夕焼けの徒花 第4回
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 昼休み。お弁当を食べた私は早速席を立つ。当然、朝の後輩くんを探すためだ。
 二年の教室がある二階を、昼の散歩を装ってゆっくりと練り歩く。
 昼休みのため窓も扉も開け放たれており、中の様子は丸見えだ。

(あの子はどこかな・・・?)

 よく考えれば、同じ制服、似たような背格好の男子が狭い空間にたむろしている
 教室という空間で、それほど際立った特徴の無い一人を探すのはとても大変な作業だ。
 でも私には、居れば見落とすはずが無いという確信があった。
 父と祖父を除けば、彼は私の目に個別の色を持って映る唯一の男性だから。

(でも、お昼休みは学食とか他のところでお昼を食べてる可能性もあるよね・・・)

 二年六組まで探して見つからず、その可能性に思い当たる。
 確実に探すなら放課後の方がいいだろう。
 でも、午前の授業中ずっと今の時間を楽しみにしてきた私にとって、
 更に待つのは地獄の苦痛に思えてならない。たった3時間足らずのことなのに。
 だから、消沈気味に二年生の最後の教室である七組を見やった私は、
 思わず声を上げそうになるのを必死に堪えた。

(居た―――!!)

 机に肘を突き、気だるげに外を眺めている少年。朝とは比べ物にならない気の抜けた顔。
 だが、そんな表情さえも、今の自分には胸に響く。
 それに逆に考えれば、朝の自分を心配する様子がどれだけ真剣だったかが分かるというもの。
 でも、それだけで満足していられない。私はもう一度彼と向かい合いたいのだから。

(でも・・・どうやって?)

 声を掛ける理由が見つからない。朝の衝突でもし私が加害者だったら、
 改めて謝ることを口実に呼び出す事も出来るだろう。
 でも、被害者側である私から会いに行くのは理由が無い。
 そんなことをしたら、彼の心に無用な圧迫を掛けてしまう。
 マイナスな印象をもたれることは、極力避けたかった。

 今回は、クラスと席が分かっただけでよしとしよう。それさえ分かれば、突破口は開けるはず。

(二年七組、窓から二列目で後ろから二番目の席・・・
 二年七組、窓から二列目で後ろから二番目の席・・・)

 忘れないよう、呪文を唱えるように呟きながら、私は教室へ戻った。

 放課後はHRが終わるや否や教室を飛び出し、
 二年生の靴入れを視界に収めるようにして昇降口に張る。
 目的の人物が来たらすぐに動けるように。
『帰ろうとしたところで偶然に鉢合わせちゃおう作戦』だ。
 しかし、待てども待てども彼は来ない。既に一時間以上経ち、時間は4時半を回っている。

(もしかしたら、部活なのかな・・・)

 十分にありえる。というより、考えてしかるべき可能性だ。
 玄関で待つよりまた教室に行ったほうが的確だったのに、そんなことも見落とすなんて、
 私は本当に彼のことで頭がいっぱいになっているらしい。
 そう思い当たると、待っているのが酷く苦痛に思えてくる。そうだ、自分から探しに行こう。
 見つからなければ、下校時刻の6時くらいにまた戻ってくればいい。
 早速彼を探してみる。・・・といっても見つからない。体育館を覗いてみていなかったので
 文化系の部活なのだろうが、
 彼らは基本的に部室に籠っている。まさか一つ一つの部室を開けて確認するわけにもいかない。

(そんなの分かりきってたことなのに・・・私、行き当たりばったりね。
 本当にどうしちゃったのかしら・・・)

 肩を落として歩く私は、何とはなしに図書室に入る。
 久しぶりに本の一冊でも借りていこうかと思って。

 ・・・神様はどうしてこんな演出が好きなのかしら? その時の私は思った。
 昼休みでもそうだけど、諦めかけた正にその時になって答えをくれる。
 図書室の窓際の一角。人のまばらな図書室の、更に人が居ないその場所で、
 皓一くんがノートとテキストを広げて黙々とペンを動かしていたのだから。

 

 絶好のチャンス。周りに人は誰も居ない。図書室は基本的に私語厳禁だけど、
 小さな声で話すくらいなら咎められないし。
 大きく深呼吸すると、私は何気ない風を装って話しかけてみることにする。

「あら・・・あなたは・・・」
「え・・・?」

 皓一くんが顔を上げる。2,3秒私の顔を見て――

「あ・・・!」

 声を上げかけ、すぐに口を押さえる。周りに聞き咎められていないかと思ったのだろう。
 ――何だか可愛いなあ・・・。
 誰も聞いてないことに安堵すると、彼は改めて私に向き直った。

 

「今朝ぶつかった人・・・ですよね? まさか同じ学校の先輩だったなんて。
 急いでたから気づかなかった・・・」
「私も今あなたを見つけて驚いたわ。偶然ね」

 それは半分嘘なのだが、穏やかな微笑を浮かべたまま、私は平然と言ってみせる。
 その笑みの反面、内心は凄い勢いで早鐘を打っていた。
 思えば自分から男の人に話しかけることなど初めてなのだ、それも仕方ない。
 それでも、包み込むような微笑は決して崩さない。穏やかで優しい先輩だと思われたくて。
 頼れる年上の女性と思われたくて。
 笑みを保つことは、これまで告白してきた男子生徒や、社交界で馴れ馴れしく近づいてくる
「自称良家の子息」の相手で鍛えている。
 今だけは、そんな嫌悪の対象たちにほんの少し感謝できそうだ。

「勉強してるの? 放課後なのに熱心なのね」

 ごめんなさいで話を始めたくなかった私は、皓一くんが驚いている間にノートを覗き込む。
 数学のようだ。ノートには書き込んでは消した数式の痕が残っていた。
 皓一くんは恥ずかしそうに苦笑する。

「あ、これは。次の授業で小テストなんですけど、俺この範囲のとき寝てたから・・・」
「そうなんだ。・・・ねえ、良かったら私が教えてあげよっか?」
「えっ・・・!?」

 驚きの声を上げた皓一くんの返事を待たず、私は隣の席に腰掛ける。
 驚きからか、皓一くんは顔を僅かに赤くして身体を退いてしまった。
 私は皓一くんが退いた分だけ、ずずいっと身を乗り出してみる。

「ね、どうかな?」
「えっと、お願いします・・・。だから、ちょっと離れて・・・」

 本当はすぐにでもお話したかったけど、まずは彼の勉強を見てあげることにした。
 それに、こうやって親密度を上げておけば、
 後でより自然に話せると思うし。
 最初はすぐ隣りに私が居ることに落ち着かない様子だった皓一くんだが、
 集中してくるとそれも無くなる。
 どうしても分からないところは時折質問してくるけど、それ以外は聞いてこようとせず、
 真剣な表情でノートに向かっている。
 実質、私が教えたところはほんの少しで、殆ど彼の横顔を眺めていただけだったのだが、
 退屈なんてことはなかった。

(彼は・・・とっても素直な子なのね・・・)

 横顔を見ながら思う。目の前のものに誠意を持って全力で取り組み、
 または反応する人なのだろう。
 今朝の私への心配、再会したことへの驚き、目の前のテキストへの集中。
 人だろうが物だろうが関係ない。
 ちょっと危なっかしくて、守ってあげたいなんてさえ思える。
 その素直さを突かれて、危険な目に遭ったり悪い人に騙されたりしないかと心配になる。
 今朝だって、ぶつかったのが私だからよかったけど、もしそれ以外の、
 例えば性質の悪い女だったりしたら―――。

‘ズクン’

 心臓が鳴る。けれどそれは、今朝のような高鳴りではなく、
 何か重いものが溜まるような鈍い痛み。
 その痛みは、浮かべることに慣れた私の微笑の仮面をも剥ぎ取ってしまいそうになる。

「・・・先輩? どうかしたんですか?」

 皓一くんが心配そうな顔で覗き込んでいた。私は慌てて微笑を浮かべてみせる。

「だ、大丈夫よ。ちょっとボンヤリしちゃっただけだから。それより、終わったみたいだね」

 閉じられたノートとテキストが見えた。皓一くんははい、と答えると、
 椅子ごと私の正面を向いて頭を下げる。

「本当に、助かりました。ありがとうございます」
「ううん、私は殆ど何もしてないよ。むしろ、私こそあなたの頑張りに感心しちゃった。
 ・・・ねえ、良かったら途中まで一緒に帰らない?」
「そう・・・ですね。そうしましょうか」

 一緒に勉強したという事実があるからか、皓一くんもすんなりと頷く。
 夕暮れの中、誰かと一緒に帰るだけでこんなに嬉しくなるものなんだと、
 私は喜びをかみしめていた。

 

 次の日から、私は足繁く皓一くんの所に通った。さすがに教室に押しかけるのは気が引けて、
 昇降口の前で待っていたりした。
 皓一くんは帰宅部で基本的にはすぐ帰るので、それで大抵会えるし。
 一ヶ月も経つ頃には、教室の前で待つことさえも平気になった。
 教室からは、何人かの男子生徒が私を指差して、皓一くんをからかっている。
 皓一くんは赤くなりながらもそれらをあしらい、カバンを掴んで私の元へ走ってくる。
 それだけのことが、酷く嬉しい。

 
 ある日、私はいつものように二年七組前で皓一くんを待っていた。
 皓一くんはクラスメイトの女の子と話している。
 その光景自体は初めてでもない。何か用件があるのだろう。
 すぐ終わって私のところに来てくれるはずだった。
 でも、来ない。もう5分はその女子と話している。

(どうして? 私が待ってるんだよ? どうして来ないの? クラスの用件か何かでしょ?
 そんなに掛かるものなの?)

 更に五分待つ。まだ話している。
 皓一くんが笑った。穏やかな笑みだ。いつも私に向けてくれているもの。
 不機嫌そうな顔で彼と話していたその女子の顔が、その表情のまま赤くなる。

(どうして? どうして私以外の女の子にそんな風に笑うの?)

 自分勝手な思いが胸を過ぎるが、どうしてかそれを抑えられない。
 こんな感情は知らない。だから制御の仕方が分からない。

‘ズクンッ’

 胸が激しく軋む。それはいつかの図書館での比ではなかった。
 この場にはいられない。いたくない――。

 

 次の日、重い気持ちのまま教室を出た私は、皓一くんに会いに行くか悩んでいた。
 もし会えば、一晩溜まったしこりが噴き出してしまいそうで。
 でも、その悩みは無意味なものになった。三階から二階に降りたところに、
 皓一くんが居たからだ。
 ずっと上を注視していたらしく、すぐに私に気づき、声を掛けてくる。

「あっ、二条先輩! 今から帰りなら、ご一緒しませんか?」

 もしかして、私を待っていてくれた? 昨日私が先に帰ったのを気にして?
 だからわざわざ自分から?
 嬉しさから思わず彼に飛びつきたくなるのを堪え、私はいつものように微笑んで頷く。

「昨日はすみませんでした、先輩が待っていてくれたらしいのに・・・」
「いいのよ、皓一くんもたまにはそんな日もあるでしょうし」

 嬉しさから昨日のしこりも忘れて、私は鷹揚に微笑む。しかし・・・

「昨日話してた奴、倉地っていうんです。中学の頃からの付き合いなんですけど・・・」

‘ズクン’

「どうしてか、俺によく構ってくるんですよね。あ、これは中3の時の話なんですけど・・・」

‘ズクン’

「高校に入ってからも・・・」

‘ズクンッ’

「それで昨日は・・・あれ、先輩?」

 これ以上見ていられない、困ったような、それでも嬉しそうな彼の顔を。
 これ以上聞いていられない、いつになく多弁な、彼の弾んだ声を。
 私は知らず早足になっていた。走りこそしないが、並んでいた皓一くんをどんどん引き離して
 先に行く。

 

(そんなに楽しかったの、その子と居るのが? 私といるよりも?)

 そうかもしれない。確かに皓一くんは一緒に居ても平気な唯一の男性だけど、
 それで気の利いたおしゃべりまで出来るようになるわけじゃない。
 今時の流行も知らないし、興味も無い。もしかしたら、私は彼にとって迷惑だったのだろうか。
 そう思うと、微笑みの仮面をかなぐり捨てて泣いてしまいたくなる。

「先輩、ちょっと待って・・・!」

 皓一くんが焦った様子で追いかけてくる。それでも私は背を向けたまま。
 今の顔を見られたくなくて。
 それが一分ほど続いただろうか。皓一くんはそんな私に愛想を尽かせて立ち去ることも、
 怒ることさえせず、追いかけてくる。
 伺うような弱めの口調は、自分の何が私を怒らせたのかと、
 必死に考えていることをうかがわせる。

 対する私は、悲しみの代わりに歪んだ歓喜が湧き上がるのを感じていた。
 私が、私の思いが皓一くんを悩ませている。彼の心を占めて、振り回している。
 そう思うと、逆に私の方が落ち着いてきた。もうしばらくこのままで居てもいいけど、
 そろそろ許してあげるとしよう。
 私が立ち止まると、追いかける気配も止まった。その場でパッと振り向くと、
 彼の腕を取って両手で掻き抱く。

「ちょっ、先輩・・・!?」
「今日は、このままで帰りましょ? そうしたら許してあげる」

 咄嗟に振り払って逃げようとした皓一くんの腕を、しかし私はぎゅっと掴んで逃がさない。
 それどころか、大胆にも自分から胸の谷間に挟み込むようにしてホールドしてしまう。

「ぁ・・・ぅ・・・」

 茹でダコのように皓一くんが真っ赤になる。結局観念したように力を抜き、
 私にされるままに身を任せてきた。
 私への心配と情欲がないまぜになった横顔が映る。それがどうしようもなく愛しい。
 本当は私が勝手に怒って悲しんだだけなのだから、許すも無いもないのに。

 こんな歪んだ形の幸せ、知らなかった。

(ああ・・・私、恋をしてるんだわ)

 ようやく私は自覚した。きっと他人が利いたら、今更何言ってるの、と呆れるだろうけど。

 

 密着すると流石に熱い。もうすぐ6月だから、それも当然なのだけど。
(皓一くんが意識してくれるなら、ちょっときわどい格好をしてみるのもいいかな?)
 そう思うと、嫌いだった夏までもが待ち遠しく感じられてしまうのだった。

 ねえ皓一くん、気づいてる?
 あなたと出逢ってからほんの僅かな時間で、私はこんなにも歪んでしまったの。
 ううん、もしかしたら最初から歪んでいたのかもしれない。
 でも、その歪みの幸せさを自覚させたのは、間違いなくあなた。
 初めは真っ直ぐなあなたに対して自分は何て屈折しているのかと思ったけど・・・
 そんな私をあなたは受け入れてくれたよね。
 あの告白は本当に嬉しかった。人前であんな風に泣き崩れるなんて、初めてだったんだよ?

 それからは、お休みの度に遊びに行ったね。生まれて初めての遊園地は楽しかった。
 園芸のお店にも付き合ってくれた。「何を買おう?」と話を振られても分からないだろうに、
 それでも一緒に悩んでくれた。

 唯一不満があるとしたら、中々私に触れてくれないこと。
 折角短めのスカートやキツめの服でアピールしているのに。
 皓一くんが望むなら、いつでも押し倒してくれていいのに。エッチはおろかキスもしてくれない。

 でも、そこがあなたの誠実さでもあるんだよね。
 少し経てば、きっと私が待ってることに気づいて、私を奪ってくれる。
 あなたが私をどんなに大切に思ってくれているかは、うぬぼれじゃなく自覚できるもの。
 それは、たった一年離れ離れになる程度で切れちゃうほど弱いものじゃない。
 だから分かるよ。「別れよう」なんて、あなたの本意じゃないってこと。
 だって、たった1年待つだけだよ?
 運命の恋人を15年以上待ち続けたことに比べれば、そんなの大した時間じゃない。
 もしかして、昨日あれから誰かに相談とかした? 誰かに何か言われたの?
 でなきゃ、あなたがそんなこと言うわけ無いもの。

 ・・・だから言ったじゃない、皓一くんは素直だから、悪い人に騙されないか心配だって。
 真っ直ぐだから、心配事があるところを付け込まれはしないか心配だって。
 いいよ、私があなたを惑わすものを見つけてあげる。
 そして、二度と迷わないように消し去ってあげる。
 だって私はあなたの恋人で、頼りになる年上のお姉さんなのだから。
 
 だ・か・ら・・・もう二度と、冗談でも別れよう、なんて言ってはダメよ。

 ね? こういちクン。


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