ブラッド・フォース 第1回
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 帰りのHRが終わり、部活へ行く者、帰宅する者など、生徒たちは思い思いに動き始めた。
 その中の一人、カバンに教科書などを詰めている少年――高村智(たかむら さとし)の元へ、
 一人の少女がとっとっ、と小走りで駆けて来る。
「智ちゃん、一緒に帰ろっ」
「悪い千早、今日も部活なんだ」
「また・・・? ここのところ毎日だよね。以前はそんなことなかったのに・・・」
 いっぱいに広がっていた、少女――折原千早(おりはら ちはや)の笑顔が途端に萎れる。
 まるで子犬のようだと少年は思った。もし彼女に尻尾があれば、先程までブンブンと振って
 いたのが今は悲しげに垂れていることだろう。
 実際、仕草の一つ一つもどことなく犬っぽい。
「えっとな・・・先輩の実験が佳境なんだ。だから今は一日も欠かせないんだよ」
 行かなければならないとしても、捨て犬のような目で見つめられて平気で居られるわけは無い。
 まして相手は10年来の幼馴染であり、毎日――部活に入ってからも週に3回は――
 一緒に帰っていたお隣さんなのだ。
「・・・例のオカルト研究会だよね。どうしても、なの?」
 千早は智に密着するほど近づいて見上げる。彼女がこうやってやたら智にくっ付きたがるところは
 10年前と変わらない。
 上目遣いのつぶらな瞳が揺れ、瑞々しい唇が震えている。昔と変わらない幼さを残した
 かわいらしい顔立ちと、対してめっきり女らしくなってきた体つきが否応なく目に映る。
 そして、白いうなじのラインから続く胸元の――
「どうしても! いいから先に帰ってろ! じゃあな!」
 内心をかき消すようにわざと大声を上げると、教室に残っていた何人かが何事かと
 注意を向けるが、それらを気にした様子もなく智は教室を出て行った。
「なんだよ、夫婦ゲンカか? お前らが、珍しい」
「もう、高村君ったら怒鳴るなんて最低ね。千早、大丈夫?」
「なんだなんだ、破局の序章か?」
 やいのやいの言いながら、クラスメイトが集まってくる。彼らにとって智と千早は
 お似合いの公認カップル以外の何者でもない。
 千早はいつも『智ちゃん智ちゃん』と少年に纏わり付いているし、当の智もまんざらでもない
 様子で懐かれるに任せている。
 高校以前からの付き合いの長い者でも、二人がケンカするのはおろか、
 智が千早に怒鳴ることさえも見たことはない。驚きも当然だった。
「智ちゃん・・・」
 しかし千早は、そんな周囲の喧騒も聞こえてない様子で、ただ胸に手を当てて立ち尽くしていた。

 早足で歩きながら、智は必死に気を落ち着けていた。
 ・・・危うく『衝動』に飲み込まれるところだった。千早は無防備すぎて困る。
 彼女の自分への感覚は、きっと10年前から変わっていないのだろう。
 お互いに、もう子供ではないのに。
 しかし、それが言い訳でしかないことも分かっている。自分の身体が『こんなこと』
 にならなければ、千早との子供じみた幼馴染関係を今も容認していたはずだから。
 たとえ身体が成長して大人になっても、ずっと変わらない関係でいたはずだから。
 だから、思春期という時にさえ切れず、10年間ずっと続いている千早との幼馴染という関係を
 半ば神聖視している智にとって、彼女に性的な欲望を持ってしまう現状は辛い。
 そして、それを隠すためとはいえ冷たく当たってしまうことが辛い。
 それでも、なってしまった以上は仕方ない。それに、その衝動を抑えるための部活だ。
 それとて智にとっては本意ではないのだが。

 

 文化部棟の最奥、空き教室がいくつか並ぶ薄暗い領域。出る、と噂されるその場所には、
 好んで足を踏み入れるものは居ない。
 その数少ない例外の一人である智は、ある一つの教室に足を踏み入れた。
 カーテンが外光を完全に遮断し、蛍のような仄かな発光体のみが照らす薄い室内。
 本棚には怪しい本が、カートには怪しい薬品が、壁には怪しい貼り紙が、
 棚の上には怪しいぬいぐるみ(?)が置かれている。全て、この部屋の主の趣味だ。
「先輩、来てる? ・・・来てるみたいだな」
 部屋の中央、六紡星の真ん中にちょこんと座る無表情な人影が一つ。来訪者に気づいて
 立ち上がったそれは、呼び名の通り智の上級生だった。
 神川藍香(かみかわ あいか)。制服の上からでも分かる凹凸のはっきりしたスタイルが
 目を引く、腰までの艶やかな長い黒髪の美少女。
 しかし、薄くしか開かれていない瞳と無表情が、彼女を『女』というより人形のように見せていた。
「・・・・・・」
「え、今日も来てくれて嬉しいって? ははっ、ありがとな」
 しかし、今は嬉しいという気持ちらしく、ゆっくりと智に駆け寄っていく。
 一見無表情のままであり、話し声も全く聞こえないのだが、智には分かるようで、
 こちらは目に見えて分かる笑顔を浮かべていた。
 しかし、その笑顔もすぐにぎこちないものになってしまう。智にとって、これからすることを
 考えればそれも仕方ない。
 もう幾度も経験していることとはいえ、慣れるものではないのだ。
「じゃあ・・・。先輩、今日も・・・」
 搾り出すように智が告げると、藍香は皆まで聞かずに部屋の中央まで下がり、智もそれに続く。
 六紡星の真ん中で見つめあうこと暫し。藍香が自らの制服に手をかけた。
 リボンを解き胸元を緩め、横にずらして肩を露出させる。
 薄暗い部屋でも分かるほどに頬を染めているが、それでも手の動きに躊躇いはない。
 逆に智の方が照れて、必死に目を逸らそうとしているが、緩められた制服から僅かにのぞく
 胸の谷間や露出した細やかな肩に視線が行くのは避けられないでいた。
「・・・・・・」
「えっ、さあどうぞって? ・・・うん。分かったよ」
(先輩は俺の為にここまでしてくれてるんだ。ヘタレてないで、覚悟を決めろ!)
 自身を叱咤し、智は藍香の肩に手を置いた。そして、少しずつ顔を近づけていく。
 藍香は耐えるように目を瞑っていた。
(やっぱり綺麗だよな、先輩は・・・。オカルトが趣味でちょっと掴み所がないところもあるけど、
 優しい人だし。スタイルもいいし)
 つい、視線が下がった。至近距離にいるためか、胸の谷間を真上から見下ろす形になっていた。
 その豊か過ぎる双丘に智は一瞬我を忘れるが、ぐっと堪えると、気持ちを落ち着かせるために
 軽く藍香の首筋を撫で上げる。
「・・・! ぅぁぅ・・・」
 ピクンッ、と藍香がくすぐったげに身を捩るが、彼女がこうされるのが好きなのを
 知っている智は、暫くそれを続ける。
 徐々に藍香から力が抜け、智に身を預けてきた。
 今度こそはと気を取り直すと、改めて藍香の顔へ自分のそれを近づけていき・・・・・・。

 

    ・・
 藍香の首筋に、がぶりっと噛み付いた。

 キスでなく、甘噛みでもない。しっかりと歯を立てていた。鋭く穿たれたその場所には血が滲み、
 ゆっくりと垂れ落ちる。
 智は藍香の首から顔を離すと、その流れる血を舌で丹念に舐め取り始めた。
 ピチャピチャと、卑猥な音が木霊する。静まり返った部室にその音はやけに大きく響いた。
「・・・ぁぁ・・・ぅん・・・!」
 何かに耐えるように身体をぎゅっと強張らせる藍香。その口からは、滅多に聞くことの出来ない
 であろう大きい音量で(と言っても彼女にとって、だが)
 甘い喘ぎが漏れている。
 だが、その原因である当の智は、熱に浮かされたような虚ろな瞳で、
 一心不乱に藍香の首筋を嘗め回している。
 皿に付いた生クリームを舐めるような、浅ましくも執拗な愛撫を繰り返す。
 唾液でべたべたになったそこは、既に血も止まっていた。しかし智は止まらない。
 更なるご馳走を求めるように智の舌が藍香の鎖骨まで伸び、藍香の身体の強張りが増し―――

 智の瞳に、意思の光が宿る。すぐに自身のしていることを認識して後ろに飛び退くと、
 力が抜けたように座り込んだ。
 立てないほどの精神的な負担がのしかかる中、痛いほどに自己主張する下半身の痛みが、
 更に自身を疲労させるのを感じる。
(この『衝動』はヤバい・・・。身を任せるのが気持ちよすぎて、段々抑えが
 効かなくなってる・・・。それでも・・・)

 ――血を飲まなければ治まらない。

 そう。智は今、血を吸わなくては生きていけない身体になっている。言うなれば、吸血鬼だった。


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