妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第3回
[bottom]

 樹里ちゃんに連れられてやってきたのは、さっきまで澤田さんと飲んでいた店よりちょっと上品な感じの飲み屋だった。
「心配しなくても、私がおごりますから。気にしないでください」
 今日はよく奢られる日だ。そんなにおれって素寒貧に見えるのかね。背広が安物だってばれてんのかな。
 だがさすがに、年下の女の子にご馳走してもらうわけにもいかない。
「後輩にお世話になるほど落ちぶれちゃいないつもりなんだけど」
「そういうつもりで言ったわけじゃありませんよ」
 くす、と微笑する。
「しかし樹里ちゃん、綺麗になったなあ……」
「大学にいた頃は、お化粧をしてませんでしたから。社会に出て、まさかそういうわけにもいきませんしね」
 ってことは、あれはすっぴんだったのか。もしかしなくてもこの子、物凄い美人なんじゃ。
「今は何の仕事をやってるの?」
「父が弁護士で、その秘書みたいなことをやってます」
 何だかすごいな。
「先輩は?」
「ああ、…ってあるでしょ? 車の。あそこの営業所で営業やってる」
「先輩の方が立派です。何だかんだ言っても、私の場合身内ですから」
「仕事に身内も縁故もないよ」
 燗をつけたポン酒を舐めながら、樹里ちゃんは遠い目をしている。
「それにしても意外な再会でしたね」
「もしかしたら、知らずに何回かすれ違ってたりしたかも」
「かも、しれませんね」
 そもそも、樹里ちゃんが東京に来ていることを知らなかった。
「お、このカツオのたたきはうまいな」
「ここ、前に父さんに連れてきてもらったお店なんです。
 ビジネス絡みで連れまわされるうちに、色んなお店を覚えちゃって。
 年のわりに趣味が渋すぎるとは自分でも思ってるんですけどね」
「いや、いいんじゃないか? おれも正直、こういう雰囲気のほうが好きだよ」

 樹里ちゃんは相変わらず頭と気が良く回る子で、以前と比べると少しだけ表情が柔らかくなった。
 彼女からすれば一番聞きたいはずの話にも、あえて触れないようにしてくれているのもありがたい。
 結局その日は新しい連絡先を交換して、駅で別れた。
 

----
 
 楓は寝ずに待っていた。
「先に食べてろって言ったのに」
「ひとりで食べても美味しくないですから」
 おれの背中に取り付いて、背広を脱がしにかかる。
「作ってもらっておいてなんなんだけど、腹いっぱいなんだ。すまん。明日の朝食べるから」
「気にしないでください。でもせめて、隣には座っていてくださいね」
「何で?」
「兄さんの顔を眺めながら食べたいんです」
「おれの顔をおかずにするんじゃねえよ」
「子供の頃から散々してきましたけど、飽きませんね」
「……」
「……」
 べしっ。
「叩かないでください、ばかになりますから」

 結局楓の対面に座って、テレビのニュースを眺めることにする。
 何が嬉しいのかわからんが、楓はやたらとにこにこしながら飯を食っている。
 気楽なもんだよな、人の気も知らないで……
 
----

 弁護士の秘書という仕事を通して、様々な人種と会ってきた。
 ワーカホリック、快楽主義者、お人よし、クスリ漬け、守銭奴……
 その中には、好意を抱くに値する人格者もいることにはいた。
 それでやっと忘れられる、前へ進めると思った矢先にこれだから、やっぱり先輩は残酷だ。
 その優しさが、暖かさが、力強さが、それらすべてが、痛い。
「……もう、諦めなくて、いいですよね。こんなに、好き、なのに、我慢、なんて」
 できないし、してやらない。誰から何を言われようとかまうものか。
 そのためにはどんな悪女にでもなってやろう。
 もう、遠慮なんて、しない。
 私は、私のやり方で、奪う。楓さんがかつて、そうしたように。
 そう決めてしまえば後は楽だった。

 これからの私は。
 ただ一人の男性を篭絡するためだけに。
 駆動する。


[top] [Back][list][Next: 妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第4回]

妹(わたし)は実兄(あなた)を愛してる 第2章 第3回 inserted by FC2 system