過保護 第16回
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ゆっくりと歩み寄ってくる先輩を前に、僕は何もすることができなかった……
言葉を発する事も……身じろぎする事さえ……
「黒崎先輩!?どうして……」
最上が怯えているかのような声を漏らした。
あの鋭い眼光、全身から漂う気迫、それは見る者を恐怖させる。
でもそれは違うんだ、それは黒崎先輩を知らないからそう感じるんだ。
だけど僕にはわかった。
いや、わかってしまった。
あの表情は……全てを引き裂かんばかりに荒れ狂うあの表情は……
あれはそう……悲しい……だ。
「健斗、君の知り合いか?」
「せん……ぱい……」
「知り合いかと聞いているんだっ!!」
怒声が辺りに響く。
僕のすぐ後ろで最上が身を縮ませていた。
「そうか……そうなんだな。私と別れたいと言った矢先にこれだからな……」
先輩は僕の答えを待つ事はしなかった。
きっともう全部悟ったんだと思う。
いつかはバレるとは思っていた。
だけど……
「馬鹿みたいだろう。君の気も知らないで、私は君の見舞いを心待ちにしたいたんだ。
本当に馬鹿みたいだろう……」
先輩は怒らなかった、だけど涙を流す事もなかった。
先輩を知らない人から見れば、全身から殺気を迸らせているようにしか見えないだろう。
だけど僕にはわかった。
いや、わかってしまった。
先輩が自分の中に吹き荒れる感情を必死に抱き留めているのを……
それはパンパンに膨らんだ紙風船の様に……体中に裂け目を作って、それでも必死に抱き留めて……
「私は君の恋人である事を当然だと思っていた、でも健斗はそうじゃなかったんだな」
せめて怒り狂ってくれれば、泣き叫んでくれればどれだけ楽になれたんだろう。
僕がじゃない、先輩がだ。
先輩はいつもそうだ。
他人の事にはどこまでも過保護になるのに、自分の事になるとどこまでも我慢する。
そうだ……やっと思い出した……どうして忘れていたんだろう……
僕はそんなアンバランスさを放っておけなかったんだ。
そんな黒崎先輩をなんとかしてあげたいと本気で思っていたんだ。
「すまなかったな、私は悪い恋人だったな……」
先輩の独白が続く……
僕を糾弾するためではなく、最上を憎むでもなく、ただ自らを罰する言葉を紡いでいた。
「先輩……」
……言葉が続かなかった。
良いんですよ、こんな時くらいは感情を爆発させても良いんですよ。
僕を糾弾しても、最上を憎んでも良いんですよ。
そうじゃないと先輩が……壊れてしまう……

「先輩……」
どうしても次の言葉が出てこなかった。
黒崎先輩が自分の感情に押しつぶされていくのをただ見ている事しかできなかった。
きっと先輩自身、自分が今どうなっているかわかっていないと思う。
「………………」
「………………」
「………………」
気がつけば誰も一言も喋れなくなっていた。
時折吹くそよ風と木々のさざめき、先輩の荒い息、そして僕の心臓の鼓動だけが
はっきりと聞こえていた。
先輩は……先輩はやっぱり涙を流していなかった。
ただ鋭く真っ直ぐに僕の眼だけを見つめていた。
だけど僕はそれを見据える事はできなかった。
僕が最上に目移りしたせいだろうか?
黒崎先輩への最初の想いを忘れていたせいだろうか?
……きっと全部だ。
僕は先輩と目を合わせる事はできなかった。
「健斗、君の考えは良くわかった。もうこれ以上つきまとって君に迷惑をかける気は無い。
だから……」
「先輩……」
そこから先を言っちゃいけない。
そう言いたかった、そう言わなくちゃいけなかった。
先輩とは長い付き合いだから、その先に何を言おうとしているのかはすぐにわかった。
だけど言葉が続かなかった。
どうしても次の言葉が出てこなかった。
もう先輩は止まらない、ものの一秒もしない内に次の言葉を発する……
「だからもう……絶交だ……」
……そう告げた。
ゆっくりと歩き去って行く先輩を前に、僕は何もすることができなかった……
言葉を発する事も……身じろぎする事さえ……
僕は完全に先輩との縁を絶たれた。
きっともう僕にはどうする事もできない。
先輩が狂おうと、壊れようと……
知らなかった訳じゃない、気づかなかった訳じゃない、先輩が僕の事を本気で想ってくれていると。
最上はきっと大丈夫だ、僕がいなくても生きていける。
だけど先輩は僕がいなくても生きられるんだろうか?
うぬぼれかもしれない、でも僕には黒崎先輩の声にならぬ悲痛を確かに感じていた。
いや、感じてしまっていた。
僕は……どうすれば良い?
空には青空だけが広がっていた……
神社の屋根に、一匹の狐が眠そうに座っていた……


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