第8話IF編
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「「「「「「いただきます」」」」」」
不撓家の食卓は割と広い。
多少人数が増えても対応できるし、いざとなったら店の机を持ち出せば例え2・30人もの人が居ても
大丈夫だ。
「今日のお味噌汁は私が味付けをしたのですが、みなさんいかがですか?」
英知は良い、なんだかんだ言っても今では立派な家族だから。
それとは直接関係はないが、ハンバーグと味噌汁の組み合わせはどうかと思うぞ。
「英知ちゃん、最近は腕を上げたね」
大槻も良い、こいつが家で夕食を同伴する光景は珍しい物ではない。
「ああ、これなら直に厨房を任せられる」
親父も良い、不撓家においてこの人は居るのが当然だから。
「それにしても、今日のお昼休みは客足が少なかったですね」
天野も良い、天野は全快してから『Phantom Evil Spirits』で日頃の家事で培った腕前を存分に
発揮している。
夕食くらいご馳走しても罰は当たらないだろう。
何より俺が嬉しいし…
「今日は正午前から土砂降りだったからな、ものぐさな連中が学校を出るのを嫌がったのだろう」
しかし…何故兄貴がここに居るんだ?
一週間前の快気祝いの日から、兄貴は不撓家に居ついていた。
そしてその恐るべき目的は…
『今回の件で隣町からでは救援に時間が掛かる事が身に染みたのでな。
そうだな…とりあえず数ヶ月は診療所を閉めてこっちに居ようと思う』
…だそうだ。
「不撓さん、ソースを取ってください」
「お…おう…」
俺と天野との関係は…一応、友達に落ち着いているようだ。
はっきり言って俺は天野に惚れている、それはそう簡単には変わらない。
そして天野もそれを知っている筈なのだが…天野の態度はただのクラスメイトだった時と変わらない。
いや…それどころか多少疎遠になった気さえするのだ。
天野は英知と兄貴は『英知さん』『不屈さん』と下の名前で呼ぶ。
だが俺だけが『不撓さん』のままなのだ。
この差はいったいどこからくるんだ…
そして天野は言っていた、『大槻さんを守ってあげてください』と。
その真意は未だにわからない。
大槻と付き合っていると誤解している訳ではない、俺の事を好きだと言う大槻に遠慮している
訳でもない(たぶん)。
…当の大槻も、なんとなく俺を避けている節がある。
それは当然かもしれない、俺は大槻をあれだけ盛大に振ったのだから。
ただ外見上は大槻はいつも通りだ、それにはある意味救われている。
英知は…最近は俺や兄貴以上に天野に懐いているような気がする。
俺が拘束されていた間に何が起きたのかは知らんが、天野が入院中だった時の心配振りは俺よりも
上だったかもしれない。
なんとなく兄貴が悔しそうな顔をしていたような気がする。

「それはそうと天野様、そろそろ足りなくなってはいませんか?」
夕食が終わって間もない頃、英知はそう切り出した。
「えっと…実を言うと少し…」
「なら、片づけが済んだらいつものを済ませてしまいましょう」
いつもの…?
「あの、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ、ご心配なら遮音結界もありますし」
「いえ、そうじゃなくて…」
「英知、天野友美が心配しているのはお前の体力だ」
兄貴も話に加わる。
「兄上、私はまだ…」
「医者にその手の嘘が通用すると思うのか?」
「うっ…」
なにやら話が深刻になってきたようだ、俺はこの辺りで退散…
「勇気、聞いての通りだ。今日はお前に手伝ってもらうぞ」
「「ええっ!?」」
天野と英知が派手に驚いていた。
ちなみに俺にはさっぱり、表情から察するに大槻もさっぱり。
「さみしいよー…」
泣くな大槻、明日の主役は君だ…たぶん。

結局手伝いは大槻を自宅に送ってからとなり(手伝いの内容はさっぱりだが)、
俺はふてくされる大槻を引っ張って行った。
 カランッ カランッ
「ただいま」
「お帰りなさい、ちゃんと送ってあげましたか」
天野の笑顔が俺を出迎えた。
なんと言うか…喜んで良いのやら、嘆いて良いのやら…
「………」
「不撓さん?」
「あっ…いや、すまん。大槻ならちゃんと送っておいたぞ」
いかんいかん、どうやら思考が停止していたらしい。
「どうかしたんですか?」
そう言いながら天野が擦り寄って来る。
「ああ…かわいいなって…」
しまった…爆弾発言を…
「ふっ不撓さん!?」
天野の顔が瞬時に赤く染まる。
拙い、非常に拙い。
いくらなんでもこんな発言は変態かプレイボーイしかしないだろう。
とにかく誤解を解かねば(誤解でもなんでもないが)、ここに天野以外の人間が居ないのが
せめてもの救いか…
「勇気の兄上、天野様」
「どわあああぁぁぁ!!!」「きゃあああぁぁぁ!!!」
…甘かった。
「英知、いつから居たんだ…?」
「最初からですが何か?」
最悪だ…
「勇気の兄上も変わられましたね…」
「いや…その…」
早速英知に詰め寄られる。
妹に気押される兄…なんて情けない構図なんだ。
「天野様も、嬉しいのなら素直に喜べば良いのです」
「こっ…こんなオバサンをからかわないでくださいっ!」
「「オバサン?」」
「あっ…すいません、つい癖で…」
天野がさらに顔を赤らめる。
「私にはわかりません…勇気の兄上の想いを受けないのも、天野様の想いを封じ込めるのも…」
「英知さん…」
が…英知はそんな事はお構い無しに黙々と喋りだす。
その声に溢れんばかりの感情を乗せて…
「納得がいかないのですっ!勝ち逃げも気に入りませんが、勝っておいて何も得ようとしないのも…」
「英知っ!」
俺は自分でも驚く程の大声で英知の言葉を止めた。
「兄上…」
「いいんだ、もう何も言うな…」
それだけ言うのがやっとだった。
天野も英知も、もちろん俺も、もう何も言い出せはしなかった…

多少の気まずさが残る中、俺と天野は俺の部屋に居た。
英知と兄貴は部屋の外で遮音結界と呼ばれる物を展開させているらしい。
遮音結界がどのような物かは大方予想がつくが、なぜそれが必要なのかは謎だ。
「それで、手伝いってのは具体的に何をすれば良いんだ?」
「はい、不撓さんは今の私が吸血鬼である事は覚えていますか?」
「ああ」
あんな衝撃的な事は忘れるほうが難しい。
それにこの一週間、天野は以前と比べて大きく変わった。
無論、白銀に変化した髪と瞳を抜きにしてもだ。
意識的なのか無意識なのか、自然と日差しを避けようとする動き。
時折見せる少女にしては強すぎる腕力。
空を見上げる頻度。
そして事ある毎に大槻を気にする態度。
何より…最近の天野は兄貴を眼で追っているような気がする。
「吸血鬼にとって必要な生命力と呼ぶべき物を得るには通常の食物では効率が悪すぎます。
ですから、私のような存在は他の生物の生命力を摂取しないと衰弱死してしまうんです」
「そっか…」
まあ、ここまでは予測がついていた。
なんとなく次に頼まれる事も予測ができる。
「それで、俺の血が必要なのか?」
「はい、そうです」
やはりな、吸血鬼で連想する物ははっきり言って血意外に無い。
「今までは英知が?」
「はい、それと不屈さんが調達してくれました輸血用の血液を飲んでいました」
そう言われれば、何度か英知と天野が二人きりで部屋に篭っていた時があった。
たぶんその時に血を貰っていたのだろう。
「で、英知の体力が無くなってきたって事か」
「まだ当分は大丈夫だとは思うんですが…あまり少数の人から貰っていると倒れちゃいますから」
英知を見る限り、血を吸われても即吸血鬼になる訳でもなさそうだ。
それなら俺の答えなんて決まっている。
「わかった。俺なら良いぞ、血を吸われても」
「すいません…」
天野は恐縮している。
自分で言うのもなんだが、今の俺はそれこそ命すら差し出しかねない。
多少の献血位は問題にすらならなかった。

「くっ…うあぁ…」
やばいやばいやばいやばい…
これは…気持ち良すぎる…
まるで首筋が性感帯になったかのような感覚を覚えていた。
「天野…ちょっとストップ…」
俺はなんとかそれだけ伝える。
「…ぷはっ」
首筋に噛み付いていた天野が離れる。
…なんかちょっと残念そうだ。
だがこれ以上続けられると俺の精神が保たなかったかもしれない。
俺の股間のモノは見事なまでに勃起していた。
「天野、俺に何かしたか?」
「えっと…血を頂きましたが」
「いや、絶対あれは血を吸われた感覚じゃない…」
なんと言うか…気持ちよかった。
「そういえば…説明していませんでした」
「説明?」
「はい、不撓さんはただチクッとするだけの献血と、後でジュースが貰える献血のどちらが
良いと思いますか?」
「そりゃ…後者だろ」
「はい、ですから私達は血を吸う時に強い性的快感を与えます。その方が血も精も集め易ですから」
「精って…」
「精液ですよ、もちろん」
一瞬、天野の全裸がフラッシュバックする。
俺のアレがさらに強く反応していた。
「なんか吸血鬼のイメージと違うな…」
「吸血鬼も一種の生物ですから、たぶん長い歴史の中で進化したんだと思いますよ」
だがこれは…はっきり言って拷問に近いぞ。
そういえば何日か前に隣の英知の部屋からくぐもった声が聞こえてきたが…
どこかで聞いたとは思ったが、英知が感じている時の声だったような気がする。
「不撓さん…辛いならやめときましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
だが天野の前で弱音を吐く訳にもいくまい。
こうなったら気力と根性で乗り切るしかない。
「じゃあ、いただきます…」
 かぷ…
再び天野が俺の首筋に噛み付く。
いやもう…洒落や冗談抜きで拷問であった。
首筋から感じる快感は元より、至近距離に見える天野のうなじが俺を興奮させる…
落ち着け…なんでもいい、何か他の事を考えるんだ…
んっ!?あれは…?

「不撓さん…本当に大丈夫ですか?」
「なんとかな…」
だが勝った、俺はこの苦しい戦いに勝利したのだ。
俺は部屋の外に居る戦友に礼を言うべく、ドアに手をかける。
 ガチャッ!
「きゃっ…」
英知が前のめりになって倒れこんでくる。
「すまん英知、助かった」
「えっ…いえあの…その…」
いくらなんでも狼狽しすぎだとも思うが、悪戯が見つかった時の15歳なんてこんな物か。
「お前のおかげでギリギリだったが耐えられた。感謝する、ありがとう」
まあ、ある意味それによって助かったのだが、
気配の遮断に関してはもう一度練習し直した方が良いと思うぞ。
「えっ…えっと…」
「…などと言うと思ったかコンチクショウッ!」
「ごめんなさーーーい」

「ううぅ…勇気の兄上が本気でぶった…」
「大変でしたね…」
結局覗きを慣行した英知さんへの制裁は、3発のゲンコツと私を家まで送り届ける事で
落ち着いたみたいです。
既に時刻は10時を過ぎており、辺りは真っ暗でした。
ですが隣を歩く英知さんの表情を見るには十分すぎる明かりです。
私は割と夜目が利きますから。
涙目で頭を抱える英知さんはどこか可愛らしく、いつものような背伸びを感じさせませんでした。
「まあ良しとします、天野様にはお話もありましたし」
「お話…ですか?」
私がそう聞き返すと、英知さんの顔が変わりました。
15歳の女の子から、一人の陰陽師へと。
「大槻様を気にかける理由は何なのですか?」
「大槻さんを…?」
きっと不撓さん関連の話だと思っていましたが、その質問は予想より遥かに核心に近い物でした。
「貴方は元より、おそらく不屈の兄上も大槻様に多大な注意を払っています。まるでそう…
監視するかのように」
「…気づいていましたか」
「勇気の兄上を避けてまでそのような事をなさる理由は何故ですか?」
やはり…不撓さんに好きだと告げられて、その時に気が動転して口走った事が原因でしょう。
あの時は自分自身思い出す度に迂闊だったと思います。
「原因はやはり占星術ですね?」
「それは…」
英知さんは返事を待たずに続けます。
「マリー・クロード・ジェンティーレ…白銀の吸血鬼にして希代の占星術師。
彼女の記憶を受け継いだのなら、以前の天野様に予知できない事もわかる筈です」
「何故…そう思うんですか?」
「まず誰かの身体的特徴を受け継いで白銀に変化した髪と瞳、白銀の吸血鬼が最後にその姿を
確認されたのは約3年前のこの町での事、
最後に不屈の兄上が呟いた『ジェンティーレ』という言葉。
どうですか、これならマリー・クロード・ジェンティーレを連想する十分な理由になりうると
思うのですが」
驚きました…正直、こうも見事に言い当てられるとは思いませんでした。
「で…そこまでわかっている英知さんが何を聞きたいのですか?」
「これから…何が起きるのですか?」
さて…予想外の出来事でしたが、こうも言い当てられては隠せませんね。
「お話しましょう。3年前にこの町で何が起きたのかを…」

「そんな事が…」
「はい、ですがその後で何が起きたのかはわかりません」
長い話になるので、私たちは近所の公園まで移動しました。
「大槻様には話せませんね…」
「そうですね…」
それは、とてもとても現実離れした話で…
だからこそ私達にとっては何よりも、現実味のある話…
「今の私達には何の手も打てないのですか?」
「無理です。人の魂は本当に繊細な存在です、ですから今下手に手を出せば大槻さんに何が起こるか
わかりません」
「ですけど、時期が来たとしても私達に打てる手立てはあるのですか?」
「それは…」
「………」
「………」
二人して黙り込んでしまいます。
私にも英知さんにも…何も言う事が思いつきませんでした。
「でも…それだけでは無い筈です」
英知さんがそう呟きました。
「えっ…?」
私には何の事だかわからず、そう聞き返すのが精一杯でした。
「天野様が勇気の兄上を避ける理由は、まだ他にもあるのではありませんか?」
「そっ…そんな事はありません!」
いけない…また動揺してしまいました…
「天野様が勇気の兄上を想っている事は日を見るよりも明らかです。それなら何故、兄上の想いを
受け止めてあげられないのです?」
それは…天野友美の…マリー・クロード・ジェンティーレの…根幹に関わる問いでした。
「先ほども言いましたが、天野様は勝ったのです。それなのに何故兄上を手に入れないのですか?
英知さんは口調こそ穏やかでしたが、その言葉にははっきりと怒りが混ざっていました。
「答えてください、兄上の何が不足なのかを」
そんな質問、答えられる訳がないじゃありませんか…だから…
天野面…笑い。
「私は不撓さんを愛してはいませんから…」
「嘘ですっ!!」
見抜かれる…ですが、一度言った言葉は戻せません。
「不撓さんと大槻さん…お似合いのカップルじゃありませんか」
「嘘ですっ!!」
叫ぶ…英知さんが…
「不撓さんは…大槻さんを守ってあげなくちゃ駄目ですよ…」
「嘘ですっ!!」
叫ぶ…目に涙を溜めながら…
きっとこれは…世界一下手な作り笑い…
今までの私の中で…最も下手な作り笑い…
「だって…だって…」
…私にはわからないから…
「天野様っ!」
叫ぶ…涙を散らしながら…
私の目にも…きっと沢山の涙が…
「兄上は天野様を愛していて、天野様も兄上が愛しているのなら、それで良いではありませんかっ!!」
「違うんですっ!!!」
仮面が…外れる…
阿修羅の三面の下は…泣き顔…
「何が違うのですかっ!」
「だって…」
私には…本当に不撓さんが好きなのかどうかが…
「わからないんです…」
「天野様…」

…あれからどの位の時間が経ったのでしょうか。
あれ以来私達は話す事も動く事もできず、ただ公園のベンチに座っていました。
「寄り道の上に夜遊びか?感心できんな」
不意に、どこからか声が聞こえてきました。
胸が…とくんっ、と高鳴りました。
「不屈さん…」
顔を見るまでもありません、その声は不屈さんの声でした。
「兄上、いつから居たのですか?」
「ついさっきからだ。帰りの遅い妹が心配になってな」
「すいません…」
BGMのような物が聞こえます…
無意識なのか…それとも意識的にか…私の全身が不屈さんを感じようとします。
かつて不撓さんに…していたように…
「天野友美」
と、急に私の名前が聞こえます。
「はっ…はい」
「悪いが明日のアルバイトが終わったら少々時間をもらいたい。記憶の引継ぎの原因を調べたいのでな」
「はい、わかりました」
考えるよりも早く返事をしていました。
もっとも、思考自体も平常よりも格段に遅くなっていましたが。
「しかし勇気も気が利かん、こんな真夜中に女子だけで歩かせようとはな」
不屈さんはため息混じりに言います。
「あの…兄上…」
「ここまで来たついでだ、送っていこう」
私はきっと…喜んでいました。

私は…天野友美は…不撓さんが大好きでした。
全身全霊で、この世の誰よりも。
でも私は…マリー・クロード・ジェンティーレの心の一番大事な部分には…不屈さんが居ました。
それはきっと、秘めたる恋心。
私は…本当は自分が何者なのかがわかりません。
天野友美の記憶も、マリー・クロード・ジェンティーレの記憶も、等しく私に語りかけます。
不撓さんと一緒に居ると胸が躍りだします。
もっと一緒に居たいと訴え始めます。
不屈さんを見ていると胸が痛みます。
ですがそれはどこか心地よく、愛しくさえ思える痛みです。
私は浮気者なのでしょうか?
私は最低なのでしょうか?
答える人はいません、相談できる人もいません。
語りかけるのは二つの記憶だけ。
二つの…恋心だけ。
鏡を見て想う…星空を見て想う…
誰が?誰を?
私にはどうしても答えを出せませんでした。

そして次の日の夜、私は不屈さんに連れられて黄道町の天秤神社までやって来ました。
天秤神社…この地方の地脈の集積地。
地脈はよく龍に喩えられますが、この神社はその龍の心臓に位置しています。
この場所を破壊すればこの地方の自然のバランスが大きく崩れ、この場所を押さえれば莫大な量の
霊力が得られる、
ここはそんな場所です。
「ここが…目的地なんですか?」
「そうだ。神社の先生なら、あるいは記憶が引き継がれた原因がわかるかもしれん」
「神社の先生…ですか?」
その言葉は…私の持つどの記憶にもありませんでした。
「静影丸(しずか かげまる)、この世で最も全知に近い者。これならわかるか?」
「なっ!」
その言葉は私を驚愕させるには十分すぎる物でした。
静影丸…この世で最も全知に近い者、世界最高峰の陰陽師の一人、両親が横山光輝の大ファン。
私が知っているのはその程度ですが、そんな人物がこんなにも近くに居たとは思いもしませんでした。
「こと記憶の領域に関してはあの人は世界最高だ。逆に言えば、これで何もわからなければ
お手上げだがな」
「はぁ…」
「どうした?安心しろ、悪いようにはならん」
不屈さんはそう言いましたが、私には一抹の不安が残っていました。
この記憶は誰の物?
もしお師匠様の記憶を失う事になったらどうするの?
もし私が天野友美でなかったらどうするの?
失うのが怖い?
何を失うのが怖い?
不撓勇気?それとも不撓不屈?
本当にこの記憶の謎を解いて良いの?
そもそも貴方は誰なの?
そんな言葉が頭の中を駆け巡る中…
「…着いたぞ」
…私達は鳥居をくぐっていました。

「先生、夜分遅くにお手数をかけます」
「かまわないよ、私の力が役に立つのならね」
優しく微笑む初老の男性、私が静影丸さんに抱いた第一印象はそんな感じでした。
でもどこか仙人を連想させるような雰囲気でした。
そう、まるで達観のような諦めのような…
「それで…その子が天野さんかい?」
「初めまして…ですよね?」
「何をアホな事を言っておるのだ…」
考え事をしていたせいか、あまりにも妙な事が口から出ていました。
「初めまして、静影丸です。今後とも宜しく」
しかも静さんは余裕で返します。
なんと言うか…大人の余裕にも似た何かを感じました。
「先生、俺は御子息の診察でもしています」
「ああ、すまないね」
「いえ、ここに来たついでですよ」
「コラーッ!ボクはついでかーっ!」
「ついでに覗きも退治しておきます…」
「頼むよ…ついでに…」
 がらっ…
 ズドンッ! ズドンッ! ズドンッ!
 ゴオオオォォォ…
 チュドムッ!!!
 バリバリバリバリ…
 ガラガラガッシャーンッ!
「………」
「………」
不屈さん…やり過ぎです…
「さて…悪いけれど、君の記憶を覗かせてもらえないかい?」
「はい…お願いします…」
「うん」
そう言って静さんは私の額に手を当てて…
私の意識は…まるでブレーカーが落ちたかのように真っ暗になりました…
浮かんでくるのは…記憶…
マリー・クロード・ジェンティーレの…魂の記憶…

次回予告
人の運命は絶えず流動する。人の運命は絶えず分岐する。
この日、二人の運命が重なって…二人は師弟となった。
次回、不撓家の食卓『出会い』にご期待ください


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