過保護 外伝(後)
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昔々ある所に、イアソンという名の男が居ました。
彼は本来なら国王になれる身分でしたが、
幼い頃にペリアスという男に王位を奪われてしまったのです。
ある日立派な青年に成長したイアソンは、王位を取り返すためにペリアスに会いに行きました。
しかしイアソンはペリアスの口車に乗せられ、
海を隔てた遠い遠いコルキスの国にある黄金の羊の毛皮を取りに行く事となったのです。
当時は現代ほど航海技術も地図も無く、その旅はおおよそ不可能な難題である事は明白でした。
しかしイアソンは女神アテナや船大工アルゴス、無双の英雄ヘラクレスら幾多の神々、
英雄達の力を借り、とうとうコルキスへたどり着く事に成功したのです。
しかしコルキスの王であり黄金の毛皮の所有者でもあるアイエテスは、
イアソンに黄金の毛皮を渡す気はありませんでした。
アイエテスはイアソンに無理難題を押し付け、諦めさせようとしたのです。
困り果てたイアソンに救いの手を差し伸べる一人の女性が居ました。
彼女の名はメディア、コルキスの王女であり優れた魔術師でもある彼女は
イアソンに一目惚れをしていたのです。
イアソンはメディアの力を借り、見事にアイエテスの要求に答えたのでした。
しかしアイエテスは黄金の毛皮を渡そうとはせず、イアソンとその仲間達を暗殺しようと
計画したのです。
その計画を知ったメディアはイアソンを助けるために黄金の毛皮を盗み出し、
イアソン達と共にコルキスから逃げ出したのです。
こうしてとうとう黄金の毛皮を手に入れたイアソンは、
メディアや仲間達と共に故郷へと帰っていったのでした……

……物語はここで終わる。
これが僕が演じる事になった劇の内容だ。
この劇はギリシャ神話が元に、所々改変を加えてある。
そして僕は主人公のイアソンの役を演じるのだ。
それにしても……それにしても……
黒崎先輩……いきなり恐怖の整体フルコースはやめてください……
しかもそのまま路上に放置するのは本当に勘弁してください……
ねぇ先輩……ねぇってば……
……結局、たまたま居合わせた村風さんに助け起こされるまで僕は倒れ続ける事になった。
女の子におぶさって行くのが格好悪いだなんて思っていませんとも。
ちゃんとお礼は言いましたよ、『でも何で村風さんがここに居たの?』なんて聞いていませんよ。
『他人の痴話喧嘩を聞き逃しちゃ村風由江の名が廃るわ』だなんて村風さんが
言う訳が無いじゃありませんか。
……えっ?泣いてなんかいませんよ。
泣いてなんか……いませんとも……

 

「これは……まさか!?」
「はい、黄金の羊の毛皮です。貴方にお渡しするために持ってまいりました」
「なんと美しい……しかし、毛皮は明朝アイエテスが直々に受け渡すをするのではなかったのか?」
「それは嘘です、父は毛皮を渡す気などありません。私が父が貴方を殺せと部下に命令しているのを
聞いたのです」
「なんだと!?おのれアイエテス……」
「これさえ手に入れば貴方がこの国に居る理由はありません。さあ、刺客がやって来ない内に逃げて」
「しかし其方はもうこの国には居れまい」
「イアソン様、どうか私も連れて行ってください。決して足手まといにはなりません、
これでも魔術には自信があります」
「国も家族も王女の地位も捨てる事になるのだぞ……」
「構いません。愛しています……イアソン様……」
……ここでやや多めに間を空ける。
イアソンにとっては重要な問題だ、即答なんてできる筈が無い。
「……わかった。もう長居は無用だ、アルゴー号に戻ろう。そなたも一緒だ」
「はいっ!」
躊躇せずに村風さんの手を握り、舞台右側へ向かって走り出す
ここで一瞬でも恥ずかしいだなんて考えたら負けだ。
……そして劇はクライマックスシーンに突入する。
イアソン達はすぐに船を出しコルキスから脱出を図るが、
それを察知したアイエテスが軍勢を繰り出してくるのだ。
その後一騎当千の英雄達が奮戦し、ついには追っ手を防ぐために港中の船を破壊して
見事に逃げおおせるのだ……

「お疲れ様」
最後の練習が終わり、村風さんが汗を拭きながらスポーツドリンクを差し出してきた。
「ありがとう」
ありがたく受け取る。
監督兼脚本さんからの差し入れらしい。
あの人は口は悪いけど意外と良い所がある。
窓を見ると、外はもうすっかり暗くなっていた事に気づいた。
「いよいよ明日からが本番ね」
「そうだね」
そう……明日からの3日間が本番、昇龍高校学園祭が始まる。
「健斗君も良く頑張ったわね、初めの頃と比べると雲泥の差よ」
「良くも悪くも、これだけやったら慣れるよ」
周りでは一部を除いたクラスの全員が慌ただしく帰りの支度をしていた。
今夜はこれから体育館で前夜祭がある。
学園祭を前に全校生徒の士気を高めるために生徒会が企画したもので、今年から初めての試みらしい。
さっきからクラスの人達がその事を話題にしているのが聞こえる。
「そういえば健斗君はどうするの?」
「えっ?何が?」
咄嗟にそう答えていた。
考え事をしていたせいか、僕は村風さんの話を全然聞いてなかった。
「前夜祭よ。健斗君は見に行くの?それとも参加してみる?」
「うん……まだ決めてない」
そうなんだ、僕にはそんな事を考えている余裕なんて無かった。
あの日……約一週間ぶりに恐怖の整体フルコースを受けた日から、
僕は黒崎先輩と一言も口をきいていない。
あれからもう半月近くも経ったというのにだ。
朝や昼休みに先輩が僕のクラスを訪れなくなると、驚くほど僕達は接点が無くなってしまう。
部活動にも顔を出してないらしい。
正直避けられてるとは思うし、仲直りをするのなら自分から会いに行かなくちゃいけないとも思ってる。
だけどどうしようか迷ってる内に、気がつけば半月も経ってしまっていた。
情けないとは思ってる、だけど僕は……自分でも驚く位に優柔不断だった。
「あまり悩みすぎると身体に良くないわよ。気休めだと思って出てみたらどう?」
「うん……」
村風さんの言う事にも一理ある。
それでもやっぱり僕は黒崎先輩が気になっていた。
「私としては是非見に来てほしいのよね。私も一応参加するし」
「参加って……村風さんが?」
「そっ、生徒会のメンバーでバンドを組んだの。私がギターでね」
村風さんはあたかも当然だと言わんばかりの顔をしている。
ちなみに僕は初耳だ。
「……と、もうこんな時間か、そろそろ行かなくちゃ。
健斗君、私はもう行くけどあなたはどうするの?」
どうしよう?
先輩の事も気になるけど……ここで帰っても何かが変わる訳でもないか。
「わかった、僕も行くよ」

村風さんと階段を下りていく。
意外と前夜祭を見に行こうとする人は多く、廊下も階段も混雑していた。
「ところで一つ聞きたい事があるんだけど、良いかしら?」
ふと思い出したかのように村風さんが言った。
「何?」
「二週間前の話よ。どうしてあなたは黒崎先輩の頼みを断ったりしたの?」
「ああ、その事……」
「ごめんなさい、やっぱり気になっちゃって。この件に関しては誰にも言ってないし、
これからも言う気は無いから教えてくれないかしら?」
どうしようか……別に隠すような話じゃない、ただ……
その時だった、僕は見慣れた後姿が前方にあるのに気づいた。
「ごめん、その話は後で……」
「えっ!?ちょっと……」
少し……ほんの少しだけ前まではただの憧れで……
だけどその姿がまるでトランプのピラミッドの様に、なんの支えも無くグラグラと辛うじて
危ういバランスをとっている事に気づいて。
それに気づいた頃から、誰よりも何よりも愛しいと感じたあの人が居た……
先輩はいつも僕が近づくと気配でわかると言っていた、この半月の間奇妙なまでに
会うことが無かったのはたぶんそのせい。
けど今なら……いつも以上に人で溢れかえっている今なら気づかれずに近づけるかもしれない。
ゆっくりと近づいていく……距離が近づくにつれ鼓動が高まっていくのがわかる。
あと三歩……二歩……一歩……
「やっと捕まえましたよ……先輩……」
その瞬間、先輩はビクッと全身を緊張させ……
……投げられた……
「先輩……ひどい……」
「わぁっ!すまない、健斗だとは思わなかった」
先輩が見事にうろたえている。
まあ、いきなり後ろから抱きついた僕も悪かったんですけどね……
先輩の姿を見ただけで動転していたかもしれない。
「先輩、今からちょっと時間を貰えませんか」
背中にリノリウムの感触を感じながら……ちょっと情けない格好だけど、
僕は先輩の眼をはっきりと見ながら言った。
先輩と視線が通じる事はなかった、その無意識に逸らされた視線が何処を彷徨っているのかは
わからない……
「……わかった」
それでも先輩はそう応えてくれていた。

屋上の空には満天の星空が輝いていた。
明かりは頼りない蛍光灯が情けなく輝くのみだったけど、先輩の顔ははっきりと見て取れた。
「どうしたんですか?最近部活にも顔を出さないで」
「……すまない」
その顔はとても年上には見えない、まるで……そう、まるでお仕置きを恐れる幼い子供の様に見えた。
「何をそんなに怖がっているんですか?」
「……すまない」
返答は変わらない。
ただ嵐が過ぎ去るのを待っているかのように固まっている。
本当にまるで子供じゃないか。
「謝ってるだけじゃ何もわかりませんよ」
「……ッ!!」
しまった……そう思った時にはもう遅かった。
先輩の身体がまたビクッと緊張して、それっきり何も喋ってくれなくなってしまった。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
当の先輩はそれすらも怖がって、ただ固まって一言も発する事はなかった。
だからもう覚悟を決めた。
とにかく誤解を解こう。
そして伝えよう……僕が先輩の事が大好きだって事を。
「先輩、そのままで良いから聞いててください」
「……うん」
ゆっくりと息を吐き……吸う。
「先輩はあの劇のストーリーは知ってますか?」
「台本……読ませてもらった」
やっぱり……先輩は誤解している。
いや、誤解と言うよりも誤認と言うべきかもしれない。
「あの劇の元になった物語ってけっこう長くて、だから所々が省略されてるんです」
「………………」
先輩は何も言わない、けれど視線がこっちを向いた事を見逃しはしなかった。
「例えばヘラクレスはコルキスに到着する前に仲間から外れちゃいますし、
故郷に戻ってからもペリアスは素直に王位を譲らなかったり……
でもそんな事はどうでもいいんです。本当に大事なのは、
あの劇では語りきれなかったイアソンとメディアの関係についてなんです」

「それが……どうしたんだ?」
「先輩はメディアがイアソンに恋した理由を知ってますか?」
「……たしか一目惚れだった」
「ええ、あの劇では」
そう……あの劇ではハッピーエンドにするためにわざとその部分を描いていなかった。
本当は違う、あの話は恋と冒険の物語なんかじゃない。
恋心を錯覚し利用された少女の……悲劇の物語だったんだ。
「愛と美を司る女神アプロディテ。その女神によって恋心を吹き込まれたメディアは
イアソンに対して盲目的に尽くすようになり、
父を裏切り、弟を八つ裂きにし、その後も何人もの人々を殺し、
それでも最後にはイアソンに裏切られるんです」
「そんな……そんな事って……」
「例え演技でも僕は先輩とメディアを同一視したくはありませんでした。それに……」
それに例え演技でもイアソンとして黒崎先輩を愛したくなかった、僕はイアソンに嫉妬していた。
……なんて事は、きっと言わない方が良いんだろうな。
「僕は先輩が大好きです、先輩から避けられようと嫌われようと大好きです」
「嫌いなんかじゃないっ!!」
先輩がそう叫んだ。
「怖かったんだ、健斗に嫌われるのが。
あの日健斗に嫌われたと思って、それでも健斗本人からそう告げられるのが怖くて、
だから健斗と顔を合わせられなかったんだ」
「先輩……」
その声は震えていた、怖がりながら泣いていた。
だけどそれは、やっぱり僕がこの世で一番大好きな人の声だった。
「お願いだから……私を見捨てないでくれ……」
その姿はまるで子供だ。
だけど……だからこそ、とても愛しく感じた。
「大好きですよ……」
僕はもう一度先輩を抱きしめていた。
今度はもう投げ飛ばされる事はなかった。
「健斗……」
先輩が……たまらなく愛しかった。


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