」
「演劇です。なんと僕が主役を任されてるんですよ」
「本当か!?それは楽しみだな」
黒崎先輩が笑顔を見せる。
僕が先輩と付き合い始めてから早一ヶ月。
それだけの期間の間に僕はこの笑顔を頻繁に見るようになった。
黒崎先輩は元々あまり笑う方じゃない、だから正確に言うのなら
以前に比べて頻繁に見るようになった。
たった一ヶ月の間に、それまでの一年以上の期間に見た笑顔よりも多くの笑顔を見てきたと思う。
僕のお蔭だ……なんてうぬぼれるつもりはないけど、それでもちょっとは嬉しく感じる。
他人の事を自分の事みたいに喜べる……そんな先輩が僕は大好きだ。
……恥ずかしいから口には出せないけどね。
「しかしそれだと練習が大変だろう」
「そうですね、やっぱり放課後とかは残って練習しないといけないと思いますよ」
「そうか……それは残念だな」
僕も先輩も放課後には基本的に日本舞踊部に顔を出して、部活動が終わったら
先輩に送ってもらう事になっている。
……本当は僕が先輩を送るべきなんじゃないかと思ってるんだけど、
残念ながら先輩は僕の何倍も何十倍も強い。
でもしばらくはクラスを優先させる以上、放課後のひと時は大幅に減る事になるだろう。
ちなみに日本舞踊部も学園祭で演舞を行う事になっているんだけど、
そっちは普段の積み重ねが試されるから今更ジタバタする人はいない。
「それなら健斗の練習が終わるまで待っていよう。せめて帰り道くらいは一緒に居たい」
「そんな……悪いですよ」
「良いんだ、私は健斗の恋人なんだぞ」
倉田先輩は一見真面目な顔で……それでも少しだけ顔を赤らめていった。
そんな言葉がちょっと嬉しかった

「さあ、この香油を持っていって。これを身体に塗れば一日の間炎も剣も防いでくれます」
「そうか、ありがたく頂こう」
「ねぇ……私の事愛してる?」
村風さんが顔を後数cmの所まで寄せてくる。
心臓が普段の三倍増しで高鳴る。
落ち着いて……これは演技なんだ。
だけど懇願するような村風さんの目が僕の思考を高揚させる。
「も……もちろんだとも、私と君の出会いは神によって定められていたのだ」
「愛してるって……言って」
村風さんがそっと目を閉じる。
けっこう美人なんだな……って、何を考えてるんだ。
次の台詞は……
「愛している……メディア……」
何度言ってもこの台詞は慣れない、そしてギリギリまで接近してくる村風さんにも。
そして舞台が暗転するまで村風さんを抱きしめる。
本当は監督からキスを要求されてたんだけど、抱擁で妥協してもらった。
ところで村風さん、なんでそんなに嬉しそうな顔をするんですか?演技ですよね?
「もう良いわよ」
本番と違い照明が無いので、村風さんの合図で身体を離した
「健斗君、監督兼脚本家からも言われたと思うけどイアソンは真正のジゴロなのよ。
顔を近づけた時にうろたえすぎ、それに愛してるって言うまで間が空きすぎよ」
急に村風さんの雰囲気がガラッと変わる。
うん、やっぱり演技だったんだ。
そう思うと少しは気が楽になる。
「……聞いてるの?」
「あっ、ごめん」
……いけない、完全に他の事を考えてた。
「どうして他のシーンは普通に演じれるのに、私とのシーンだけはいつまで経っても
ぎこちないのかしら……」
「ごめん……」
村風さんとのシーンが苦手なんじゃないと思う、たぶんラブシーンが苦手なんだ。
僕と村風さん……イアソンとメディアのシーンはラブシーンばかりで構成されている。
だから必然的に村風さんとのシーンでは動きがぎこちなくなってしまうんだ。
慣れようとは思ってるんだけど……どうしてもやりきれない。
そんな事を考えていると、ふと視界の端に黒崎先輩が居るのに気がついた。
「村風さん、ちょっと良いかな」
村風さんは少しだけ睨むようにこちらを見たけど、すぐにいつもの呆れ顔に戻った。
「良いわよ。もうけっこう遅いし、今日の練習はこの位にしておきましょう」
「うん、ありがと」
僕はそれだけ言い残して先輩の元へ向かった。

「黒崎先輩、何時から居たんですか?」
「そうか……気がついてなかったんだな」
「すいません、練習中に来るとは思いませんでしたから」
「いや、別に怒っている訳じゃないんだ」
そう言う先輩は少しだけ悲しそうな表情に見えた。
「先輩、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない……なんでもないんだ……」
先輩とは一年とちょっとの付き合いだったけれど、その言葉が真意からの物ではない事は
すぐにわかった。
本当にどうして先輩は心にも無い事を言うんだろう?
「先輩、とりあえず一緒に帰りませんか?」
できるだけにこやかに言う。
少しでも先輩に辛い思いをさせたくないから、少しでも先輩の心を知りたいから。
けれど先輩はやっぱり少しだけ悲しそうな顔をして……
「健斗……すまんっ!」
 ガララララッ
「ちょっと、先輩!?」
僕が呼び止めるよりも早くどこかへ走り出してしまった。

「ぜぇっ、ぜえっ、ぜえっ……」
息が苦しい、心臓が痛い。
胸が……握り潰されているかのように痛む。
気がつくと私は自分の家の前まで逃げ延びて来ていた。
私はあれ以上健斗の顔を見ていられなかった。
知らなかった、私がこうも嫉妬深い女だったなんて。
私は見た、健斗と知らない娘が抱き合う姿を。
……私でさえ手を繋いだ事はあっても、ああも身体を密着させた事は無いというのに。
私は聞いた、健斗が知らない娘に『愛している』と言ったのを。
……私でさえ『大好きです』と言われた事はあっても、
『愛している』と言われた事は無いというのに。
耐え切れなかった、すぐにでも目を逸らし逃げ出したいと思った。
だが私の全身はまるで石になった様に硬直してしまっていた。
落胆した、悲しかった、羨ましかった、愛しかった、そしてついには
あの娘が憎いとさえ思ってしまった。
今の私は……とても醜い。
怖かった、健斗に今の私を見られるのが。
怖かった、健斗に私の心を見透かされるのが。
怖かった、何より健斗に嫌われるのが。
「嫌だよ……助けてよ……健斗……」
怖かった、健斗を恐れながら健斗に助けを求める身勝手な自分が。
一度でも口にしてしまえば、もう止める事は不可能だった。
「嫌だよ……怖いよ……」
ただうずくまって、呟く様に苦しむ様に言葉が流れ出していた……
「足速いですね、先輩」
「けん……と……?」
……信じられなかった、健斗がそこに居た。
「帰って……」
それだけ言うのが精一杯だった。
見られたくなかった、私の醜い姿を。
見られたくなかった、私の弱音を。
「嫌です、先輩の弱音を聞くまで帰りません」
健斗は残酷にも言い放った。
私はそれを疎ましいと感じつつ……喜んでいた。
「帰って……お願い……」
「嫌です、先輩のこんな姿を見て放っておいたら恋人失格じゃありませんか」
嫌だった、怖かった、それでも健斗を頼もしく思ってしまった。
「うっ……うわああああああぁぁぁぁぁん……」
泣き出していた、全てを忘れて。
健斗のシャツを破れるほどに握り締めて。

「落ち着きましたか」
「……うん」
人通りの少ない住宅街だった故か、幸いにもあれほど大声で泣き喚いたというのに
人目を引く事はなかった。
私が泣き止むまで健斗はずっと抱きしめ続けてくれた。
それであの娘と彼女に嫉妬した自分を思い出して……もう少しだけ泣いた。
「先輩はもう少し弱音もわがままも言っても良いと思いますよ」
「……うん」
良く覚えていないが、泣きながら私は自分の心情を洗いざらい健斗にぶちまけていたらしい。
それでも健斗は私を抱き続けてくれていた。
醜い私を抱き続けてくれていた。
「先輩……僕はもう演劇を降りる事はできません。けどその代わり、
僕にできる事であれば先輩のわがままを聞いてあげたいって思います」
「……うん」
「僕が大好きなのは先輩だけですから……」
「……うん」
その言葉が嬉しくて嬉しくて……またもう少しだけ泣いた。
「健斗……お願いがある……」
「はい」
だから私は健斗に甘えたくなった、健斗にわがままを言いたくなった。
「あの劇であの娘にしてた事、私にもして……」
すると健斗は少しだけ困ったような顔をして……
「先輩……それはできません」
……拒絶の言葉を発した。


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