第3話 『3 years ago』
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「おばあちゃんっ!」
「………」
「嫌だよ、私…おばあちゃんが居なくちゃ嫌だよっ!」
「………」
「笑ってよ…いつもみたいに笑ってよ…」
「………」
「やだよ…ぐすっ…やだよ…」
「………」
「陽子…おばあちゃんはね…」
「違うよっ!」 
 ガチャンッ
「陽子っ!何処に行くの!?」

「違うのに…違うのに…」
「お譲ちゃん」
「………」
「何か嫌な事でもあったのかい?」
「ぐすっ…おばあちゃんが…おばあちゃんが…」
「なら…俺達が忘れさせてやるよ…」
「えっ…?」

それは、まだ不撓家に長男が居た時であった…
その日の俺は、番場が入団している草野球チームの試合を観戦し、何故か代打として出場し、
何故かそのまま勝利の宴に紛れ込み、俺が帰路に着いた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。
「…ハハハ…」
「…ん?」
笑い声…それも女性の笑い声が聞こえた。
ふと振り返ると、そこにあったのは公園であった。
まあ、おおかた恋人同士が愛の語らいでもしているのだろう。
この公園は昼も夜もほとんど人が居ない。
逢引にしては少し寂しすぎるような気がするが、まあそれは各人の自由であろう。
そう結論づけると…俺は再び帰りを急いだ。
「…ヒヒヒ…」
「…んんっ?」
今のも同じ人の声だったが…愛の語らいにしては少し違和感がある。
なら麻薬あたりか。
公園で麻薬をやっていたり、人生に絶望したりで気をおかしくした人が居るのだろう。
そう結論づけると…俺は再び帰りを急いじゃ駄目だろっ!
なんだか嫌な予感がする…一応、覗いておこう。
もし恋人同士の愛の語らいだったら、覗いた事を心の中で謝りつつ退散しよう。
万が一、麻薬か人生に絶望した人に出くわしたら、その時は2・3発引っ叩いてから退散しよう。
そうと決まれば話は早い、俺は早速公園の茂みの中を匍匐前進で進んでいった。

まず発見したのは二人の学生、それも一瞬で不良だと判断できるほどわかりやすい男たちであった。
制服は…兄貴の物とは微妙に違う。
しかしこの辺りで学ランを制服としているのは不死鳥学園と隣町の昇龍高校だけだ。
そういえばこの間、
兄貴が『昇龍に不良嫌いの生徒会長が就任したおかげで、向こうの不良がこっちに流れて来ている』
と言っていたような気がする。
まあ不良の出所はこの際関係無いか。
俺はもう少し近づき、二人の話声が聞こえる位置まで移動した。
「なあ…あの女やべえんじゃないか?」
「そうだな…今まで何回か女をまわした事はあるが、たいてい泣き喚くか無言になるかだったしな」
「キレてんじゃねえのか?あの女」
「かもしれんな…」
「なあ…もうずらかろうぜ、仲間もほとんど気持ち悪がって帰っちまったしよ」
「そうだな…俺達もそろそろ退散しよう、確かにこのままここに居るとヤバイ気がする」
なるほど…大体理解した、どうやら居たのは蛆虫だったようだ。
今なら向こうが気がついてない分だけこちらが有利な筈だ。
よし、まずこいつらから情報を聞き出そう。
敵の位置は…それならっ!
 ガサササッ
「なっ!…」
俺は匍匐の体制から逆立ちをし、そのまま両手で思い切り地面を押し、バク転の要領で空中に跳ぶ。
そして敵が驚いている間に両足のカカトを振り下ろす…
 ゴッ!
「ぎゃぷっ…」
手ごたえあり!
最後に着地…よし、奇襲は上手くいった。
「秘技…半月蹴り」
まずは一匹目、二匹目は尋問…いや、拷問するために気絶は避けないと…
「貴様っ!」
まだあいつは冷静になりきれていない、あの構えているのだか構えていないのかわからない
姿勢がその証拠だ。
ならばこの勝負は速攻で終わらせるっ!
俺はドロップキックの要領で跳び、右足を脇の下に、左足を肩の上に差し込む。
その体勢のまま重力で体が落下するよりも早く相手の手首を掴み全力で引っ張る…
 ゴキリッ!
「ぐわあぁっ!!」
「秘技…空中腕ひしぎ…」
相手の腕が下に垂れると、俺は両手を地面に着き今度は両足で首を挟み、そのまま体を捻る…
 ゴンッ!
「がっ…」
「…Withヘッドシザース」
二匹目も潰した…って、潰しちゃ駄目だろっ!
「お〜い…生きてるか〜…」
返事が無い、少しうっかりしていたようだ。
二匹目には空中腕ひしぎで戦意を喪失させれば十分だったのだが、うっかり追撃を入れてしまったようだ。
…まあいい、過ぎた事は仕方が無いしゴミに情けを掛ける必要も無い。
俺が考えるべき事は何処かに居る女の人を助け出す事だけだ。

「あはははははは…」
なんだよ…これ。
現場は拍子抜けするほどに簡単に見つかった。
場所は男子トイレ、男が三人、女性が一人…女の子と言うべき幼い子であった。
だが、それより問題とすべきはその異様な光景である。
「ひひひひっひっひ…」
笑っていた、歓喜の表情と共に笑っていた。
一瞬俺は薬でも飲まされたかと思ったが、すぐに却下する。
先の二人の会話に薬の存在は無かった、それに見張りと思われる男は明らかに恐怖に怯える表情をしていた。
なにが何だかわからんが…今は一刻も早く少女を助けなければ。
ここは奇襲で行こう、前後から少女を犯している二人はすぐには戦闘体制には入れない筈だ。
 チャリンッ チャリンッ
公衆トイレの天井の上に登り、五百円玉を入り口付近に落とす。
犯している奴らは腰を振るのが忙しくてそれどころではないだろうが、見張りは別だ。
拾うためか、あるいは異常を感知したためかは知らんが、のこのことやってくる。
そして辺りを2・3度見回し…拾ったっ!
その刹那、俺は全体重を両足に乗せ下を向いた奴の後頭部を目掛けて落下する…
 ズンッ…
「ぐわっ…」
「秘技…マリオキック」
これで三匹目、あと二匹だ。
「なっ…何だてめぇは!」
…チィッ、気づかれたか。
だがここで引く気は全く無い、ここまで来たら真正面から叩き潰すまでだ。
残る二人はあわてて少女の体から離れ、俺に対処しようとするが、
それを待つほど俺はやさしくはない。
ここからはスピードの勝負だ、近い方から叩くっ!
大地を蹴って加速し、その勢いのまま空中で体を捻る…
 ドガァッ!
「はがぁ…」
「秘技…ローリングソバット」
手ごたえはあった。俺の足は男の顔面を捉え、そのまま後頭部を壁に激突させた。
…あと一匹だ。
「てめぇ…」
最後に残った男がナイフを構える。
俺の頭の中でスイッチが入る。
奴の殺気を感じ取り、俺は始めて殺意を呼び覚ます。
恐れるな…俺の名は何だ?
不撓勇気だ…決して折れない…勇気を持つ者だあああぁぁぁっっっ!!!
「死ねぇっ!」
「遅いっ!」
全速で前進しながら左手で奴の右肩を掴む、右足で奴の足を払い、同時に右肩を逆方向に押す…
「なにぃっ!?」
「秘技…」
奴の体がバランスを崩し横向きになる、その機を逃さず右手を奴の頭に乗せ、
全体重をもって奴の頭を加速させる…
「岩・盤・砕きいいいぃぃぃっっっ!!!」
 ズウゥゥンッ…
ラストワン…撃破。

気がつくとタイルにヒビが入っていた。少しやり過ぎたかもしれない。
まあ、人間は意外に頑丈に出来ている物だ、しばらくは起き上がれないだろうが死にはしないだろう。
そんな事より…
「くくく…くくく…」
この子をどうしようか…?
その子は湧き水の如く流れ出る血液を見ても、なお笑い続けていた。
「あ…りが…と…」
…えっ?
今の言葉は礼を言った様に聞こえた。
正気を保っているのか!?この子は。
「あはははは…」
その顔に変化は無い、ただ歓喜の表情があるだけだ。
どっちにしろ俺にはこれ以上はどうしようも無いな。
そう判断すると俺はこの子を背負って…いや、それは拙いか。
この子は裸だ、一番大事な箇所はスカートによって辛うじて隠れているが、
それ以外はニーソックス位しかその身を隠す物が無い。
流石にこのまま外に連れ出したら非常に拙い事態になるだろう。
それに意外と胸が大き…いや、関係無い関係無い。
かと言って使えそうな物は…上着位しか無いようだ。
「ほら…自分で着れるか?」
そう言って俺は着ていたジャンパーを脱いで差し出してみる。
「あり…が…」
「無理して喋らなくてもいいぞ」
動きはぎこちなく、手は震えていたが、その子は確かにジャンパーを着ようとしていた。
確信した…この子は正気を保っている。
こんなにも惨い仕打ちを受けながら、この子は確かに正気を保っているのだ。
俺も少し手伝って、彼女にジャンパーを着せた。
俺のジャンパーは新調したばかりで、数年間は使えるように大きめの物を選んでいた。
今回はそれが幸いし、女の子をしっかりと覆う事ができた。
まあ、少々ブカブカなのとノーパンなのは我慢してもらう他に無いが…
「とりあえずここを出るぞ、おぶされ」
「ははは…ふふふ…」
返事は無かったがその子はしっかりと俺の体につかまってきた。
それを確認して、俺達は精液と血液の臭いのする男子トイレを後にした。
どうか職務質問されませんように…

ピピピピピ…ピピピピピ…
男子トイレから出て、これからどうするかを思案していると、不意に俺の携帯電話が鳴り始めた。
 ピッ…
「もしもし…」
「勇気、状況を説明しろ」
「…兄貴か?」
こんな物言いは兄貴以外にはありえないのだが、咄嗟にそう答えた。
「そうだ、その娘は何者だ?」
「え…っと、この子は…って、何でわかるんだよ!?」
いくら兄貴が人間離れしているとはいえ、ここまで来ると超能力者の域だ。
「First Brightness Hotelの屋上から見ていた」
そう言われて見上げると『First Brightness Hotel』は確かにここから確認できた。
もっとも、この公園から2kmほど離れているのだが…兄貴なら見えるのかもしれない。
「…なんでそんな所に居るんだよ?」
「あまりにもお前の帰りが遅いのでな、町の全域が見渡せるこの場所から探していた」
…頼むから普通に電話してくれ。
「そんな事よりトイレの中で何が起きた?」
流石の兄貴も透視能力は持ち合わせていないらしい。
しかし…そんなに軽々しく話して良い物なのだろうか?
よし、ごまかそう。
「実はかくかくしかじかでな…」
 …ピシィッ!
凄まじく不吉な音がした。
振り向くと…案の定、男子トイレに必ずある紳士を模した絵の眉間に十円玉が突き刺さっていた。
「すまん、小銭を落とした」
もはや説明不要、兄貴の十八番である指弾であった。
いつも思うのだが、指弾でこの精度は有り得ないのではないだろうか?
「あわわ…」
ほら見ろ、この子も怯えているじゃないか。
しかし兄貴は一応『医者』を名乗っている。(無免だが)
最低でも俺よりはどうするべきかを知っているかもしれない。
「わかったよ、真面目に話すから聞いてくれ」
この場は素直に状況を話す事にした。

「…なるほどな」
随分とあっという間だった気もするが、説明は終わった。
とりあえず俺の知っている事は全て話した筈だ。
「勇気、その娘を家まで連れて来い」
「家に!?…どうして?」
医者に診せるのなら逆方向…そうか、兄貴も自称医者だったな。
「その娘にも親にも世間体があろう、下手に真っ当な医者に診せるのは考え物だ」
「大丈夫なのか?」
「似たような患者なら何度か診た事がある、正気を保っているのなら尚更だ」
兄貴は時折ふらっと行方不明になる。長くて一年、短くて一ヶ月ほどだ。
特に義務教育の期間は居ない時の方が長かった程である。
もっともそれが原因で兄貴はすでに二回留年し、いまだに不死鳥の三年生らしい。
しかし今年の春以降は、行方不明にならずにしっかりと登校しているようだ。
そんな訳なので、今更兄貴にどんな過去があろうと俺は驚かない。
事実、兄貴は本職にすら迫る医療技術や知識を垣間見せる時があるのだ。
「わかった、今から家に向かう」
「うん、俺は先に帰って風呂でも沸かしておこう」
…ピッ
この場所よりも『First Brightness Hotel』の方が遥かに家の遠くに位置しているのだが、
今更その事実にツッコミを入れるのは野暮だろう。
「とりあえず俺の家に行くぞ、いいな?」
「くくく…」
その子は軽く頷いた。なんとなく、さっきよりも笑いが収まってきたような気がする。
俺はその子を背負って帰路についた…

 カランッ カランッ
家に到着した時には、その子の笑いは収まっていた。
「おかえり、風呂はもう沸いているぞ」
なぜか兄貴が居た。
ウチの風呂は沸くまでに約10分かかる、そこから逆算すると兄貴の移動時間は約5分。
『First Brightness Hotel』の屋上から約5分。
正直『First Brightness Hotel』から出るだけで終わってしまうような時間である。
「どうしたんだ?」
「いや…別に」
考えるな、兄貴はもはや別次元の生物なんだ。
心の中で必死にそう言い聞かせる、そうでも考えないと兄貴の弟はやってられない。
「まあいい。その娘を風呂に入れるぞ、話はそれからだ」
確かに、精液の臭いがこびり付いたままでは教育上あまり良くない。
「一人で入れるか?」
その子は再び軽く頷いた。
「そういや、着替えはどうするんだ?」
「その件に関しては心配は無用だ、帰り道で調達しておいた」
と兄貴は言う。
『First Brightness Hotel』の屋上から約5分、しかも途中で服を調達して約5分。
…超人登場、あなたは本当に人間ですか?
「勇気、さっきからどうしたんだ?」
「いや…別に」
『超能力者』『テレポーテーション』『THE WORLD』『サイボーグ』『加速装置』…
そんな単語が頭によぎっていた。

それから一時間以上が過ぎていた。
あの子を風呂に入れて、親父に事情を話して、兄貴が『診察する』と言って部屋に連れ込んで…
現在はその結果待ちである。
「勇気」
「どわあぁっ!」
慌てて振り向くと、いつの間にやら兄貴が背後に立っていた。
「なんだ、兄貴か」
「診察はひとまず終了した」
「それで、結果は?」
「とりあえず大槻陽子の現状は理解できた」
「大槻陽子ってのはあの子の名前か?」
「そうだ、大槻陽子の肉体は感情が昂ると本人の意思に関係なく笑い出す。無論それが恐怖でもな」
「そうか、それが…」
「勇気の見た異常な光景の原因だろう」
なるほど、それならあの光景も説明がつくかもしれない。
「なら、その原因は何なんだ?」
兄貴は少し思案して…話す。
「これは推測でしか無いが…自己防衛本能の一種であると考えるべきだな」
「自己防衛本能…?」
「そうだ、おそらく精神の変調を防ぐために大槻陽子が無意識の内に行った措置だろう」
「そっか…」
まあ無理も無いだろう、普通の人間が不良どもに寄って集って犯されたら、気を変にするかもしれない。
だがそれでは半分しか説明されていない。

「それで、治す方法はあるのか」
俺はある意味最も重要な事を聞いた。
「気の長い方法で良ければな」
それを聞いて少し安心する、あの子はまだ再起不能では無いのだ。
「大槻陽子の肉体に感情の変化を思い出させる事だ」
「…もう少し具体的に言ってくれないか」
「なに、簡単な話だ。当たり前の日常を繰り返してやれば良い」
…本当に簡単な話だな。
思わず不安になってくる。
「本当にそれで治るのか?」
「本人の意思と長い時間があればの話だがな」
「いや…十分だ、ありがとう」
治る、時間をかければ治る。それもこんなに簡単な方法で。
それだけでも俺の気は幾分か軽くなったのを感じた。
「勇気、しばらく俺は出かけるぞ」
そう言いながら兄貴は外出用の外套に身を包んでいた。
「どうしたんだ急に?」
「大槻陽子の身元を調べてくる」
「一人で大丈夫なのか?」
そうゆう調べ物なら人手が多い方が良い筈だ。
「当たり前だろ、俺は医者だぞ」
それとこれとは関係無いと思う。
「正確に言うなら闇医師だ、ツテなら複数存在する」
…今更ながら兄貴の恐ろしさを思い知ったような気がする。
「しばらくの間は大槻陽子の面倒は任せる」
「わかった、任せてくれ」
そう言って兄貴は出て行った。
まあ兄貴の事だ、言ったからには絶対に見つけだすだろう。
俺は俺のやるべき事をやるだけだ。

 ガチャッ…
「よう」
「…あっ」
今は落ち着いたのか、その表情は普通の女の子の物であった。
兄貴が調達してきた服とは、一言で言うならパジャマだった。
黒を基本とし、所々にデフォルメされた猫がプリントされたパジャマで、
まるでこの子のために作られたかのような錯覚さえ覚える出来栄えであった。
その姿は天使のような清楚さと小悪魔のような妖しい魅力を併せ持っている。
矛盾しているようだが…そう感じてしまったのだから仕方が無い。
兄貴…良い趣味してるじゃねえか。
…っと、いかんいかん、今は黒い欲望は捨てなければ。
「陽子ちゃん…だったか?」
陽子ちゃんはコクっと頷いた。
「大丈夫だったか?」
俺の方こそ大丈夫か!?あれで大丈夫な奴が居るものか居ないものか。
「あ…くくく…」
陽子ちゃんの顔に再び笑みがこぼれ始めた。
馬鹿か俺はっ!あんな事を思い出させたらこうなるに決まっているじゃないか。
「すまん、今のは俺が悪かった」
「くくく…あはは…」
徐々に笑い声が大きくなっていく。
それに対して俺にはオロオロする事しかできない。
「ごめ…なさ…」
「無理して喋るなっ!」
もう一度言おう、馬鹿か俺はっ!この状況下で怒鳴ったりしたら…
「あはははっはっはっは…」
こうなるに決まっているじゃないか…
俺は自分の愚かさを嘆きつつ、陽子ちゃんをただひたすらなだめ続けた…

「ごめんなさい…」
「気にするな、あれは俺が悪い」
何とか収まったか…これからは言動に気をつけよう。
「あの…なまえ…」
「名前?」
まあ、名前位なら陽子ちゃんに悪影響は与えないだろう。
「不撓勇気だが…」
「勇気くん…ありがと…」
そう言って陽子ちゃんは少し微笑んだ。
…反則じゃないのか、これは。
パジャマ姿で、しかもこんなにも可愛い女の子にこんな事を言われては反撃不能だ。
やばい…自分でもわかる位に赤面している。
「勇気くん…?」
「寝よう。疲れただろ、疲れたよな」
てかこれ以上は俺の理性が耐え切れん。
「う…うん…」
「そっか、一人で寝れるか?」
「くく…くくく…」
あれ、俺また変な事を言ったか?
「おい、今度はどうしたんだ?」
俺は再び慌ててしまう、自分で言うのもなんだが情けない姿だ。
「こ…わい…」
途切れ途切れだが、何とか聞き取れた。
「一人が怖いのか?」
そう言うと陽子ちゃんは頷いた。
その顔は笑ったままだが、おそらくその心は恐怖に染まっているのだろう。
まあ、あれからまだ何時間も経っていない、一人が怖いのも当然か。
さてどうする…一緒に寝るという選択肢もあるが、それだと俺の理性が持つかどうかは五分五分だ。
俺が陽子ちゃんの傷を深めては元も子も無い。
「ふふっ…くくく…」
だが…このまま放って置く訳にもいかないか。
「なら、一緒に寝るか?」
「えっ…?」
どうやら俺には元から選択肢など無かったらしい。

 ジリリリリリリリリ…
6時になり目覚まし時計が鳴った。
隣では陽子ちゃんがすやすやと眠っているが、俺の方は一睡もしていない。
己の心との闘いが、ここまで辛く苦しく…そして険しい物だとは思いもしなかった。
しかし俺は勝った、俺の心に巣食う黒い欲望に勝ったのだ。
「勇気、起きたのならちょっと来い」
ドアの外から兄貴の声がした。
いつの間にか戻って来ていたらしい。
俺は陽子ちゃんを起こさないように部屋から出た。
 …ガチャンッ
「兄貴、何かわかったのか?」
兄貴は普段通り抑揚の無い声で話し始めた。
「昨日の6時39分、Death Queen総合病院内にて西村理江(にしむら りえ)が死去した」
「…何の話だ?」
なんだか酷く嫌な予感がする…
「大槻陽子の祖母に当たる人物だ」
「………」
なんだよ…それは。
「大槻陽子は西村理江の死に立会い、恐慌状態に陥りそのまま失踪した」
「………」
冗談だろ…
「おそらく町をさまよっている内に例の不良と出会ったのだろう」
「………」
陽子ちゃんに…そんな…
「ちなみに現在西村理江の通夜の真っ最中らしい、なんなら見てくるか?」
「………」

何も言い出せなかった。
ただ陽子ちゃんの事を考えていた。
ただひたすら、神を呪っていた。
陽子ちゃんが何をした?ここまで非道な事をしたのか?
なんでまだ年端もいかない女の子をここまで苦しめる必要があるんだ?
「くっくっく…」
…えっ!?
そこには…陽子ちゃんが、居た。
「大槻陽子か、その様子では留守中に妙な事は起こらなかったようだな」
「陽子…ちゃん」
まさか今の話を聞いていたのか?
「おばあ…くくっ…ちゃん…」
まずい、陽子ちゃんは聞いていた。
今の陽子ちゃんは精神が不安定になっている、そんな時にこんな話を聞かせたら…
 ダッ!
「陽子ちゃんっ!」
 ドタドタドタ…
陽子ちゃんは走り去ってしまった…
何をやっている…何をやっているんだ不撓勇気ぃっ!!!
なぜもっと気をつけなかった?
目覚ましの音で目覚めた可能性をなぜ考えなかった!?
なぜこんなに陽子ちゃんから近い場所で話を聞いた?
いくら小声でも…聞こえる可能性はあっただろうがっ!!!
「兄貴」
「俺は葬儀場へ先回りしている、勇気はその他の場所を探せ」
「わかったっ!」
 ドタドタドタ…
一秒でも早く…見つけだすんだ。
俺は自分の知っている場所を手当たりしだいに回った。
不死鳥学園…居ない。
そもそも正門はまだ閉まっている。
鳳翼駅…居ない。
一応交番で尋ねてみたが、大した情報は無かった。
Death Queen総合病院…居ない。
広い敷地内を探すのに時間が掛かってしまった…急がなくては。
市民球場…居ない。
ランニングをしていた番場に呼ばれたような気がしたが、軽く無視しておいた。
居酒屋…居る訳無いだろっ!
馬鹿か俺は。
First Brightness Hotel…
居ないとは限らないが遠すぎる、あの子の足でそこまで行くとは考えにくい。
後は…公園位しか無いじゃないか。
陽子ちゃんがあの場所に居るとは考えにくい。
だが、今の俺には他に考えられない。
俺はそう考えるよりも早く公園に向かって走りだしていた。
頼む…居てくれ…俺は…

「ふふ…ははは…」
…居た。
「あーっはっはっはっは…」
「陽子ちゃん…」
陽子ちゃんは笑っていた、ただひたすら笑っていた。
「あははははは…」
「陽子ちゃんっ!」
陽子ちゃんがこちらに気づいた。
笑いはまだ止まらない。
「陽子ちゃんっ!」
おれは陽子ちゃんに駆け寄る。
俺にはきっと何も出来ない、だけどそんな事は関係無かった。
「泣けない…よ…」
笑っている、確かに陽子ちゃんは笑っている。
「悲し…いよ…」
だけどそれは…なんて悲しい笑顔なんだろう。
「あばあちゃん…」
「陽子ちゃん、陽子ちゃん、陽子ちゃんっ!」
気がつくと俺は陽子ちゃんを抱きしめていた。
「なんで…涙が…」
「大丈夫、大丈夫なんだっ!」
「泣け…ないの…」
俺はきっと…この子を守りたかった。
「あははははは…」
出会いは偶然、こんな事をする義理も無い。
だけど俺は…この子を守りたい。
「ゆっくり…やっていこう」
「くくくくく…」
「いつか取り戻せる…泣く事も、怒る事も…」
「勇気…くん…」
「そしたらさ…腹の底から、思いっきり笑おう…」
「ふふ…ふふふ…」
「大丈夫だ、俺が居る…俺が一緒に居るから…」
「勇気くん…」
公園にはいつまでも陽子ちゃんの笑い声が響いていた…
俺は…この子を守りたい。
強くそう思っていた。

 

あれから三年…
兄貴は家を出て、大槻の病気は完全には治っていない。
だけど大槻は日常の中で少しづつ表情を取り戻していった。
最初に涙を、次に照れを…そこから先はいちいち覚えていない。
いつもいつもきっかけはごく簡単な物だった。
時には大槻も俺も気づかない内に取り戻した表情すらある。
大槻が最後の表情を…『怒り』を取り戻して、今度こそ腹の底から笑える日は…きっと近い筈だ。


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