夕焼けの徒花 第5回
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 どんなに気が重かろうと、平日である以上学校へは行かなければならない。
 思い出すのは昨日の破局。結局俺は部屋の空気に耐えられず、逃げるように先輩の家を出た。
 そう、自分で選んだ別れだ。こうなることは納得ずくだったはずなのに・・・。

(慣れて・・・甘んじてたってことだよな。先輩と恋人同士でいることに)

 先輩との縁自体が切れたわけじゃない。でも、毎日のように昼休みを一緒に過ごしたり、
 一緒に帰ったり、休みの日には欠かさず共に過ごすということはもうない。思えばこの一ヶ月、
 先輩と顔を合わせなかった日は一度だって無かった。
 ここからまた一ヶ月も経てば、思い出も埋もれてこの気持ちも晴れるのだろうか。

 ともすれば暗い雰囲気が表面化しそうになるのを抑えて、いつも通り教室に入り、
 クラスメートに適当に声を掛けながら自分の席へ向かう。友人づきあいは浅く狭いので、
 別に誰かが寄ってくることもない。

(・・・いや、一人いたな。あ、見つかった。やっぱり来るのか・・・)

 今はぼんやりと物思いにふけっていたい気分だったのだが、それも断念せざるを得ないらしい。

「おはよう、皓一! あら、今日は辛気臭い顔をしてるのね」

 肩くらいまでのショートカットをなびかせる、見るからに活発そうな印象の少女が
 俺を見下ろしていた。
 倉地唯(くらち ゆい)。中学の頃からの俺の知り合い。何かと俺に絡んでくるヤツだが、
 それはあくまで俺の主観だ。
 倉地は男女問わず誰にでも明るく接する性格で、それはクラスでもあまり目立たない俺も
 例外ではない。
 だから、俺にとっては倉地は話す頻度の高い相手だが、倉地にとっては大勢の友人の
 一人でしかないと思う。
 ・・・のだが。

「別に・・・そんなことはないだろ? 俺が暗いのはいつものことだ」
「そう? まあ確かにそうだけど。・・・何となく、いつもと違う感じがするのよね。
 何ていうか、単に暗いってだけじゃなくて、こう・・・ダークなオーラを背負ってるっていうか。
 もしかして、二条先輩とケンカでもした? まさか別れちゃったとか?」
「・・・!!」

 

 自分で言って少し虚しくなったのはさておき。余計なお世話だと思ったのもさておき。

 やっぱりバレた。なぜか倉地には、俺のその日の気分が簡単にバレる。気分がいい時、
 怒ってる時、疲れてる時・・・全て見抜いてしまう。
 クラスでの倉地を見る限りでは、周りへの気遣いは上手いが、特別勘が鋭いという印象は
 受けないのだが。人は見かけによらないということか。
 だから今日も、いくら気を張っても、彼女には気が沈んでいることがバレるのではないかと
 思っていた。
 しかし、先輩のことまで見抜かれるとは思ってなかったので、俺はあからさまに動揺してしまった。
 これで気づかない奴はいないだろう。はっとして周りを見渡すが、俺たちの会話を
 聞いている生徒はいなかった。
 ほっ、と軽く息を付くと、気を取り直して倉地に向き直った。当の倉地は、目を見開いて
 口をポカンと開けている。どうやら先輩のことは
 あてずっぽうだったらしい。

 こんな間抜け面を、倉地のことが好きな男子たちが見たらどう思うかなーなどと他人事のように
 考えていると、倉地が詰め寄ってきていた。
 くわっ、という擬音が聞こえそうなほどに、見開いた目を更に大きくして俺を睨みつける。
 正に百年の恋も冷めるような形相だ。

「・・・嘘? 本当? ホントに? マジなの?  ほんっっっっっとうに!? 冗談じゃなく!?」

 段々とヒートアップしていく倉地。俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄って叫ぶその様子に、
 周囲のクラスメートの視線が集まり始める。
 そりゃそうだろう、クラスの人気者の美少女が我を忘れて興奮し、叫んでいるのだから。
 ・・・だが。

「本当にせんぱ」
「!!!」

 咄嗟に倉地の口を塞ぐ。すぐ近くに居たのが幸いした。
 危ない・・・もしあのまま「先輩と別れたの!?」なんてあの音量で叫ばれてみろ、
 少なくとも二年のクラス中に響き渡るだろう。
 月とスッポンのカップルのうえ、毎日のようにべったりしてた俺と先輩だ。
 周りが結構強い関心を抱いていることは俺も知っている。
 実際、付き合い始めた頃の周りの反応は凄いものがあったし。
 そんな俺たちが何の前触れもなく別れたら、今度は周りがどんな反応をするか・・・
 考えただけでも恐ろしい。

 結局すぐに予鈴が鳴って担任がやって来たため、すぐにみんなそれぞれの席へ戻った。
 うやむやになって助かったと、俺は思った。

 ・・・とはいえ、真実を知った相手までは誤魔化せない。放課後、俺は倉地に連れられて
 屋上に来ていた。
 西からの日差しがきついそこは、俺たち以外には誰も居ない。
 HRが終わるや否や、倉地は一緒に帰ろうという友人の誘いをやんわりと断り、
 いつになく真剣な瞳で俺の席へ来た。
 用件は分かっていたが、よく考えれば倉地に先輩とのことを話す筋合いはない。
 だが雰囲気に呑まれたからだろうか、素直についてきてしまった。
 バタン、と重い屋上の扉が閉まり、それに背を預けるようにして倉地が振り向く。
 何故か、逃げ場を断たれたと感じた。

「で・・・本当に別れたの?」

 真剣な瞳はそのままに、朝とは対照的な静かな声。
 真意はともかく、倉地は真面目に聞いている。なら俺も、答えを言うかはともかく、
 それに誠実に応える義務がある。

(どうするかな・・・)

 などど思ってみたものの、答えは既に決まっていた。
 倉地にだけは話そうと思う。コイツには先輩と付き合ってる間も色々相談に乗ってもらっていたし、
(といっても大抵は、『あんたじゃ二条先輩とは釣り合わないって』で締められるのだが・・・)
その以前からも色々世話になっている。
 例えば文化祭などの行事、あまり積極的に人の輪に入らない俺を引っ張ってくれたのは倉地だった。
 親しい友人こそいないが、不自由なくクラスに溶け込みクラスメートともそれなりに仲良く
 やれているのは倉地のお陰といっても過言ではない。
 そんな倉地だから、話してもいいんじゃないかと思うのだ。

 とはいえ、それが言い訳に過ぎないことも分かっている。
 本当は、辛いことを自分の胸だけに抱え込むのが苦しいだけだ。
 誰かに聞いて欲しい、俺は間違ってないといって欲しいのだ。
 ・・・なんて弱い、俺は。
 俺を心配してくれる倉地の好意を逆手に取るような真似をして。それでも俺は、
 倉地に事の顛末を話した。先輩のことも、全て。

「そっかー、ホントに別れちゃったんだ。だから言ったじゃない、釣り合わないって。
 住む世界が違うのよ」

 かねてから自分が言っていた通りになったからか、倉地は上機嫌なうえにいつもより多弁だ。

「高校を中退してアメリカに留学でしょ? それってこんな公立高校にこれ以上通う必要が
 ないってことじゃない。
 本当なら私立のお嬢様学校に行ってるような人よ。実際、二条先輩の家って世界的にも
 結構有名な実業家だし」
「そ、そうなのか? 確かに家も大きいし、お金持ちのお嬢様だとは思ってたけど・・・。
 世界的に、だって?」
「そうよ。ま、皓一のことだから知らないんじゃないかと思ってたけど」
 確かにそこまでは知らなかった。先輩も何も言わなかったし。
「先輩に告白した連中の中には、単に美人の先輩狙いってだけじゃなくて逆玉狙いの男も居たの。
 だからあんた、一部の連中には結構睨まれてたのよ」
「・・・・・・」
「本当に、別れて正解よ。もしあんたも逆玉狙いだったらそういう奴らと戦わなきゃいけない
 だろうけど、そんなんじゃないでしょ?
 第一、そんな大きい財産をどうしようって甲斐性が皓一にあるとは思えないし」

 どさくさに紛れて酷いことも言っているが、倉地の言葉は主に俺の判断を支持するものだった。
 実際、逆玉うんぬんに興味は無い。

「とにかく、これでよかったの。傷が浅いうちでよかったじゃない」
「・・・まあ、そうかもしれないけど。そんなに嬉しそうに言うことはないだろうが」

 何だかんだいっても失恋だ。それも初めての。本気になれる予感のあった恋だ。
 我ながら勝手ではあるが、ショックだったのは間違いないのだ。
 それを察したのか、倉地が慌てたように言葉を紡ぐ。

「ま、まあつまり、よ。人間、身の丈にあった相手が一番いいってこと。
 皓一も早く二条先輩のことは忘れて、新しい出会いを探したほうがいいよ。
 そういうのって、結構身近に転がってたりするものだし」
「簡単に言うなよな・・・。第一、俺の人間関係のどこにそんなのが転がってるんだよ」

 倉地のように交友関係が広い人間ならともかく。倉地だって俺の対人関係の薄さは知ってるだろうに。
 やや不機嫌に言い放つと、なぜか倉地は急に黙り込み、視線を彷徨わせ始めた。
 夕日のせいで顔色ははっきりとは分からないが、もしかして照れているのだろうか?

「倉地?」
「た、例えば・・・今あんたの目の前に居る、可愛い女の子・・・とか、さ」

 俺は思わず目を丸くする。倉地も自分のあまりにあからさまな台詞に照れたのか、
 ばっ、と俯いてしまった。
 そこまで照れるくらいなら言うなよ、という内心の突っ込みと共に、
 俺は思いのほか落ち着いた心で倉地の思いやりを悟っていた。
 俺なんか相手に、冗談だとしても照れてしまうような言葉を言ってまで励まそうと
 してくれているのだ。
 もしかしたら、終始上機嫌かつ多弁だったのも、俺を暗くさせないためだったのかもしれない。
 ならば、俺も元気に振舞って見せないと。せめて倉地の前では。
 そうだ、ついでにこれも。今日話を聞いてくれた、せめてもの礼だ。

「そうだな、それもいいかもな。じゃあさ、これ・・・一緒に行かないか?」

 そう言って、一枚のチケットを差し出す。遊園地のチケットだ。・・・
 明日、休日の土曜に先輩と行くはずだったもの。

「え・・・皓一・・・?」

 戸惑った様子で、倉地は俺とチケットを交互に見る。普段の倉地からは想像も出来ない
 小動物のような仕草がほほえましい。

「全アトラクションのフリーチケット。明日限定なんだけど、一緒に行く相手の都合が
 悪くなってさ。勿体ないけど一人で行ってもつまらないし。
 だから一緒に行かないか? 俺じゃ役不足かもしれないけど、食事を奢るくらいはできるし」

 こんな爽やかなお誘いは俺のキャラじゃない。拒否反応が起こりそうなのを必死で耐え、
 倉地の言葉を待つ。
 しばらく呆然としていた彼女だが、すぐにいつも通りの元気を取り戻すと、
 チケットを手に取り大切そうに胸に掻き抱く。

「うんっ! 折角だから誘われたげる! 根暗の皓一からデートのお誘いなんて、
 一生に一度あるかないかだもんね!」

 そして、満面の笑顔。見慣れたはずの笑顔なのに、なぜか胸が高鳴る。彼女のこんな‘綺麗な’
 笑顔を見たのが初めてだからだろうか。
 その日は、分かれ道まで倉地と一緒に帰った。教室前に先輩の姿はなく、
 だが俺はそれを気に留めず、それどころか家に帰るまでずっと明日のことと
 倉地の笑顔に思いを馳せ、先輩のことを思い出しもしなかったのだった――。


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