ブラッド・フォース 第2回
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「それじゃ先輩・・・俺、帰ります」
 しばらく荒い息をつきながらへたりこんでいた智だが、落ち着きを取り戻すと
 早々に部室を出て行った。
 部屋の中央には着衣を直して同じく息を整えていた藍香が残された。
 これが、智と藍香の秘め事。血を欲する智に藍香は自分のそれを与える。
 智は僅かな量しか吸わないため、今のところ貧血になったりはしていない。
「・・・・・・・・・」
 もっと吸っていいのに。もっと私を貪ってもいいのに。そんなに我慢しなくていいのに。
 この部屋のお陰で鋭敏化している私の知覚は、貴方の手が私の胸に触れる寸前まで来ていることを
 知っているのに。吸血以外の欲望だって、全て思うままに私にぶつけて欲しいのに。
 毎日少しずつ大きくしている着衣の乱れにだって気づいているはずなのに。
 そんなに私は魅力が無い?スタイルがいいなんて言われても、貴方が欲情してくれなければ
 何の意味もないのに。
 智の理性が自分によって揺らいでいるのは藍香も感じている。だとしても、
 今日も触れてもらえないまま彼が帰ってしまった切なさは隠しようが無い。
 一人ぼっちの部屋の中、首筋を中心に未だ身体を火照らせる熱を感じながら、
 藍香は折角整えた着衣を再び乱しはじめた・・・。

 

 智がこうなった原因は藍香にある。そもそも智はごく普通の人間だ。
 しかし、オカルト趣味の藍香の実験に付き合ってこうなってしまった。
 オカルトや黒魔術は空想の産物ではない。世の中の殆どの人間にとってはそうだろうが、
 現実に存在しているのだ。

 古くからの名家であり、今も政財界に強い影響を及ぼす神川の家に生まれた藍香は、
 その環境に馴染めず、心を閉ざすことで自己防衛を図った。
 ただ言われることを素直にこなすだけのお人形になったのだ。そんな彼女が心奪われたもの、
 それが書庫に眠っていたオカルトの本だった。
 古い家だからか、ただの娯楽でない本物の魔術の本があった。まだ日本が呪い(まじない)を
 国の基幹としていたころのことを後世に残した本が中心だ。
 効果が不安定ゆえに時代と共に廃れていったとあるが、それは間違いなく『本物』だった。
 学校が終わると毎日そこに籠り本を読み漁り、解読作業に勤しむ。東洋だけでなく、
 西洋の魔術にも手を出した。
 そして、遂には人知れず怪しい実験を行うまでになった。
 そんな奇行をやめさせようと、両親はごく普通の公立高校へ藍香を入れたが、それは藍香に
 オカルト研究会という邪魔の入らない空間を進呈しただけだった。
 あまりに掴み所がない様子に加え、神川の名への恐れも入り、彼女を止める者はいなかった。
 と言っても、誰かに迷惑をかけるわけではなく、純粋に知的好奇心から
 オカルトの研究をしていたのだが。

 そんな中現れた唯一の例外。それがが智だった。
 実験の材料を部室へ運ぶ途中でぶつかった少年。ぶつかったことを詫びると、
 部室まで荷物を持ってくれた。
 部室やオカルトに純粋に感心したようで、ちょくちょく遊びに来てくれるようになった。
 神川の名前にも物怖じしない智に、一度聞いてみたことがある。彼はこう返した。

「そりゃ先輩がすっごいお嬢様ってのは聞いてるけどさ。それって周りが言ってるだけだろ?
 俺自身はまだ先輩のこと何も知らないのに、それだけで敬遠するのっておかしいじゃんか」

 ・・・その日以来、藍香は智を自分のものにすることしか考えられなくなった。
 神川のお嬢様ではなく、藍香という一人の女の虜にしたくなった。
 魔術の実験助手が欲しいといって部室に連れ込み(といっても合意の上だが)、色々と試した。
 惚れ薬を作ってみたり、催眠術を掛けてみたり、傀儡の術を試してみたりした。
(もっとも、オカルト知識のない智は自身がそんなことをされているとは思ってもいなかったのだが)
 が、文献の散逸や、現代では手に入らない材料の関係でいつも失敗。
 でも、失敗に落ち込む自分を優しく励ましてくれる智の心遣いが愛しくて、
 今のままでもいいかなと思うようになった。

 しかしある日、それが甘すぎると思い知らされることになる。

 

 ある放課後、藍香は二年の教室のある階をウロウロしていた。智の教室まで直接行く勇気がない
 藍香は、彼に来て欲しい日は、休み時間ごとにこうして廊下をうろつく。
 そうすると大抵智が藍香を見つけ、駆け寄ってきてくれるのだ。
 しかしその日はいずれの休み時間にも智を見つけられず、こうして放課後まで引っ張ってしまった。
 待ち始めて十数分、視界に智の姿を認めて歩み寄ろうとした藍香は――。
「・・・・・・・・・!!」
 智にぴったりと寄り添って歩く少女の姿に、その歩みを凍りつかせた。
「智ちゃん、おじさんたち今日も帰ってこないんでしょ? 晩御飯作りに行ってあげるよ、
 何がいいかな?」
「何でもいいよ。千早は何を作らせたって上手いからな」
「もう、そういうのが一番困るのに。じゃあ、帰りに一緒にスーパーに行こ?
 買い物しながら決めればいいよ」
「帰りにか? まあ金は持ってるけど・・・。一度帰って着替えてからでもいいじゃんか」
「だぁめっ。制服のままっていうのがミソなんだから」
「みそ? ・・・訳がわからん。何の味噌がいいんだか。っておい、引っ張るなって!」
 その少女は智の手を――自分だってまだ触れられないでいる彼の手を――無造作に取って
 駆け出した。怒った口調とは裏腹に、智も苦笑しながら彼女に続く。
 藍香と5メートルくらいの距離まで近づいたが、気づくことなく昇降口の方へ消えていった。

 

 どうやって歩いたのか覚えていないが、気が付けば藍香は部室にいた。
 周囲には散乱した本や薬品、砕け散ったビーカーが転がっている。
 大切なものなのにこんなになっているなんて、どうしてだろうか。
 泥棒が入るような場所でもないのに。
「・・・っ・・・!」
 口が痛い。血だ。いつの間にか噛み切っていたらしい。
 こんなに強く歯を食いしばっていたなんて。どうしてだろうか。どうし――
「!!!!」
 決まっている。あの女だ。私の愛しい後輩に、智に纏わり付くあの女。
 恋人のように寄り添うその姿、思い出すだけで目の眩むような憎悪を覚える。
 それは、人形である自分の中にこんな激情が眠っていたのか、
 と藍香自身感心してしまいそうなほど強い負の感情。
 それでいて表情は一見いつもの無表情であり、それが恐ろしさを一層掻き立てる。
 藍香の領域であることも手伝い、部室内は普通の人間なら立っていられないほどの瘴気が
 渦巻き始めていた。
 しかし今の藍香には、その瘴気こそが自らを落ち着かせ、これからどうすべきかを
 教えてくれる存在だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 そうだ、あの魔術を試そう。人間を動物に変える魔法。前から試したかったけど、
 流石に実行するには気が引けていたあれを。
 あれなら被術者がこの場にいなくても発動できる。問題は施術者のイメージ力だ。
「・・・・・・」
 問題ない。忘れるはずがない。あの忌まわしい小娘の姿を。
 さあ、堕ちろ。智の前から消えてしまえ。自分が誰かも認識されないまま朽ち果てていけ。
 変化させる姿を決めるまでには解読してない術だけど、むしろそれでよかったかもしれない。
 だって、どんな下等な動物にするのが最も相応しいか悩んで、いつまでも決められなかった
 だろうから。
 そして藍香は、‘力ある言葉’を解き放ち―――。

 

 智の吸血が始まって以来、藍香にはもう一つの日課がある。智が帰った後の部室内での、
 彼女だけの秘め事――。
「あぁん・・・! いぃ・・・」
 再び衣服をはだけた藍香は、勃った乳首をブラの上からピンと弾く。
 智に触れられる期待を一身に受けていたそこは、何もせずとも臨戦状態だった。
 鎮めなければ、服から擦れる感覚だけで達してしまいそうな程。このままでは帰れないし、
 何より自分も耐えられない。
 乳房を揉みながら、右肩を上げてそこを舐める。先ほど智が舐め回していた場所だ。
 本当なら洗わずそのままにしておきたいが、さすがにそれは不潔なので、
 今のうちにたっぷり味わっておかなければならない。

 元々藍香は自慰行為をよくしていた。しかしそれは、実験に少女の愛液が必要だから、
 などという場合のことで、快感などは副次的な、むしろ不要物だった。
 それが今や、愛しい男に抱かれる想像に酔い、快楽の海へ望んで溺れるための行為と
 化してしまっている。
 ストックしてある愛液を智に出すお茶に入れることもあり、それを彼が飲むことを想像しただけで
 濡れてくるほどになっている。
 特に智に血を吸われた直後は、どうしようもなく身体が疼くのだ。
「・・・・・・・・・」
 そう、吸血。あの日、千早が受けるはずだった魔術の効果を受け取ったのは智だった。
 しかも、変化したのは身体の外部ではなく内部。
 智は吸血鬼になってしまったのだ。
 翌日、魔術の効果を確かめる前に、智が自分の変質を相談に来たことで事態を知った藍香は、
 応急処置として自身の血の進呈を提案し、智を元に戻す方法を探すことになった。

 ・・・しかし、藍香が今探しているのは吸血鬼を人間にする方法ではない。
 それどころか『人間を吸血鬼にする方法』だった。
 自分を吸血鬼にするために。愛する少年と共に、世界にたった二人の異端の存在となるために。
 異端者を弾こうとするこの世界で、自分と智は皆のように生きていくことはできなくなるだろう。
 そうなれば、互いに寄り添って生きていくしかない。
 それはどんなに幸せなことだろう。
「・・・・・・・・・」
 智は藍香の行うオカルト儀式をちゃんと理解しているわけではないが、魔術の実在は知っている。
 そして彼が関わったその類の使い手は藍香しかいない。今回の己の変貌の原因が何らかの形で
 藍香にあることは、彼女から告げなくとも感づいていたはずだ。
 智を変えてしまった、それによって嫌われることを怯える藍香に、しかし智は笑って言った。

「先輩、俺は自分の意思で先輩の所に通ってたんだ。誰かの所為ってものじゃなくて、
 俺が選んだ先にあった結果がそれだったってだけのことだよ。
 確かに不本意な状態ではあるけど、先輩が望んでそんなことしたはずはないし、
 今だって俺の為に色々手を尽くしてくれてるじゃないか」

 ・・・ああ、だめ。例え上辺の慰めだったとしても、そんなこと言われたらもう
 気持ちを抑えられない。
 貴方を自分だけのものにできなければ死んだほうがマシとさえ思える。
 どんな手段を使ってでも手に入れたい。
 乳房を弄っていた左手は、いつの間にか足の間に差し込まれていた。
 ぐしょぐしょに濡れそぼった秘裂をなぞり、すぐにそれだけでは我慢できなくなって
 人差し指を突き入れた。
「んんんああぁぁぁっっ・・・!!!」
 それだけで軽くイってしまう。気持ちいい。もっとイキたい。
 でも我慢だ。この先に怖くなるほどの快楽が待っているのは分かっている。
 だからこそ、初めては智のモノでしてほしい。
 正直、そう長く我慢できる自信はない。ああ、早く貴方が私を奪ってくれないと、
 私は堕ちて淫魔にでもなってしまうかもしれない。
 それも悪くないけど、やっぱりなるなら貴方と同じがいいよ。比翼の存在となって、
 二人でどこまでも堕ちていこう?
 だから、早く見つけないと。偶然でなく確実に、私を吸血鬼と化す方法を。

 

 たとえ、永遠に人の身を捨てることになろうとも。


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