妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第2回
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 東京で生活を始めてから一年。
 また、桜の季節がやってきた。
 
 おれが大学を卒業するちょっと前あたりに、家族で集まって話をした。
 あれ以来ずっとだから、楓とは結局二年近く一緒に生活していたことになる。
 それとなく察していたのだろう、
 楓のカミングアウトにも、両親はさほど驚いた様子もなかった。
 
 物心ついてからずっと抱いてきた想い、
 おれが家を出ると聞いてどれだけ悲しんだか、
 おれと共に暮らす間に感じた喜び、不安、将来のこと、
 それらを朗々と詩を読み上げるように語る楓を見て、最早どうしようもないと悟ったのだろう。
 
 もう、勝手にしろ。
 
 この世の全てに疲れたような、盛大なため息をつく親父に対して、
 
 ええ、勝手にさせていただきます。
 兄さんの妹に産んでくれてありがとう。楓は倖せです。
 
 そう言い放った楓を見るおふくろの表情が、いまだに脳裏に焼きついたまま離れない。
 
 就職は大手自動車メーカーに決まったはいいが、営業に回されてしまった。
 本当は設計や、せめて作業服を着てスパナを握っていたかったが、仕方がない。
 給料も悪くないし、待遇だってその辺の中小とは比べ物にならないということを、
 友人の近況報告から知っていた。

 

 部屋は学生時代と変わらない大きさ。そこに布団を二枚敷いて寝ている。
 生活は決して楽々というわけにはいかないから、楓も近くのスーパーでレジ打ちのパートをやっている。
 いくら大学中退とはいえ、もっとまともな仕事にも就けるだろうと言ったのだが、
 仕事はあくまで生活の合間、どこまでも楓はおれの嫁でいたいのだという。
 
 嬉々としておれのYシャツにアイロンを掛ける楓の後ろ姿を眺めながら、考える。
 本当に、これでよかったのだろうか。
 この先こいつを食わせていくことくらい、何とでもなるだろう。それはいい。
 だが、子供はどうする? 親戚連中にどう説明するんだ? 籍は?
 いまさら社会というものの重みを、両肩にずっしりと感じる。
 当人たちの気持ちはどうあれ、おれたちは血の繋がった兄妹だ。
 それだけは逆立ちしても変わらない。
 おれも楓も健康なおとなだから、しかるべき手順を踏めば、あるいは踏まなければいつでも子供を作れる。
                                ・・・・・・
 私生児として育てていくことも可能といえばそうだろう。
 だが、近親間に授かった子は先天的に欠陥を抱えていることが多いという。
 さらに親等が近いほど、危険性は指数関数的に増えるらしい。
 しかも、その爆弾は子々孫々まで受け継がれてしまうのだ。
 おれと楓の行為が、未来(さき)を生きるおれの子供たちに呪いを掛けてしまうのだとすると、
 一時の感情でどうこうしていい問題ではない。
 これが、禁じられた果実を齧った人間の行く先だというのなら、これほど相応しい報いはないだろうと。
 そう思う。

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「倉井くん。今日これから、飲みに行かない?」
 この人は澤田さん。おれの直属の上司にあたる。
 どことなく気が弱そうな雰囲気で、良く言えば温和、悪く言えば多少日和見なところがある。
 そういうところが血の気の多い連中からすると目の上の瘤のように見えるらしいが、
 おれはこの人が好きだった。大学時代のある恩師にちょっと似ていたから。
「いいですね、お供します。ちょっと待ってください……」
 楓の携帯にことわりのメールを打っておこう。
 えーと、
 会社の上司と飲みに行くから、晩飯は先に食べててくれ。
 遅くなるかもしれないから、その時は俺を待たずに寝ること。
 ……と、こんな感じか。送信。
 
 男二人で洒落たところに行っても気が休まらないだろうということで、程近い焼き鳥屋にやってきた。
 中はおれたちと同じように、仕事帰りの一杯を楽しみに来ているおっさんらで一杯だった。
 壁や柱には長年の煙と脂が染み付き、お世辞にも綺麗とは言えないたたずまいだが、
 おれはこういう店のほうが好きだった。
「倉井くんは恋人と同棲しているんだったね」
 澤田さんは焼酎の入ったグラスを傾ける。
「ええ」
「一緒に生活を始めて……何年だっけ?」
「三年になります」
「結構長いね……吸ってもいいかい?」
 澤田さんは胸ポケットから、くちゃくちゃになったタバコの包装を取り出す。
 メンソールが好きみたいだ、ちょっと珍しいな。
「どうぞ、おかまいなく」
「ありがとう。最近の若い人は本当に吸わないよね。肩身が狭いよ」
 まるで深呼吸するように、肺の隅々まで煙を行き渡らせる。
 幸せそうだ。本当に美味そうに吸うなあ、この人。
「……余計なお節介かもしれないけど」
 前置きされると何か嫌だな。もしかしてお説教のために誘われたのかな。
「ちゃんとしてあげる気、ないの?」
「ちゃんと、って」
「身を落ち着けてみる気は……まだ、ないか。まだまだ若いもんね……」
 できるもんならとっくにやってます、と衝動的に言いそうになって堪える。
「いやね、ウチの会社もそれなりに大きくて、古いでしょ。昔からの慣わしってわけじゃないけど、
 上の立場の人間にはそれなりに色々と要求されるものがあるわけさ。単に仕事の出来の良し悪しだけじゃなくてね」
「……」
「きみは本当に良くやってる。工学部を出ると大抵は技術まわりを希望して入ってくるんだけど、
 すべての人間が希望するところにいけるわけじゃない。
 そうすると中には不貞腐れて辞めていっちゃう子も中にはいるんだな。
 でもきみはそうしなかった。……あんまり大きな声じゃ言えないけど、上のほうもきみを随分評価してる。
 ……僕の言いたいこと、わかるかな?」
「……なんとなく、ですが」
「このご時勢、先が見えないのは誰も一緒さ。でもね、一旦開き直ってしまって、はじめて見えるものもある。
 だから、うん。今日の話、胸に留めておいてくれるとうれしいな。
 ……ああ、何だか辛気臭くなってしまってごめんよ。今日は僕が奢るから。
 大将! 軟骨とレバー二本ずつ追加!」
 

 澤田さんと別れた後、ぼんやりとしながら夜の街を歩く。
(……ちゃんとしてあげる気ないの、か)
 楓と結婚して、子供を作って、休みの日には公園に遊びに行って……
 まるで夢のようじゃないか。
 それはきっと、楓にとっても。
 でも、その夢は叶えてやれないのだ。
 おれがおれであるかぎり。
(……今更悩むなんて、最悪だよな、おれ)
 楓が笑ってくれる。
 ただそれだけで十分だったのではなかったか?
 違うのか?
 今さら“普通”を望むのか?
 ああ、もう、どうしろって言うんだよ……ッ!

 

「……先輩……?」

 ひどく懐かしい声だった。
 
 それはまだ、おれが夢の中にいたころ。
 
 日々を共に過ごした、頼もしい戦友の、声だった。


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