クロックワーク・ホイールズ(仮) MAIN 第1回
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記憶の彼方に埋もれてしまった遠い約束。
いつか湖のほとりで誓ったひとつの約束。

お前は覚えているだろうか。
時の流れは速すぎて、いつしか二人は離れ離れになってしまった。
成人と共に祖国へ帰ったお前は、いまやストラドリアを立ち直らせた賢君として君臨している。
わたしが手紙を書けば必ず返事を返すが、お前から手紙が送られてきたことはあるだろうか。
わたしの記憶している限り、ない。

最後に交わした言葉は何だっただろうか。
お前は別れの日も何時もの表情を崩さなかったな。
その達観した瞳。
ようやく齢がお前に追いついたころだろうか。
普段は、お前がわたしの後ろをついてきたのに・・・
あの日だけは、女々しくお前の背を見つめて一人咽び泣くことしかできなかったわたし。

確かに、この胸にお前は生きている。
だから、信じられないのだ。

この報せが、真実であるなんて・・・!!

「なんだと!!??」

ぴんと張り詰めた空気の謁見の間に大声が響き渡った。
声の発生源は玉座の脇。
いまや引退したエレハイム王ラメセスの後を継いで、昨年即位した女王ソフィアのものであった。

報告した使者、文官武官、彼女の父であるラメセスでさえ滅多に見せることのない
ソフィアの剣幕に驚愕を隠せない。

 

一流の仕立て、豪華な刺繍と王家の紋が金で施された流麗なドレス。
それを身に纏い、堂々と鎮座しているはずのソフィアは普段の無表情を大きな瞳があふれそうなほど
見開いて破壊した。
そして同時に破壊したの場の空気。
もともと荘厳な雰囲気の謁見の間には、氷のような殺気が一瞬にして張り詰めた。
その場に存在するすべての生命が肌に感じる危険。
それを発しているのは、間違いなく女王であるソフィアであった。
今でこそ正装しているが、彼女は大陸全土に名が轟くほどの名君として、そして戦をすれば
常勝無敗の名軍師であった。
時折自分で剣を握れば、誰も彼女が通り過ぎた後に立つことは敵わず、ただ敗者として地面に伏す。

そんな彼女が驚愕によって発した殺気は、周囲の人間を萎縮させて当然であった。
だが、彼女を取り巻く人間の中にも、深くソフィアの心中を察するものがいた。
仕方ない。だが、認められない。
そう思う女王の態度は、至極当然のことであった。

「あいつが・・・あいつが・・・死んだだと・・・?戯言を申すな!!」

今にも目前でひれ伏す使者に掴みかからんとする勢いで女王が怒鳴る。
ここで帯剣していたならば迷わず抜き放ち、使者の頸を切断していてもおかしくはなかった。
女王は固く拳を握り締め、神の芸術品といっていいほど整った面立ちを
深い感情のざわめきに揺らしていた。
数年前、新たな人質と交換に祖国へ帰還したストラドリアの王子アシュレイ=アシュルード。
エレハイムで少年時代をすごし、聡明で勇猛な男に育ったはずのアシュレイ。

「し、真実でございます。突如ストラドリアの国境付近に侵攻を開始した帝国との戦闘に
 自ら参加なされた閣下は、善戦虚しく圧倒的な戦力差の下に敗北。
 自軍を敗走させるために殿軍を務められ、背に矢を三本受けた状態で崖下に転落。
 死体は確認されておりませんがおそらくは・・・」

煮えるような怒りを宿していた女王から、熱が引いていく。
あまりに現実味にあふれる回答から、さすがの激昂もすぐさま蒼白に入れ替わった。
急に色を失った女王の表情に、使者も最後まで言葉を告げずただひたすらに唇をかみ締めていた。

ぴんと張り詰めた空気は、気づけば絶望の濃淡に塗りつぶされ、
そこにいる誰もがストラドリアの若き賢君の生存を諦めていた。
旧く彼を知る者たちは自らの行いを振り返り、なんともいえない顔つきをする。
当時は弱小国の王子が大国の姫に気に入られ、二人の仲に嫉妬していた者たちも
女王の凄絶な表情に言葉を失っている。

「女王様・・・こちらへどうぞ」

呆然と何もない空間を見詰める女王に、控えていた侍女が静かに歩み寄る。
先王ラメセスに一礼して、心とアシュレイの支えを失った女王を抱きしめるように奥へ下がっていった。
心が死んでしまったように、されるがままの女王に周囲のものたちは表情を変えることもためらい、
ただ直立不動のまま時を食いつぶす。

誰もが浮かべる沈痛な表情だけが、印象的であった。

 

 

【ソフィア】

現実すべてが憎い。
このわたしを取り残して去ってしまう、時間の流れが憎い。

一目だけ、夢の中だけでいいからわたしにその姿を抱かせて。

侍女に連れられてから、わたしは時の概念を忘れたように泣き続けた。
いつもなら気丈に構えていられる天蓋つきの大きなベッドも、広い。
夜の帳に包まれて人の息がないこの部屋も、心細い。
いつか宮廷絵師に描かせたアシュレイとわたしの姿。
燃える暖炉の光で仄かに輝くその一枚だけが、わたしの心から孤独という影を払ってくれる。

 

絶望という蟲に食われた、この小さな胸を満たしてくれる。

向日葵のように笑う幼い自分の隣に、どこかはにかんだ微笑のアシュレイ。
手を繋いで薔薇の咲き誇る庭園で笑う二人。

時の岸辺に残された光景。
目を焼く。
じんと、奥が熱くなる。
暖炉がもたらしてくれる熱はこんなに温いのに、心が冷えてわたしを震わせていく。

そのまま自分の体を抱いて、崩れるようにして嗚咽に身を任せた。
感情が壊れてとめどなく零れてくる涙。

止まらない。
止めたくない。

この悲しみが去った後、自分がどういう感情を持つか想像するだけで胸が痛くなる。
悲しみは辛い。
でも忘れ去ってしまうのはもっと辛い。
だからずっとこの悲しみに浸っていよう。

アシュレイが、わたしを励ましてくれるまで。

アシュレイ…、いや、アッシュ…
わたしの言いつけは護っていたか?
誓いは忘れていないか?
誰にもアッシュと呼ばせていないか?
浮かんでは消えていくアッシュとの思い出。
陽光に煌くお前の髪を見て思いついた呼び名。

訓練場で、書斎で、図書館で、庭園で、あの湖畔で…

アッシュの愛した季節の色だけが、当時の輝きのまま胸を照らした。

 

真に強いのはお前だった。
剣が強くとも、戦略に長けようとも、治世が上手かろうと、こうやって悲しみの淵に立ったとき
一人でたつことのできないわたしは弱い。
だが、お前は強かった。

常に孤独にたたされていた。
弱小の同盟国から差し出された幼い人質として、孤独ながらも胸を張っていた。
わたしの背中に追いつこうと、苦手な剣術も勉強した。
そんなアッシュの姿に、間違いなくわたしは恋していた。

だから湖畔であんな誓いを立てたのだろう。
アッシュ。
今のお前は笑うだろうか?
立場の違いを利用して無理矢理押し付けた約束を。
わたしを嘲笑っているか?
自分を叱咤していた生意気な小娘が、まさか強さの意味を履き違えていたなんて。

「うっ…くっ…」

脳裏でアッシュが困ったように微笑むたびに、胸が締め付けられる。
もう打ち止めと思っていた涙も、まだ枯れてはいなかった。

別れの日を覚えているか?
何人もの大使に見守られ、国境の門を何度も振り返っていたアッシュ。
厄介払いができたと安堵する文官たちと、悲しみと怒りを勘違いして腹を立てていたわたし。
それでもずっと考えていたのは、お前に伝えようとしていた一言。

あの時、あの瞬間、機会はいくらでもあったろう。
湖畔で誓いを立てたときも然り、臆病な自分にいまさらながら剣を突き立てたくなる。

十年間も一緒だった。
なのになんで素直にこの気持ちを告げられなかった?
お前は見透かしていたのだろう?
照れ隠しに必死で強がるわたしを。
気づいていたのだろう?
剣という鎧に身を纏ったわたしの、脆くて華奢な心の芯を。

 

お前がいなくなってから、わたしは政治と軍事に没頭して行った。
幼いころにつけた知識と、父の為政を見て培った経験。
すべてでこのエレハイムを練り上げた。
女王になった後も婿を取って身を落ち着けよ、という父の薦めもすべて跳ね除けた。
宮中のものたちは色に興味を持たず、ひたすら職務に身を置いた自分を見てさぞ嘆いたことだろう。
だが、お前ならきっとわたしを受け入れてくれると信じていた。

 

それに、約束したではないか。

あの湖畔で、お前は自分から口付けてくれたではないか。
その瑞々しい感触。
夕焼けに溶けていく遠い約束の味。

胸の柔らかい部分を熱くさせる、埋もれていた気持ち。

それを思い出そうと、唇に指先を走らせていると萎えた心に火が灯るのを感じた。

気づけば涙は引いていた。
胸を満たすのはいつか感じた根拠のない勇気。

約束が力をくれた。
わたしの中でお前はまだ生きているではないか。
ならその生に、全力で報いよう。
外の世界では死んでしまっているお前に、我がすべての命を以って鎮魂歌を奏でよう。

 

「…おるか」

「…はっ、ここに」

立ち上がって冷静な低い声で告げると、暖炉のつけた陰影が起き上がるように人の形になる。
闇から生まれた一つの影は、暗闇から響いているとは思えないほど若さに満ちた女の声。

「彼奴の国を襲ったのは帝国の手で間違いはないな?」

「左様でございます。国境付近に走らせた影数人から帝国のものと思われる馬蹄の痕跡を
確認しております」

「…帝国の情報を集めろ。アシュレイを手にかけたというものを探せ。
 四将軍を議場に集めろ。そして死霊騎士団長ガボールには直接わたしの所へ来るように伝えよ」

怒りと悲しみが混ざり合った口調。

その相反し、もっとも近い感情が時を掛けて溶けゆくと、一つに境地にたどり着く。

それは、地獄をも灰燼に帰す焼夷の炎。

“復讐心”

「帝国に宣戦布告せよ。鏖だ。鼠の一匹たりとも逃すな。
 女は犯せ、男は殺せ、家と燃やし畜は奪え、豚は喰らえ、馬は焼き鏝を尻に突っ込んで放て。
 水は汚せ、空は赤く染めろ」

「御意」

アッシュよ。わたしはあの約束を忘れてはいないぞ。
これから手土産をたくさん持ってお前のところへ向かおう。
死神と、髑髏の馬列と共に。
だからたっぷりとわたしを愛しておくれ。
あの時告げられなかった気持ちはちゃんと言うから。

お前がいない無価値なこの世界を、黒で塗りつぶした後に。


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