作られた命 第4回
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今日もいつもどうりの食事と報告を終え、
ベッドに腰掛け本を読んでいる。
最近の本はあまり面白くない。
私の今までの知識を
少し応用したくらいの内容しか書いてないからだ。
この本にも私が知りたいことは載っていないのだろう。
そう思い始めた頃に声が聞こえた。
この声が食後の時間以外に聞こえてくるのは初めてだ。
「T、今日は少し実験をする。
今お前のところに一人の人間が向かっている。
会話したいことがあったら好きなようにしたらいい。」
それだけ言うと声は途絶えた。

こちらの返事を待たずに消えるのは失礼だと思ったが
今はそんなことどうでもよかった。
重要なことは今からここにヒトがくること。
つまり、
自身とここにやってくるヒトを直接見比べれるのだ。
先程の声はヒトとの会話も了承していた。
これほど条件が揃えば
私の疑問が解決するかもしれないのだ。
私はヒトなのか、そうでないのか。
私は生物なのか、そうでないのか。
真っ白な壁に切れ目が入り、徐々に開いていく。
私ははやる気持ちを抑え、その光景を凝視する。
贅沢をいえば「女」が来てくれると比較しやすい。

壁が開ききり、薄暗い空間からヒトが入ってきた。
頭のてっぺんからつま先までなめ回すように視線を動かす。
体格等で「男」だと予想する。
初対面の相手をじろじろ見るのは無礼だろうが、
ここだけは大目にみてもらいたい。
予備知識はあるが気分は正に未知との遭遇だ。
私の好奇心が身体の中で暴れているのは仕方ない。
見つめるだけで我慢しているだけ上出来なほうだと思う。
「はじめまして、俺は源 郷護っていいます。」
日本語でくるなら日本語で返すのが礼儀だろう。
「はじめまして、私の名前は…」
私の名前は…なんなんだろう。

くそっ!
私の名前はなんなんだ?
自己紹介はコミュニケーションの第一歩なのに!
それすら出来ないと思われては最悪だ。
対人関係で相手に見下されては有益な情報は得られない。
大丈夫、落ち着いて考えよう。思考速度には自信がある。
名前を言うのに1,2秒のタイムラグなら問題ないだろう。
そういえばいつも聞こえてくる声にはTと呼ばれている。
私の名前はTでいいのか?
しかしTってヒトの名前としてどうなんだ?
いや、私はヒトじゃないかもしれないんだ。
でもだ、仮に私が相手の立場だったとしたら?

私が自分の名前を言って、相手が
「私の名前はHです」
と言ってきたら?
うん。
少なくとも私はそんな奴と真面目に会話しようとは思わない。
なら話は簡単だ。
本名が駄目なら偽名を使えばいい。
相手は日本人らしいので日本人の名前が妥当だろう。
たしか少し前に日本人の書いた本を読んだ。
著者は…福沢諭吉だったな。
よし、諭吉から名前を借りて雪奈でいこう。
「はじめまして、私の名前は…福沢雪奈です」
……あれ?
男の表情ががらっと変わった。
表情の変化は感情の変化を表すらしいが、
ヒトを初めて見る私には表情は読めない。

まぁいい、男がどう思ってようが私には関係ない。
とにかく自己紹介は終わったのだ。
対人コミュニケーションは初めてだが、
私には今までに得た知識という武器がある。
男がなんと言ってこようと対応し、会話を誘導して
私の疑問を解決する方向に持っていく自身はある。
郷護と名乗った男の口が動く。
「Tと呼ばれるのは不愉快だったかな?」
……やられた。
何故か知らないが私がTと呼ばれているのをこの男は知っている。
全く予想外の展開に私の自信はいとも簡単に崩れさっていった。

自信が崩れただけならまだいい。
問題はさっきまで私が考えてたことの滑稽さだ。
私はなんて馬鹿なことをしてたのだろうか!
とっくに本名を知られてる相手に必死で自己紹介をしていた。
しかも偽名を使うという始末。
何が福沢雪奈だ!阿呆にもほどがある。
情けなくて今にも逃げ出したい。
…あぁ、そうか。
これが「恥ずかしい」という感情なんだな。
うん。記憶した。
こんな感情、二度と持つわけにはいかない。
だいたいこんなのはいつもの私ではない。
初めてヒトを前にして興奮気味。
少し落ち着かなくては。冷静に、無感情に、だ。


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