無題 第1回
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「ずるい、ずるいよ」
「どうして?」
「どうしてそんな事をするの」
「意味がわからない。姉さんの言葉には具体性が無い」
「あの人に……あの人に……」
「私はあの人に好意を告げた。姉さんが言いたいのはその事?」
「どうして、どうして」
「姉さんもあの人に好意を告げた、それのどこが悪いの?」
「違う、違うの」
「私と姉さんの何が違うの?どこが違うの?」
「私は悪くない、悪いのはあなた」
「それは何故?」
「だってあの人は私の恋人なのよ」
「私はあの人に好意を伝えただけ、私は悪くない」
「あの人は私の物」
「あの人は物じゃない。自分で考えて、自分で行動する」
「あの人は私が好き」
「それはあの人の自由、あの人が自分で考えて決める事」
「違うよ、私の事好きだって言ってくれた」
「姉さんの事を好きになるのもあの人の自由、私の事を好きになるのもあの人の自由」
「違う、あの人は私を好きでいる」
「あの人はきっと私が好きになる、私には確信がある」
「違う、あの人は私を好きでなくちゃいけない」
「そう。姉さんがそう考えているからこそ、私には自信と確信がある」
「違う、私の方があの人の事が好き」
「違う、私の方があの人の事が好き」
「違う、私の方があの人の事が好き」
「やめて、これ以上は不毛」

「私の方があの人の事が好き、あなたよりも」
「それは何故?」
「私はあの人が好きだから」
「それは何故?」
「好きになるのに理由なんていらないよ」
「そう、好きになるのに理由はいらない。それはあの人にとっても同じ事」
「だからあの人も私が好き」
「否定はしない、だけどあの人が私を好きになるのにも理由はいらない」
「そんなのない、絶対にない」
「ありえない事ではない、理由が無いのだから。そして嫌いになるのには理由が必要」
「どうゆう事?」
「姉さんは頭が悪い、鈍くさい、いつも誰かに迷惑を掛けている」
「そんな事ない」
「そして何より思い込みが激しい。不変の心なんてありえない」
「あの人は私の事が好き、それだけは変わらない」
「それは姉さんの思い込み。いずれあの人は私の事を好きになる」
「そんな事はない」
「それは何故?」
「あの人は私の事が好き」
「説明になっていない」
「あの人は私の事が好き」
「やめて、これ以上は不毛」
「どうしてあの人なの?」
「わからない、理由が見つからない。だけど理由を見つける必要性を感じない」
「どうして私の恋人なの?」
「わからない、理由が見つからない。だけど理由を見つける必要性を感じない」
「どうして私の事が好きなあの人なの?」
「やめて、これ以上は不毛」
「私はあの人の事が好き、だからあの人も私の事が好き」
「姉さんはあの人の事が好き、だけどあの人も姉さんの事が好きだとは限らない」
「違う、あの人は私の事が好き」
「理由になってない、説明になってない、姉さんには進歩が無い」
「好きだって言ってくれた」
「いずれ私に言う事になる」
「違う、あの人はあなたなんて好きにならない」
「それは何故?」
「私の方があの人の事が好きだから」
「説明になってない。そして私の方があの人の事が好き」
「違う、私の方があの人の事が好き」
「もういい、これ以上の会話は不毛」
「あなたにはあの人は渡さない」
「あの人は物じゃない」
「渡さない、あなたなんかには絶対に」
「渡してもらう必要は無い。奪い取るから」

いつも私から奪い去って行く。
頭が良くて、美しくて、いつも冷静な妹が産まれてからだ。
お父さんもお母さんも、私の事を忘れてしまった。
学校でも私はあいつの姉としか認識されなかった。
あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、
あいつの姉……
私には私の名前がある、だけどそれを認識してくれる人は居なかった。
あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、あいつの姉、
あいつの姉……
いつもそうだ、私は確かにあいつの姉、だけど私には私だけの名前がある。
それを呼んでくれる人は誰も居ない。
……あの人が現れるまでは。
あの人は私を私の名前で呼んでくれた。
それだけ、たったそれだけ、だけどそれが嬉しかった。
だけど……あなたはそれさえも奪う気なの?
あなたなんて……あなたなんて……
……あなたなんて……産まれてこなければ良かったのに……

いつも姉さんは泣いてばかりだった。
泣いてばかりで何もしない、嘆いてばかりで何もしない。
いつも私は姉さんの尻拭いばかりをしていた。
妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから……
無駄な労力、不毛な労力、どうして私ばかりが。
それでもある日、転機が訪れた。
姉さんの世話をしたがる奇特な男性が現れて、姉さんは溶けたアイスクリームの様に
ふやけた顔でそれを報告してきた。
それ自体は良い事だと思った。
今まで姉さんのために費やしてきた無駄で不毛な労力が無くなるのだ、
こんなにも素晴らしい事は無いと思った。
その認識が変わったのはついこの間、あの人が私の事を『妹』と呼称したから。
妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから、妹だから……
何度訂正を要求しただろうか?
何度不毛な議論を繰り返しただろうか?
覚えていないのは夢中になっていたから。
無駄な事は嫌い、不毛な事は嫌い、そんな私が何度同じ行動を繰り返しただろうか?
覚えていないのは、知らず知らずの内に夢中になっていたから。
私が何かに夢中になった記憶は無かった、こんなにも楽しかった記憶も無かった。
そして私はもっと長くこの時間が続くことを望んだ。
何の魅力も無く、何のとりえも無い姉さんよりも、私があの人にふさわしい。
いつも自分から行動を起こさず、いつも嘆いてばかり、自分からあの人の想いを掴もうともしない。
あなたなんて……あなたなんて……
……あなたなんて……産まれてこなければ良かったのに……


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