クロックワーク・ホイールズ(仮) MAIN 第3回
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【マリア】

私の生まれは大国エレハイムと、大陸一番の軍事強国として知られる神聖帝国ジェラールに
はさまれた弱小国の寂れた農村。
有能な指導者に恵まれなかった私の祖国、ストラドリアは周辺の強国や古くからの同盟国である
エレハイムのご機嫌取りに必死だった。
年に数回送られる貢物。時には村の若い娘が連れて行かれるときもあった。
そんな恵まれないこの村で、私みたいな娘がここまで育つことが出来たのは僥倖といえるだろう。
何しろこの国は、同盟国とはいっても事実上はエレハイムの傘下なのだから。
しかし数年前、長い間そのエレハイムで人質生活を送っていた王子様が帰郷した。

風の噂では光の御子と噂されるほど美しく、聡明で偉大なるお方であるらしいのだけれど…
小さな国でも首都から程遠い村娘の私には縁遠いものだった。

王子様は帰郷してすぐ、先代の王からその地位を譲られた。
無能な先王は、エレハイムで幼少を過ごした若く有望な王子にすべてを託した。
新王アシュレイ=アシュルード=ストラドリア様はすぐさまその手腕を発揮した。

丼勘定の財政を一気に引き絞り、為政と切り離されていた軍部との統合も果たした。
アシュレイ王は政治的実権と軍事行使権の両方を一手に担ったことになる。
詳しいことはわからないけれど、このやり方はエレハイムの最新式であるらしかった。

伝統ばかりを重んじて、古い盟約に縛られていたストラドリアにも時代の風が吹いた。
予算収縮で余った備蓄を、なんとアシュレイ王は国民に還元した。
長い間辛い生活をさせた。
そう自筆の謝罪文を、こんな田舎の家庭にまでも一つ一つ添えて。
そんな素晴らしい王様でも、税を一気に引き落とすことはできなかった。
それでも私に色目を使う官吏たちがやってこなくなって、密かに王様に感謝していた。

先王と新王アシュレイ様のやり方の違いは、軍備に対する比重らしい。
これも長い間中央の学府で先生をしていたという老人から聞いた話なのだけれど、
エレハイムとジュラール帝国についで大陸の覇権争いに興味が無かった小国までも
天下布武を唱えるこの時代。
僅かでもアシュレイ様は自衛の策として軍事拡張をおこなっているらしかった。

良かれとやったこと。
しかしそれが裏目に出るなんて、神様だって思わなかったはずだ。

まさか、こんな小さな国に、お隣の帝国が侵攻してくるなんて。
帝国領寄りのこの農村。
宣戦布告も無いままに白馬を従えて侵略してきた帝国に、村の男達は義勇軍として
ストラドリア王軍に参加した。
それでも戦力差は圧倒的だった。
最新式の大砲に、練度の高い騎兵達。帝国だけが採用した竜騎兵ドラグーン部隊。
即席の軍隊が叶うはずが無かった。
私の村が戦場になることはわかったけれど、すぐ先の峠が帝国の進行を食い止める
最終防衛ラインだったみたい。
アシュレイ王はすぐさま人質時代をすごし、古き同盟国であるエレハイムに援軍を頼んだけれど、
間に合わずに結果総崩れ。

唯一の肉親であった父も斧を持って参加したラカーン峠の戦いは、王軍総崩れにもかかわらず
義勇軍として参加した村人達はほぼ無傷で帰還した。

―――――私の、父を除いて。

 

戦いに参加した男達は一様に言った。
すべては殿軍を務めて最後まで帝国の牙を受け止めてくれたアシュレイ王のお陰だと。

でも父を失った私は、王を憎んだ。
どうして偉大で聡明な王が、父一人助けられないの?…

周囲の人たちは私を哀れんで引き取ろうとしてくれたが、すべて断った。
幼いころに亡くなった母と、今はもういない父。
ぬくもりが残ったこの家を棄てるなんて私には出来なかったからだ。

一人家で枕を濡らしていると、ストラドリアの早馬が村にやってきた。
知らせた内容は、王の戦死。

悲しみと怒り、両方が混ざったような感情を抱いた。
憎い王、それでも最後は何とかしてくれる気がした。
でも、希望は潰えた。
この情報を帝国がかぎつければ、すぐさま戦場に一番近いこの村を占領して、
王の死体を捜しに行くだろう。
愚かな殺し合いの中の、瑣末な武功を求めて。

私は、もうどうでもよくなった。
いっそその崖下の激流に身を任せて死のうと思った。

でも、死ねなかった。
水面に両親の笑顔が映ったから。
こっちに来てはだめ。
そう優しく告げているような気がして…

空虚な気持ちで激流を眺めながら川辺を歩いていた私は、森の奥に少し入ったせせらぎで
一つの影を見つけた。
直感的な気持ちに囚われて走り寄ってみると、そこにはボロボロの鎧を纏った男の人が倒れていた。
下半身を柔らかいせせらぎの流れに任せ、産草の生える地面にうつぶせになるようにして。

角が折れた兜を剥がし、顔を覆っていた灰色の髪を除けてみる。

とても、とても綺麗な男の人だった。
農作業で日に焼けた村の男とは違う。
染み一つ無い透き通る肌。
彫刻品を思わせるほど整った面立ち。
思わず食い入るように見つめている自分に気がついて、頬が熱くなった。

騎士…だろうか。
それにしては動きにくそうな鎧を着ている。
あちこちに金の糸で刺繍のなされたマント、そして胸の辺りにはストラドリアの紋章が刻まれた
白銀のプレート。
今まで気づかなかったが、背中には三本の矢が刺さっていた。

そこで急に冷静さを取り戻した。
川を長く流されてきたのだろうか。
この人は、息をしていない。
パニックに陥りかけたとき、一つの手段が浮かんだ。
土木作業中に危険な目にあったときの応急措置の一つ、人口呼吸だ。

 

瞬間、熱を持った頬が一気に沸騰する。
まともな思考が働かない。
思わず頬を押さえてぶんぶんと顔を振ってみる。

ひ、人助けとはいえ、み、見知らぬ人と…
くくくくく、唇を合わせるなんて!!

でも、周りを見渡しても人の気配は無い。
ここは洗濯をする下流とも、釣りをする中流とも離れている。
誰かが来る望みは薄い。
なら…

がんばるのよ、マリア。

何故か天国の母の声が聞えた。

自分でやるしかない…!!
恥ずかしさで理性を失った脳に、これは人助け、人助け、と何度も唱える。
馴れないながらも、何度も、何度も口付けた。
あぁなんて柔らかい唇。このまま溶けて行きそう…と脱線しかける思考をこれは人命救助、
人命救助なのよ!!と言い聞かせるように押さえつけて。

しばらく続けると、その人は咳き込んで水を吐き出した。
やった…!!
もうおかしくなりそうなほどの恥ずかしさのなか、私は小さくガッツポーズをした。
そしてこの人を村に運ぶため、いったん戻ろうとして…

何故かそうするのがいいような気がして、その人の鎧を脱がして茂みに隠した。
あちこち壊れていた鎧は、素人でも簡単に脱がすことが出来た。
薄い帷子一つしかつけていないその人の体は、酷く官能的だったけれど、
男の人に手伝ってもらって村に運び込んだ。
彼は自然と私の家に運び込まれた。
小さな村で空いているベッドがあるのは、家だけ。
父のベッドに寝かされ、程なく熱を出したその人は、時折瞼を震わせてうなされている。
長い睫毛のその奥。
どんな色の瞳が待っているのか、私はそんな不謹慎なことを思いながら看病をした。
ずっと傍に控えて、体をタオルで拭いたり、包帯を替えた。
そのたびに見た裸体だが、絹のような肌に程よく引き締まった筋肉。
そこへ十字に走った生々しい傷跡は、痛ましいけどどこか色っぽい。
熱くなる頬に看病看病と呟きながら作業する私に、見守る人たちは不思議な顔をしていた。

 

数日後、熱もすっかり引いたその人はようやく目を覚ました。
体は快調な様子。
パッチリと開かれた瞳は、鮮やかなレイクブルーだった。
見たこともないほど綺麗な色。
私の空色の瞳と較べると天地ほどの差がある。
思わず吸い込まれそうになった。

でも、驚いたみたいに周囲を見渡す彼に、記憶という光は無かった。
どこからやってきたのか、自分がなぜあそこに倒れていたのか、果ては自分の名前さえも
覚えていなかった。
強いショックと高熱による記憶喪失であろう、と薬師様はおっしゃった。
そして綺麗な瞳を悲しみに揺らしている彼を見て、私は引き取りたいと名乗り出た。
若い女が見知らぬ男を引き取る。
周囲の人は心配したが、家族のない私の心中を察してか、最後にはみんな納得してくれた。

強い私の決心に、その人は済まなそうに礼を言った。
見ての通り、誠実で優しそうな顔。
私はその人に呼びかけようとして…名前が無いことに気がついた。
しばらく視線を彼にさまよわせていると、光に煌いて表情を変える灰色の髪が目に留まる。
直感的に思いついた。
この人にはこの名前が似合う。いや、この名前しかない。

『アッシュ…アッシュなんてどうかな?髪の毛の色と一緒だよ!!
 でも私より年上だから、アッシュお兄ちゃん…そう呼んでいいかな?』

髪の色を見て思いついた名前、そんな些細なことにはしゃぐ私を見て、彼は優しく微笑んだ。
どくん…と胸の奥が熱くなる。

『アッシュか…どこか懐かしい響きがする…よろしくな…マリア』

こうして二人の生活は始まった。
本当の家族みたいな生活だ。
私は彼をアッシュお兄ちゃんと呼び、彼はマリアと答えてくれる。
嬉しい。
父と暮らす毎日とは違う幸せが、ここにある。
食卓を囲み、今日の出来事で他愛も無く笑いあう。
お兄ちゃんはなれない農作業に戸惑っていたけれど、持ち前の器用さで乗り切っていた。
そんな生活が、いとおしい。

でも、時折私は不安になった。
夜半、お兄ちゃんはうなされたように寝言で誰かの名前を呟くから。

『ソ、フィ…』

女の人の名前だ。直感的にそう感じた。
今まで胸の奥で身を震わせていた幸福が、嫉妬の炎で焦げ付くのを感じる。
胸が苦しい。黒い濁流が押し寄せてくるように苦しい。

だからお兄ちゃんがうなされるたびに、私は髪を撫でてやりながら、こう呟く。

 

 

「何も思いださなくていいの。辛いことは、忘れてしまえばいいの。
 どんな苦しみも、悲しみも。私の傍にいれば消えてしまうから。
 ずっと、ずっと私の傍で、私だけを…」

初めてお兄ちゃんがうなされた日、私はあの時茂みに隠した鎧をばらばらにして川に流した。
お兄ちゃんを悩ませる苦しみが、こうやって流れてしまえばいいのにと思いながら。

流れていく鎧を見ていると、胸が透くような感じがした。
これでお兄ちゃんはずっと私の傍にいてくれる…
私は幸せに胸を振るわせた。

戦争も、ストラドリアも、王様も関係ない。
お兄ちゃんが傍にいてくれればそれでいい。
蜂蜜みたいな笑顔に、溺れて生きたい。
どんな濁流に流されても、その甘さだけは忘れない。
体が溶け落ちそうな幸せを、やっと手に入れたのだから。

だからこの幸福はずっと続いていくと思っていた。

…数ヵ月後に流した鎧を発見したエレハイムの特務部隊と、
周囲を偵察中の帝国騎士が村を訪れるまでは。


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